第12話「妖精と偏見」




 そういえばファンタジーのモンスターがなにを食べて生活しているのかを想像したことがない。怪物といえば凶暴、だから肉食に違いないと思い込んでいた。


 だが凶暴に違いないというのは偏見だし、だから肉に齧りついているというのもまた、思い込みでしかない。


「悪かったよ。俺はとんでもない差別野郎だった。そうだよな、サイクロプスだから羊を食べるなんて決めつけるのはよくなかった」


 俺が反省すると、サイクロプスは笑いながら手をぱたぱたと動かした。


「わかってくれたらいいのよお、真面目さんね。ね、お名前はなんていうの?」

「佐藤だ。たぶん。最近はプロスペローとも呼ばれてる」

「まあ、サトウちゃん? プロちゃん? プロちゃんのほうが可愛いわよね」


 話が通じるというのはすごいもので、見上げるほど大きくどう見てもひとつ目の怪物を相手に、自分でも意外なほど平静に会話がこなせている。あまりに現実離れした相手だからこそ、かえって戸惑わずに済んでいるような気もする。


「あんたは名前とかあるのか?」


 サイクロプスは照れたように目を伏せ、頬に手を当てて答えた。


「あたし? あたしはね、ふふ、やだ、名前を教え合うなんてお友だちみたいね。ニンゲンさんとお友だちになれるなんて不思議。あ、名前はね、ふふ、なんだと思う?」

「知らねえよめんどくせえな」


 近所の野菜くれるおばさんかお前は。


「もう、せっかちさんなんだから。あたしはね、ジョセフィーヌっていうの」

「贅沢な名前だなあ!?」

「ひゃあ!?」


 反射的にツッコミを入れてしまった。

 サイクロプス……いや、ジョセフィーヌは頭を抱えてぶるぶると震えてしまう。


「悪い。そうだよな、サイクロプスだからって、厳つい名前じゃないとおかしいだろっていうのも偏見だよな」


 俺は自分の胸に手を当て、たった今の発言を反省する。いつの間にか常識という名の偏見ばかりを集めていたらしい。


「こ、怖い……ニンゲンさんってこんなに凶暴なの?」


 ジョセフィーヌが涙目で呟いている。

 エアリアルがふっと視界に入り、俺に向けて首を傾げて見せた。


「プロスペローさま、このサイクロプスとどんな会話を?」

「俺と話せて嬉しいって言ってるな」

「そのわりには、怯えた様子ですが」


 ふたりでサイクロプスを見る。首を縮こめたサイクロプスがおそるおそるとこちらの様子を窺っている。


「気弱な性格らしい」

「はあ」


 釈然としない様子でちょこんと首を傾げる様子は愛らしい人形のようだった。

 エアリアルが会話の流れを変えたことで、俺はそもそもの目的に立ち返ることができた。そうだ、サイクロプスと異文化交流をしに来たんじゃなかった。


「あんたが羊を食べていないのが本当なら」

「あんたじゃなくて、ジョセフィーヌよ」

「……」


 気弱というわりに、ちゃっかりと訂正を入れるあたり良い性格をしている。

 そしてジョセフィーヌという名前の優雅さのあまり、そう呼ぶことにちょっとだけ抵抗感というか、なんだか負けた気がするのも偏見だろうか。


 咳払い。ええい、仕方ない。


「ジョ、ジョセフィーヌが、羊を食べていないのが本当なら」


 目の前でジョセフィーヌが満足そうに頷いている。


「いったい誰が羊やら牛を襲ったのか、というのが問題になるんだが」

「別の犯人が存在する、ということですか」


 エアリアルが良いタイミングで合いの手を入れた。

 俺はふむと頷き、顎に手を当てる。不意に現れた謎解きにわくわくしている。

 佐藤という名前以外ははっきりと思い出せないが、もしかすると、ミステリというジャンルが好きだったのかもしれない。


「この謎を解いてみせる……じっちゃんの名にかけて!」

「どうしておじいさまなのですか?」

「名探偵だったんだ。よく覚えてないけど」

「名探偵」


 きょとんとした目で見られて、急に居心地が悪くなった。ツッコミが期待できないボケはするもんじゃない。


「とにかく、ジョセフィーヌは犯人じゃない。村の近くに棲みついたことで村人を怯えさせてはいるが、それとこれは別件だったってわけだ」

「えっ、あたしのせいで怯えさせちゃったの?」

「話の腰を折るなよややこしくなるだろ」


 それらしく推理を展開しようとしてはみたが、現実はうまくいかないものだ。会話というのはあっちにいったりこっちにいったりして、理路整然と繋がることは少ない。


 羊を襲った犯人の推理も大事だが、ジョセフィーヌのせいで村人が怯えているのもまた事実である。それはそれで解決すべき問題だ。俺は腕を組んだ。


「先にそっちから片付けよう。率直に頼むんだが、ジョセフィーヌはこの洞窟から出ていくことはできないか? 村人たちが襲われるんじゃないかって怯えてるんだよ」

「まあ……こっそりしてたんだけど、気づかれちゃってたのね……」


 ジョセフィーヌはしょんぼりと肩を落とした。


「いいわ、もともとニンゲンたちが住んでいた場所だものね。他の場所を探すわ」


 拍子抜けするくらいに話は簡単に終わった。これで村の人々は安心して生活を取り戻すことができるというわけだ。


「他の場所を探すって、帰る村とかはないのか? あ、独り立ちで自分だけの棲家を見つけなきゃいけないとか?」


 ジョセフィーヌはえへへ、と照れたように頭を掻いた。ぺろ、と舌まで出して見せる。


「村が魔族に滅ぼされちゃったのよね」

「オイオイオイ明るい顔でぶっ込んでくんなよ」

「?」

「? じゃないんだわ」

「プロスペローさま、サイクロプスはなんと?」

「ちょっと待ってくれ。かなりデリケートな話になってるから」


 俺は右手で顔を覆った。いやもう、話がややこしい。

 なんだよこれ、悪役はどこだよ。どいつを魔法でぶっ飛ばせば解決するんだ?

