第7話「あたたかい食卓」



「ほんとうに申しわけありませんでした……ッ」

「だから、もういいって。気にしてないから」


 少女は床に平伏し、頭も上げずにいる。

 俺は迂闊に女の子に触れるのもためらわれるし、なにを言っても遠慮されるしで、ほとほとに困っていた。


 どうにも手に余り、助けを求めてエアリアルを見やる。

 エアリアルは目をぱちぱちと瞬かせたが、ハッと表情を引き締めると、俺の意図を完璧に理解したとばかりに頷いた。さすが妖精だ。以心伝心を可能にするらしい。


「プロスペローさまはこう仰っています」

「ああ、そうだ。言ってやれ」

「お前の命で罪を償わせてやろう、と」

「そう、お前の命で––––って違うわ! どこの悪役だよ!」

「? 問題がございましたか?」

「正解がひとつもないんだよ! 逆に! ああああほら! 余計に怯えちゃったじゃねえか!」


 平伏していた少女はガタガタと震えていた。冗談として受け取れないほどに魔法使いという存在は恐れられているらしい。


 俺はエアリアルへ怒鳴るのをやめ、こほんと咳払いをした。

 少女の前に膝をつき、ちょっと悩んでから、その肩に手をかけた。


「わるい。驚かせたよな。こいつの言うことはただの冗談だ。場を和ませようとしたんだ」

「お言葉ですが、妖精は冗談を言いません」

「ちょっと黙ってなさい」

「……」


 こほん。


「俺はまったく怒ってないし、迷惑をかけられたとも思ってない。ただ、そうしてずっと頭を下げられてると、ちょっと困る。俺のためにも頭を上げて、落ち着いて話を聞かせてくれないか、な?」


