第10話「洞窟探検開始五秒」

 

 結局頼りになるのは経験豊かなご年配だ。


 謝られる方が許しますと言っても、許す方がそれを信じられずに謝罪を重ねる。

 どうにも魔法使いというのはずいぶんと偉い存在らしい。でなきゃここまで必死になることはないだろう。

 そこで見かねたように声をあげたのは婆さんだった。


「あんたたち、何やっとる! 魔法使いさまをお連れしな!」


 俺はほっと息をついた。兎にも角にも、この状況から抜け出せるなら救いの手だった。


「お、お連れしろって、どこに」


 青年の村人が訊ねる。婆さんはカッと喉を鳴らすと、


「あの洞窟に決まっちょろうが! 魔法使いさまはこの村を救うためにいらっしゃったのじゃ!」

「……そうなので?」


 と、髭面の男が俺を見た。どうにも疑わしげな物言いだった。


「まあ、そうなんだけど……」


 俺はためらいながらも頷いた。本心としては、困っている少女を前に断るのも良心が痛み、様子見だけでもしてくるか、という按配だったのだが。

 俺の返答に、村人たちは「おお」とどよめいた。


「魔法使いさまが助けてくださるってよ!」

「これなら村を捨てずに済む!」

「お、俺がご案内します!」


 青年がざっと立ち上がり、さあこちらへ、と俺を案内する。

 こちらへ、と言われたら付いていってしまうのが日本人のさがというものだ。


 家を出ると、陽の眩しさが目に染みた。そこには村人たちが集まってる。老人と、大人と、子どもたち。誰もが興味津々といった様子で俺を見ている。

 青年に連れられて歩く俺のあとを、村人たちがちょっと距離をあけてついてくる。


「すみません、ここに行商人以外の人が来るのは珍しいもんで」


 と青年は申し訳なさそうに言った。

 前から、角の生えた毛むくじゃらの茶牛がやってくる。ソリを引いている。毛糸の帽子を深く被った老人が杖を手に横乗りしていて、すれ違いざまに俺を見て目を丸くしていた。


「ここは何にもない村なんです。人よりも動物のほうが多いくらいで」


 青年が言うとおりだった。

 遠景は白い連峰に囲まれているのに、村の周りだけが緑の豊かな丘になっている。

 そこらじゅうに羊や牛が放牧されていて、そこをちょっと見渡しただけでも数十頭はくだらない。


 それはまるで絵本の中のような景色で、こういうのを牧歌的と表現するのかもしれない。


「……良いところだ」


 しみじみとした感想だった。歩いているだけで不思議と気持ちが軽くなる。大自然は人の心を和らげるに違いない。

 記憶があやふやな今、自分がどんな生活を送ってきたのかも分からない。それでも身体の芯、心の奥底で張り詰めていたものがそっとほぐれるような感覚がある。


「そうでしょう」と青年は自慢げに笑った。「だからあの怪物が洞窟に住みついて、本当に困っていたんです。このままじゃ村を捨てなきゃいけないって、みんなで何度も話し合って」