 俺は頭の中で話をまとめてエアリアルに説明した。


「悪いやつかと思ってたサイクロプスは、実は魔族に村を襲われた可哀想なサイクロプスだったんだ。あとベジタリアンだから家畜も襲ってない。これが問題だ」

「それがどのように?」

「問題だろ。なにも悪いことをしてないのに、こいつをここから追い出すことになるんだぞ」

「追い出さなければよろしいのでは」


 エアリアルはごく当たり前という様子で言う。


「仕事が嫌なら辞めればいい、みたいなやつは答えになってないんだよ」

「その例えはよく分かりませんが……プロスペローさまの思し召しのままになさるべきです」

「俺をどんなやつだと思ってるんだお前は」

「サイクロプスをここに置きたいのであれば、村のニンゲンたちにそう命じられたらいかがでしょうか」

「普通は断るだろ、怖いって言ってんだし」

「ではニンゲンたちを追い出しましょう。ご用命くだされば片付けてまいります」

「は?」


 あまりにあっさりと言うものだから、初めは冗談かと思った。けれどエアリアルは表情ひとつも変えずにいる。本当にそう思っているのだ。


「いや、あのな、そんなことやっちゃだめだろ?」

「なぜでしょうか」

「なぜって」


 なぜだろう。


「法律とかさ、良心とか、あるだろ、いろいろ」

「法律。良心。プロスペローさまにとってそれが邪魔になるのなら、壊してしまえばよいではありませんか。これまでそうしてきたように」


 エアリアルは囁くように言った。瞳には奇妙に透き通った光があった。俺は初めて目の前の妖精を怖いと思った。

 彼女は俺とは違う倫理を持っている。根本が決定的にすれ違っている相手を前に、話が噛み合わないと理解する。


 それはどちらが間違っているとかではなく、鳥が魚の理屈を理解できないように、ただ違う生き方をしている。

 俺がそう命じれば、エアリアルは本当に実行に移すのだろうか。それだけの力を、妖精は持っている。そしてその妖精は俺を主人として振る舞っている。


 眼前に浮かぶ小さな人形のような少女が、ふと爆弾に重なって見えた。自分の判断ひとつで、その爆弾は起爆する。夢だ幻だと気楽に構えていた背中に、急激に冷たい汗が流れていった。


「やらなくていい」


 俺は小さく叱りつけるように言う。あるいは自分に言い聞かせるために。


「かしこまりました」


 エアリアルは頷き、背後に下がった。何を考えているのか、俺には分からない。

 彼女の提案は極論だ。けれど、それが選択肢のひとつとして存在することは認めなければいけないとも思う。


 村には人間たちが住んでいる。その近くの洞窟にサイクロプスが棲みついた。人間はサイクロプスを恐れて安心できない。

 普通の人間はサイクロプスの言葉が分からない。会話ができなければ理解し合うのは難しい。安全が担保されていない怪物と、共存はできない。

 だから、サイクロプスを追い出すのが正しい。最初からそのつもりだったのだ。


 それをサイクロプスの事情を聞いたら同情の余地があったからと悩むのは、あまりに傲慢だろう。


「プロちゃん、怖い顔してどうしたの? いいのよ、気にしなくて! あたしはほら、頑丈だから、どこでだって住めるの! ニンゲンさんたちにごめんなさいって言っておいてくれるかしら」


 と、ジョセフィーヌは手を合わせて言う。初めて見たときには凶悪な怪物だったというのに、今はもうそう思えなくなっていた。

 きっとどうしようもないのだと分かっていても、すっきりしない気持ちがある。ここを出て行けと冷たく追い出すような悪役にはなりたくないと思ってしまう。


 昔から俺はこうだった。困っている人を見ると、どうしても首を突っ込みたくなるのだ。

 それは人助けが好きだとか、ヒーロー願望があるからではない。そんなに立派な人間じゃない。


 困っている人は問題を抱えている。それをうまく解決できると、自分の気分がいい。解決できないままだと、靴の中の足を掻くようにいつまでもモヤモヤしてしまう。


 なにかいい落とし所があるのでは。自分ならなんとか解決できるのでは。スッキリしたい。その欲求がむくむくと込み上げている。

 ううむ、と唸る。人間とサイクロプスの共存。なかなかの難題だ。


 何か思いつかないかと頭を叩いたそのとき、洞窟の入り口から青年の声がした。

 魔法使いさま、と叫んでいる。慌ただしい足音が近づいてきて、エアリアルの光の円が、ここまで道案内をしてくれた青年の姿を照らした。


「た、大変なんです魔法使いさま! 狼! 狼が! 羊を襲ってる! ……って、うわあああ怪物だああああ!」

「狼? なるほど、だから襲われた牛は生き残ってたのか」


 村人の話をふと思い出す。羊は死んだが、牛は怪我をしただけだと。襲うには大きすぎて抵抗されたのだろう。真犯人の謎も解けてスッキリだ。


「ま、ままま魔法使いさま! ひっ、ひえっ、か、かかかかいぶつっ! あれええええ!」


 腰を抜かした青年がジョセフィーヌを指差している。

 ジョセフィーヌはウインクと投げキッスを返している。

 エアリアルはいつの間にか姿を消している。

 俺はふむと顎をつまんだ。


「村を襲う狼……使えるかも」

「魔法使いさまあああああああ!?」




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