第9話「裏切りは妖精のアクセサリー」



「なぜだ……」


 俺は天井を見上げている。


 窓もない部屋は倉庫のように使われているらしい。木製の車輪やら、積み重なった破れた籠やら、当面は必要のなさそうなものが並んでいる。

 その仲間たちに不審者が追加されたというわけだ。つまり俺だ。


 天井の一角に、石組みの隙間ができていた。陽の光が漏れている。

 俺の両腕は縄で縛られていた。もがくとチリチリと擦れて痛いので、大人しく座っている。これじゃまるで犯罪者扱いだ。


 ここに押し込まれる間に必死に無実を主張してはみたのだが、誰も話を聞いてはくれなかった。

 それも、俺のことを悪人だと断定しているから聞き耳を持たないというわけではなく、恐ろしい存在と関わり合いたくない、とでもいうような振る舞いだ。


 俺が何か言おうとするたびに、「そそのかされるな! 連れてかれちまうぞ!」と村人たちが小突き合うのだ。どこに連れてくんだよ。


 俺は妖怪か? ぽぽぽぽと連呼してやろうか。


 ……ぽぽぽぽ? なんだろう、それは。

 なにか意味があってそう思ったはずだろうに、自分でも思い出せない。記憶はずっと曖昧なままだった。


 どうしたもんかな、と冷たい石壁に背中を預けてため息をついた。そのとき、唯一の光源が揺れ、壁に小さな人影が横切るのが見えた。


「プロスペローさま、ご無事でなによりです」


 桜色の鱗粉のような輝きを散らして、そこに妖精エアリアルが現れている。

 俺は驚くよりも先に、じとっとした目で睨んでやる。


「……俺を見捨てたな?」

「とんでもございません」


 エアリアルは表情ひとつ変えずにかぶりを振った。


「村人たちは妖精の姿など見たこともないでしょう。叡智を持たぬ者にとって、未知の存在は混乱と恐れのみを招きます。姿を消したほうがよろしいかと判断しました。誤解を招きますので」

「俺だけでしっかり招いとるわ! これを見ろよ、縛られてるんだぞ!」


 不遇を訴えたというのに、エアリアルは感心したように大きく頷く。


「さすがプロスペローさまです。わざわざ手を縛った村人たちを尊重し、縄をほどかぬままでいらっしゃるとは」

「誤解を招いてんなあ!? いいからこれをほどいてくれ」


 両腕を突き出すと、エアリアルは首を傾げながらも指を振った。すると縄は命を得た蛇のようにうごめき、しゅるしゅると地面に滑り落ちる。


「助かった。さんきゅ」

「さんきゅ?」

「最上級のお礼の言葉だ」

「なるほど、勉強になります」


 短時間であっても自由を制限されるのはつらいものだ。違和感の残る手首をさすりながら、俺は立ち上がった。


「あとはこの部屋から出られたらいいんだけどな。エアリアル、扉を開けられるか?」

「ご用命とあれば」

「なんでもできるんだな……」

「私の魔法など、プロスペローさまの足元にも及びません」


 謙遜なのか煽られてるのか分からないのが悲しいところで、俺は曖昧に頷くしかなかった。


 魔法という謎の技術によって万能の存在に見えるエアリアルが、そこまで言うのだ。プロスペローは有能な魔法使いだったのだろうか。今のところ、引きこもりの人でなしというイメージしかないのだけれども……。


 俺は扉に近づく。古めかしい作りの金属の取手をつかむ。ガチ、と固い手応え。鍵がかかっている。


 普通であればどうしようもない。佐藤である俺に鍵を開ける技術などない。

 しかし、もし本当に俺がプロスペローならば、ここでも魔法が使えるのではないだろうか。鍵を開けることなど、簡単にできるのではないか。


 俺は取手を握ったまま、意識を集中する。


 きん、と耳鳴りがした気がする。

 開け、と命じた瞬間、がちゃんと鳴った。取手が自動で下がる。


 マジか、と思った瞬間、扉が開いて、至近距離で若い男と顔を見合わせた。


「う、うわあっ!」

「のわあっ!」


 同時に叫んで飛び退く。


「な、なんでそこにいるんだ!?」

「なんだよ開けたのそっちかよ!」


 ちょっと期待したのに!

 後ずさった男を押し除けるようにして、別の男が覗き込んだ。俺の両手を指差して「あっ」と声をあげた。


「そ、そんな、ちゃんと縛ったのに」


 俺は咄嗟に両手を後ろに隠した。こうして捕まっていることが誤解なのだから堂々としていればいいと自分でも思うのだが、つい後ろめたい気持ちになってしまうのが不思議だ。


「や、やっぱり人間じゃないんだ……」


 最初に顔を合わせた若い男が呆然としたように言った。


「おい、下がらんか! どけどけ!」


 立ちんぼになった男の肩を引いて、しゃがれた声の主がぬっと現れる。小柄だが岩のようにゴツゴツした体格で、髭面の男だった。


 男は俺の前に立つと、足元から確かめるように俺を睨め上げる。

 その視線がやけに鋭くて、俺は居心地悪くみじろぎした。


「おい、ヒコ婆さまよ。確かめてくれ」


 髭面の男は身体をどかす。うしろの廊下に老婆が立っていた。腰は曲がり、目がどこか分からないほど皺が寄っている。


 杖をつきながらのそのそと歩いてくるが、今にも転けてしまいそうなか弱さがあった。隣には恰幅の良い女性が付き添っていて、老婆の空いたほうの手を支えている。


 男たちはみんな黙っている。ヒコ婆さまと呼ばれた女性は、ゆっくりと時間をかけて俺の前に立った。顔をあげ、じっと俺を見据える。


「どうなんだ、婆さまよ」


 婆さまの瞼が開き、瞳が見えた。


「お、おお……! 黒い衣、黒い髪、黒い瞳! 夜の闇のように黒づくめ……! わしが童のときのお姿のままじゃ! こ、この方こそ魔法使いさまじゃぞ!」


 歯の抜けた口で、不明瞭ながらも、興奮に顔を赤くしながらヒコ婆さまが言った。


 この婆さんのことを俺が知るはずもない。この婆さんが子どものころ、俺はこの世に存在してもいない。明らかな人違いだ。


 俺は「またまたご冗談を」と笑って見せたのだが、周囲の男たちは深刻そうな声音で「おおぉ」と慄いた。その場で膝をつき、俺に頭を下げたのである。


「し、知らずとはいえ大変申し訳ないことを!」

「どうかお許しを……どうか! 命だけは!」

「いやいやいや! そこまでしなくていいですから!」


 大人に囲まれて土下座される経験などあるわけもなく、謝罪されて満足とか以前に、ひたすらに居心地が悪い。


「エアリアル! ちょっと助け」


 たまらず部屋に振り返ってみても、そこには妖精のよの字も残っていなかった。薄暗い部屋に差し込む光に、塵が舞い散っているだけだ。


「また見捨てられた……」


 俺は平伏する男たちに囲まれながら天を仰いだ。乾いた笑いばかりがこみ上げてきた。

 ああ、こんなとき、魔法が使えたらな。



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