 青年は悲しげに眉を下げて、俺に振り返った。


「うちの羊も何頭も食われました。牛だって怪我を負わされて……この村から離れたくないんです! どうかお願いします! 怪物をやっつけてください!」


 青年は深々と頭を下げた。

 俺は誰かにこんなに必死に頼みこむことがあっただろうか。真剣に何かを頼まれた経験もない。


 けれど、あの少女も、この青年も、大切な村を守るために俺に頭を下げている。それは俺が魔法使いだからだ。プロスペローだと思われているからだ。


 自分にはない能力をあてにされて、頼られている。そこに複雑な気持ちを抱く。

 嘘はつきたくない。けれど、俺はただの佐藤なのだと答えることで、彼らの希望を裏切りたくないとも思ってしまうのは、偽善だろうか。


「任せてくれ。なんとかしてみる」


 俺ははっきりと答えた。

 それが正しいのかも、本当にどうにかできるのかも分からないが、そう答えるべきだと思った。


 青年は顔を上げ「ありがとうございます!」ともう一度頭を下げた。

 目元をぐいと手の甲でこすって、「洞窟はこの先です! 様子を見てきます!」と走っていってしまう。


 俺もそのあとを追う。

 丘を下る道は遠く続いていたが、途中で分かれ道になっていた。右手側の道だけが傾斜地になっている。

 その先で青年がこちらに手を振っていた。そこまでたどり着くと、もう洞窟は目の前に見えていた。


「あ、あそこです。怪物があの中に入っていくのを、村人が見てるんです」


 怯えた声でそう言われると、俺まで腰が引けてくる。

 山肌の半ばで包丁を入れて切り分けたように、垂直な面ができている。

 見上げるほどの穴が空いている。もちろん中身は真っ暗だ。

 奥底から風が鳴るような音が聞こえる。それがまるで怪物のうめき声のようにも思えた。


「……やっぱり前言撤回して帰ろうかな……」

「え? 何かおっしゃいましたか?」

「やりがいのある仕事だなって言ったんだ」

「さ、さすが魔法使いさま! 俺たちはもう怖くて怖くて、誰もこの中に入れないでいたんです! おれ、ここで待ってます!」


 青年は決死の決意のように拳を握って言った。どうせなら中までついてきてほしい。

 期待するような目で見られて、俺は退路を断たれた。

 視線は圧となって人の行動を左右する。他人の目があるから行動できなかったり、逆にひとりなら絶対にしないような行動を取らせるのだ。


 俺はごくりと固い唾をのんだ。

 目の前の洞窟を見上げる。

 この中に怪物がいるらしい。サイクロプスとかいうやつだ。それは、熊とどっちが怖いのだろう。


 振り返る。

 青年が輝くような瞳で俺を見ている。


 俺は「やっぱやめた」という言葉を伝える勇気が出ず、洞窟に足を進めた。

 ときに、人間は他人の無垢な期待を裏切るよりも、熊の住む洞窟に進む選択をしてしまうのだ。


 あー、ばか。俺のばか!

 悪態をつきながら暗がりに入っていく。

 いや、大丈夫だ。本当に怪物がいるかどうかを確かめるだけ。もし見たらすぐに引き返せば良い。

 洞窟は思ったよりも広く、足場も悪くない。ただ、進むごとに光は遠くなって、視界が悪くなっていく。


「こりゃ明かりがないと難しいな。一度引き返したほうがいいな」


 いや残念だ。本当はもっと進みたいのだが、明かりがないとな。

 と、都合の良い言い訳を見つけたと口にしてみたら。


「これでお役に立ちますか」

「……急に出てくるなり気の利く妖精だな」


 耳元で声がしたかと思えば、途端に視界が明るくなった。光を球体にしたかのような物体が浮いていた。

 暗かった洞窟に眩いほどの明かり。その中にまたいつの間にやら、妖精エアリアルが浮いている。


 勝手にいなくなっていたことを咎めるように俺の口調は皮肉っぽかったが、エアリアルは気にした様子もなく「恐縮です」と答えた。

 くそう、これじゃ帰る理由にならない。ジャパニーズビジネスマンは言葉の裏を読み取らなきゃやっていけねえんだぞ。お茶を勧められたら帰れと催促されてるのと同じように、明かりがないと難しいは今すぐ帰るって意味なんだよ。


 ぶつぶつと言葉を噛む。言いたいことを相手に直接言えないのもジャパニーズビジネスマンの証なのだ。

 洞窟は下に下るでもなく、真横にのびていた。


 エアリアルの魔法性能自体にはまったく不満がない。明るさが洞窟の不気味さを中和してくれている。

 もっとも、こうして余裕が生まれたのは光の玉だけでなく、エアリアルが傍らにふよふよと浮かんでいるからなのかもしれない。同伴者がいるというのは心強い。それが手のひら大の小さな妖精であっても。


 と、光が作る球体の白い世界に異物が足を差し込んだ。

 比喩ではない。文字通り、緑の肌をしたでかい足があるのだ。


「マジ……?」


 のし、という重たげな音で、足が動く。視界をゆっくりと上げていく。

 二足歩行の巨躯。地面に擦りそうな長く太い腕。図太い首の上にある顔に、大きなひとつ目が黄色く光っていた。


 サイクロプス。ひとつ目の巨人。

 俺とサイクロプスは見つめ合う。


「うわああああああ!」


 俺は腹の底から叫んだ。


「きゃああああああ!」


 サイクロプスも甲高い声で叫んだ。




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