第8話「妖精どこいった」



 美しい景色だった。真っ白な世界だ。


 山肌も地面も一面に雪が張り付いていて、時折、岩の先端が顔を覗かせている。暴風が雪を蹴散らしながら駆け抜けて、そこにまた新しい雪が降り積もっていく。


 見るからに凍え死にしそうな景色を悠長に眺めながら、俺はざくざくと雪道を踏み割っている。


 最初のうちは物珍しさに心も躍り、足取りも軽やかだったけれども、いくら綺麗とは言え変わり映えのしない雪景色を眺めるのはすぐに飽きてしまった。


「エアリアルがいなかったら死んでたな、俺」

「恐縮です」


 俺の身体を、薄緑の透明な球体が包んでいる。何を隠そう、風の妖精であるエアリアルの魔法だ。


 これがすごいのだ。ビニール一枚程度の厚みにしか見えないのに、風も寒さも感じない。おまけに身体がどこか軽く、いくら歩いても疲れないときている。

 魔法、便利すぎる。


「ですが、私が魔法をかけずとも、プロスペローさまには容易いことでは?」

「あー、そうだな。今日は魔法を使いたくない気分なんだ」

「さようですか」


 俺はプロスペローとかいう魔法使いじゃなくてだな、といちいち訂正するのも面倒になって、適当に話を合わせてしまう。


 どうせこれは夢みたいなものだろう、と今でも俺は思っている。ただ、時間が経つにつれて、自分でも信用できなくなりつつある。


 夢にしては俺の想像力を超えているし、さっぱり目も覚めない。長すぎる。

 もしかして夢ではないのでは。その考えが何度も浮かんだ。俺は雪を踏むことだけに集中した。


 塔を出て、俺とエアリアルは山を下っていた。もう数時間は過ぎたはずだ。この山の麓にあるという、少女の住む村を目指している。


 食事を終えて、暖炉の火に横顔を照らされながら、「わたしたちは流民なのです」と、少女は言った。


 ––––私たちは祖国を持ちません。どの国でも、どの村でも歓迎されません。見捨てられた存在です。水が丘を下るように長い旅をして、ついにこの辺境に村を作りました。ですが、村のすぐ近くの洞窟に、サイクロプスが棲みついてしまったんです。


 少女の言葉を思い出しながら、俺はため息をついた。


 サイクロプス。RPGゲームでしか聞かない単語だ。一つ目のでっかいモンスターだっけか。それが村の危機というやつらしい。


「サイクロプスなんて現実にいるわけ……」


 と視線をあげれば、小人が宙に浮いている。妖精だ。


「なにかご用命でも?」

「……いや、なんでもない」


 妖精がいるんだ。サイクロプスだろうがオークだろうがいたっておかしくない。そういえば、塔の部屋で会った青白い顔の男には角が生えてたっけ。


「変な状況すぎる。誰か説明してくれ」

「あの少女の願いを、プロスペローさまが受諾なさいました。体力の消耗が著しかったために少女を残し、プロスペローさまが村に向かっております」

「ご丁寧にありがとよ。知ってる」

「もうすぐ村が見えます」

「それは知らなかった。良いニュースだ」


 景色は変化しつつあった。雪から顔をだす岩が増えはじめる。踏む足の感覚もゴツゴツと硬いものになった。


 やがて、エアリアルの言うとおり、岩だらけの道を縫うように進む先に、連なった家々が見えてきた。


 目標があれば足も早くなる。息を弾ませながら下っていくと、遠目に豆粒のように見えていた人の姿が鮮明になっていく。


 どうやら俺よりも先に、向こうの住人たちも気づいていたらしい。

 すでに人が集まりだしているようだった。手に槍や弓を握っている人も見える。物々しい雰囲気だ。


「あの子が言ったとおり、みんなサイクロプスに怯えてるみたいだな」

「はあ」


 やる気のないエアリアルの返事も今は気にならない。

 ようやく休める! 喉がカラカラだ。


「おーい!」


 道は平坦になっていく。俺は手を振りながら駆け寄る。


 村から数人の男達が走ってくる。


 武器を持っている。険しい顔をしている。


 おや? と思って足を緩める。


 男たちはあっという間にやってきて、俺を囲んで槍を突きつけてきた。


「……あれ?」

「あの雪嵐を超えて山の頂から降りてくるとは! 貴様、魔性のモノか!」

「黒づくめのローブに、ろくに荷物も持っていない! 人間のはずがない!」

「お前、まさか魔族か!」


 恐ろしい剣幕で怒鳴られ、俺は返事もできずに萎縮した。

 大人の男に囲まれて怒鳴られるだけでも恐ろしいのに、彼らは手に武器まで持っている。


「ち、違う! 俺は」

「喋った!」

「人の言葉を理解しているぞ! 気をつけろ! 呪いをかけられるかもしれん!」


 だめだ、こいつら興奮してやがる! 話が通じねえ!


「え、エアリアル! なんとかして……あれ?」


 頼みの綱であるエアリアルに呼びかけるが、返事はない。

 あたりを見回しても、妖精の姿はさっぱり消えていた。


「エアリアル? あの、エアリアルさん? もしもし?」

「虚空に向かって呼びかけ始めたぞこいつ!」

「と、取り押さえろ!」


 男たちが一斉に俺に掴み掛かってきて、俺はもみくちゃにされた。


「エアリアルお前、薄情者おおおお!!」

「し、静かにしろっ! この不審者め!」




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