 できるだけ優しく聞こえるように声をかける。それがどれほどの効果があったのかはわからない。

 いくらかの沈黙があって、少女はおずおずと、ゆっくり頭をあげてくれた。


「助かるよ、ありがとな。実はスープを作ってるんだ。よかったら一緒に飲もう」

「そ、そんな恐れ多い……っ!」


 そのとき、俺の腹がぐうと鳴った。まったく格好がつかないが、今ばかりは空気を和らげるのに役立つならなんでもありがたい。


「実は俺は腹ぺこでさ。きみはお腹すいてない?」


 笑いかけてみる。

 少女は戸惑うような、恥じらうような顔をして、小さくうなずいた。


「それはちょうど良かった。すぐに用意する。ほら、立って。ここに椅子がある」


 引っ張ってきた椅子に少女を座らせてから、棚に向かい食器を探す。

 陶器の深皿を2枚と、銀のスプーンが二本。少し考えて、小鉢と小さな木の匙をひとつずつ追加した。


 火かき棒で鍋を引き寄せて確認すると、スープには薄茶色の色味が付いている。透けるような脂が浮かんでいる。出汁が出ている証だ。

 木製のレードルで鍋をかき回すと、湯気とともに香りがわいた。深皿に注ぐ。


「エアリアル、これをその子に持って行ってくれるか。スプーンも」

「かしこまりました」


 エアリアルが指を振ると、深皿とスプーンは俺の手を離れてふよふよと浮かんだ。そのまま目を丸くして驚いている少女の眼前で止まる。

 少女はおっかなびっくりといった様子で、おそるおそる受け取った。


 その間に俺は小鉢にスープを注ぐ。


「これも頼む」

「どちらにお運びしますか」

「これはお前のな。あ、でも妖精ってスープ飲めるのか?」

「わたしに……?」


 エアリアルは急に身体をぎくしゃくさせた。幽霊でも見つけたように呆然としていた。

 野良猫が近づくようにおそるおそるとやってきて、俺が差し出した小鉢を覗きこむ。


「わたしも、いただいてよろしいのですか?」

「スープは嫌いか?」

「わかりません。試してみます」


 エアリアルが指を振る。スプーンと小鉢とが浮く。その中身からじいっと目を離さないままテーブルに向かっていった。

 その小さな後ろ姿を微笑ましく思いながら、俺は自分のスープを注ぎ、テーブルにつく。


「それじゃ、いただきます」


 まず俺が食べないと遠慮するだろう。という気遣いはもちろんあるが、それ以上に腹ペコだった。

 息を吹きかけてスープを啜る。火傷するほどに熱かった。


 いつの間にか身体の芯が冷えていたようで、腹から染みるように温もりが広がった。

 しみじみと美味い。少量の唐辛子が後味に刺激を残している。身体に熱が入るのが分かる。


 エアリアルは両手で抱えるようにして木の匙でスープをすくいあげると、それを魔法で浮かせて顔を寄せた。

 湯気に包まれ、「あちっ」と顔を逸らす。俺が飲む様子の真似をして、小さな口でふうふうと息を吹いている。


「ほら、君も飲みな」

「は、はい……いただきます」


 少女はおっかなびっくりスプーンを取った。


 目の端でちらと少女を見る。スープを少しだけ舐めると、その温もりに感じ入るように目を細めた。スープをすくう動きは早くなっていく。気に入ってもらえたようで何よりだ。

 俺は笑みが浮かぶのを隠すように、スープを啜った。


「味はどうだ、エアリアル」


 ちびちびと木の匙からスープを舐めている妖精に訊く。

 エアリアルは長い髪を両手で首元に押さえ、前屈みで首を伸ばした体制のまま俺を見上げた。


「味はよくわかりません」

「そうか。妖精にはまだ早かったか」

「ですが、ほっとします。不思議です」

「それが美味しいってことだよ」

「美味しい……なるほど。勉強になります」


 エアリアルは無表情のまま頷くと、再び木の匙に息を吹きかける。どうやら気に入ってはくれたらしい。


 しばらく三人でスープを飲んだ。息を吹きかける音、食器の鳴る音、小さく鼻を啜る音。窓の外では雪が白い線のように吹き流れている。


 俺にとってはまったく訳のわからない状況であるのに、なぜか心が穏やかになるような時間だった。


 やがてそれぞれにスープを飲み終え、俺と少女は改めて向かい合う。

 行き倒れていた少女は無事に元気になったようだ。命が助かったことは喜ばしい。それでめでたしめでたしとなれば良かったのだが、もちろんそうはいかないのだろう。


 ぴんと背筋を伸ばした少女はきっちりと膝の上に手を置き、深刻な様子で空っぽの深皿を見つめている。


「……なにか目的があってここまで来たんだろ?」

「は、はいっ」


 少女は肩を跳ねさせた。ぐっと息を詰めたかと思うと、真っ直ぐに俺を見上げた。


「まずは、こうしてお会いしていただけたことに、深く感謝申し上げます」

「だれか来たら出迎えるのは普通じゃないか?」

「ヒコ婆さま……村の長老が言うには、この塔に住む魔法使いさまのお姿を見たのは、五十年以上も昔のことだ、と」

「え、五十年以上も引きこもってんの?」


 とエアリアルに顔を向ける。空になった小鉢の中を覗きこんでいたエアリアルが、はっと姿勢を正した。


「人間の時間の感覚は分かりかねますが、こうしてプロスペローさまが人間とお会いなさるのは珍しいことです」

「なんで?」

「人が嫌いだと、常々おっしゃっておられたではありませんか」


 お前が言ったんだろと首をかしげられる。どうしてかエアリアルは俺のことをプロスペローと思い込んでいるのだが、俺はもちろんそうじゃない。だから言った覚えもないし、俺は決して人嫌いではない……と、思いたい。


「あの! 魔法使いさま!」

「うわっ、びっくりした」


 少女が急に声を張った。


「無礼を承知でお願い申し上げます! どうか、村をお救いいただけませんか!」


 少女は深々と頭を下げた。

 俺は戸惑うばかりだった。他人に村を救ってほしいと頼まれたのは初めての経験だ。 

 いや、だの、うぇぁ、だの、言葉にならない声と、手の置き場に迷う。


「そんなこと言われてもだな、俺は、っていうか、そもそも魔法使いってそういう仕事なのか? 困っている人を助けるっていう」


 助けを求めるようにエアリアルに話を向ける。

 俺の動揺っぷりに反して、エアリアルは澄ました顔のまま首をかしげた。


「プロスペローさまは以前、人助けなど愚か者のする仕事だ、と」

「どんだけ嫌なやつなんだよプロスペロー……」


 そんな人でなしだとは思わなかった!



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