第11話「サイクロプスの証明」
動物は驚愕すると動きを止める。
それは人間も例外じゃない。呼吸すら静止して目の前の事態を把握することに全神経を集中するためだ。真夜中に幽霊を目撃したときだって、目を見開いて動きを止めるだろう。
叫んだのは人生ではじめてだった。
薄暗い洞窟の中で巨大な怪物に遭遇したのだから、そりゃ叫ぶ。
そしていま、俺は呼吸を止めて目の前の現実を把握しようとしている。
巨体。
太い腕と足。広げられた口に、大きなひとつ目。
まるで現実感のない光景。しかし、目の前に怪物は間違いなく立っていて、恐ろしいひとつ目が俺を見下ろしている。
逞しい両腕は自分の身体を抱きしめていて……うん?
「……怯えてる?」
「ひゃあ! しゃべったあああああ!」
怪物ことサイクロプスは急に叫ぶと頭を抱え、その場にうずくまってしまった。
ど、どういうことだってばよ……恐怖が戸惑いに変わっていく。
「ていうか、言葉が通じてる?」
俺の言葉を、サイクロプスは理解しているようだ。
そしてサイクロプスの言葉も、俺は理解できている。
「さすがプロスペローさまです。立っているだけでサイクロプスを威嚇するとは」
「なにもしてないっての」
異常事態であっても、普段と変わらないものがあると心は冷静を取り戻すものだ。
動揺もなく平然と無表情で浮かんでいるエアリアルを見て、俺はようやく身体が動いた。
サイクロプスは身体を丸めるようにして震えているままだ。
叫びながら襲いかかってきてくれたほうが話が簡単だったな、と思ってしまう。どうしたもんか、と頭を掻いた。
「絶好の機会では?」
とエアリアルが言う。
「言いそうなことは想像つくけど、いちおう訊いてやろう。なんの機会だ?」
「今なら消し飛ばせます」
「俺の想像を越えるんじゃねえよ。妖精ってもっと夢と希望が詰まった感じだろ普通」
「お褒めにあずかり光栄です」
「いや褒めてはいないんだわ。消し飛ばすのはだめだって」
「あたし消し飛ばされちゃうのお!?」
サイクロプスが急に叫んだ。洞窟にわんわんと反響して、俺は思わず耳を押さえた。
泣いて怯える怪物を前に、消し飛ばすだの物騒な会話をする黒づくめの自称魔法使いと妖精。
客観的にみると、どうも俺たちの方が悪役に思えてしまう。
「あー、悪かった。消し飛ばさないから落ち着いてくれ。俺たちは悪いやつじゃない」
討伐するつもりで来たのは間違いないのだが、どうにもそんな雰囲気じゃない。
「……ほんとに? あ、あたしのこと、消し飛ばすつもりじゃないの?」
サイクロプスがおずおずと俺を見た。ひとつ目の両端から大きな滴がポロポロとこぼれている。
悲鳴は甲高い声だったが、今では見た目に相応しいやや野太い声。しかし話し方には女性らしい雰囲気があって、俺はちょっとばかし戸惑った。
「誤解だ。俺はそんなことしない」
そもそもできない。
「ほんと? 約束してくれる?」
「約束だ」
サイクロプスはじっと何かを考えていたが、もぞもぞと体勢を変えて体育座りした。
なんかシュールだな……。
「じゃあ、泣かないわ。急に叫んでごめんなさいね。あたし、気が弱くって」
気の弱いサイクロプス?
全然そうは見えないのだが、本人が言うならそうなのだろうと頷くしかない。
「とりあえず、話が聞きたいんだが」
「やだ! ニンゲンがあたしとお話を!」
「迷惑か?」
「うれしい!」
と両手を合わせ、乙女のように身を乗り出してくる。
「あたしもお話したいと思ってたの! でもニンゲンはみんな逃げちゃうし、とっても寂しかったのよ」
話しながら感極まってきたのか、大きなひとつ目がうるうると水気をたたえる。
あらやだごめんなさい、とサイクロプスが目尻を押さえている間に、エアリアルがそっと俺の視界に寄った。
「プロスペローさま、あの者はなんと?」
「なんとって、そのまんまの意味だろ?」
「私には”ごぎがががぎご”と唸っているようにしか聞こえません」
「……もしかして、言葉が分からないのか?」
エアリアルはこくりと頷いた。
「遥か古代に言葉は冥府へとこぼれ落ち、互いを理解する術を失った種族らは争いを始めました。それがこの世界の理でございます。あらゆる種族と意思の疎通ができるのは理を超越した者だけ。つまり、魔法使いのみです」
冥府だか理だかよく分からないが、要するに種族ごとに言葉が違うというだけのことだろう。普通は語学学習が必要だが、魔法使いは翻訳機能付き、というところか。
「便利だな」
「便利……? 世界の扉を行き来する鍵を持つということはそんな安易な言葉では……いえ」
エアリアルは長い髪をふわりと浮かせたまま、そっと首を振った。だめだこいつ、とでも言いたげな仕草だった。
言葉が通じるからといって、言いたいことがすべて理解できるわけではない。まさにその見本かのようだ。
「ま、なんにせよ助かる。俺は話し合いで解決するほうが好きだ」
なにしろ魔法使いとは名ばかりだ。殴り合って勝てる相手じゃないのは明白だし。
「さっそく聞きたいんだが、あんたはどうして村を襲うんだ?」
本題に切り込む。サイクロプスはきょとんとした瞳で俺を見返した。
「あたしは村なんか襲ってないわよ。そりゃ、森に生えてる果物をちょこっと頂いたり、羊さんや牛さんの食べてる干し草を分けてもらったりはしたけど……ごめんなさい、あの草がすっごく甘くて美味しいの。でもちょっと! ちょっとだけだから許してちょうだい!」
その話ぶりにおどおどした様子はなかった。何かを誤魔化すでもない。悪いことと思っていないのか、心当たりがないのか。
「干し草だけか? その羊さんや牛さんをぺろっと食べたりもしたんじゃないか?」
「やだあ!」
と、サイクロプスは手をパタパタさせて笑う。
「なんで食べるのよ! そんなの美味しくないじゃない! あ、ごめんなさい、ニンゲンはお肉も食べるのよね。でもほら、あたしはさ」
と、指を頬に入れて口を開ける。見せてくれたのは綺麗に並んだ歯だった。
「どう? 牙もないでしょ。あたしたちはお肉食べないのよ」
まさか生物学の視点から無罪を主張されるとは思わなかった。
たしかにサイクロプスの口には臼のような平らな歯が並んでいる。食べたものをすり潰すためのものだ。牙と呼ぶような犬歯も見当たらない。
肉食動物の歯は普通、肉を裂いたり骨を噛み砕けるように鋭く尖った噛み合わせになる。それは種の構造として成り立っているもので、本人がどう言おうと変えようがない。
サイクロプスの主張は、歯を見る限り本当だ。
うーむ。
「プロスペローさま、サイクロプスはなんと?」
黙りこんだ俺に、エアリアルが声をかける。
俺は腕を組んで唸りながらもこう答えるしかなかった。
「ベジタリアンなんだとさ」
「ベジ……?」
エアリアルがきょとんとした顔で俺を見返している。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます