第5話「着火こそ魔法」
気は動転している。スマホもなければ電話もない。だったら俺がどうにかするしかない。
雪山で凍えた人間の助け方を習った記憶はないが、とにかく暖めるべきだろうと推測はついた。
「エアリアル! 火だ! 火がいる! 火の魔法!」
「恐れながら申し上げますが、プロスペローさまが火を起こしますと、そちらの人間は灰になりましょう」
「俺は悲しいゴリラかよ。じゃあお前はできるか?」
「わたしは風の妖精です」
「じゃあ焚き火とか、暖炉とか、とにかくなんか燃やせる場所は!」
「それでしたら」
エアリアルのあとを付いていく。
人を横抱きにしたのは初めてだ。少女は小柄に思えたが、腕が震えるほど重い。意識のない人間の身体はこんなにも持ちづらく、重たいのだ。
そして今にもその命が消えかけているのかもしれないと思うと、胸が押し潰されるような重圧を感じた。
エアリアルは来た道とは反対の通路に進む。
長い通路を二度曲がり、奥まった扉のひとつを魔法で押し開いた。
窓もなく暗い部屋だったが、エアリアルが指を振るごとに、壁掛けの燭台に白い光が灯っていく。
照らし出されたその部屋は、古めかしい厨房だった。
壁には棚が並び、それぞれに麻袋や木箱に収まったワインの瓶、重ねられたいくつもの食器が詰められている。
正面の最奥に、壁から正方形にせり出した煉瓦作りの台があった。そこは鉄の台座が置かれ、金具に吊るされた大きな鍋がひとつ載ったままになっている。
囲炉裏と暖炉を合わせたような不思議な作りだった。
俺は部屋に置かれた作業テーブルの合間をぬって囲炉裏まで向かう。少女をそっと下ろす。とにかく火をつけなければならない。
囲炉裏台の下はトンネル型の空洞があって、そこに薪木が詰め込まれていた。
それを引っ張り出して、鉄の台座の下に放り込んだ。あとは着火させればいい。
「火、火、火!」
ライターでもマッチでも、と探しても、すぐには見つからない。
ここは厨房なのだ。どこかにはあることは間違いないが、それを探す余裕がない。
俺はエアリアルに顔を向け、薪に人差し指を向けた。
「エアリアル、火を!」
その時だった。指先に静電気のような痺れがはしったかと思えば、部屋中を照らすような業火が燃え盛っていた。
焼けるような空気が頬を撫でた。
俺は「火を」の「を」の形に口を開いたまま、呆然と目の前の異常事態を見ていた。
正方形の西洋囲炉裏とでもいうべきそこには、鍋が吊るされ、上には排気用の煙突がこしらえてある。その煙突の中に炎の先端が飲み込まれ、鍋は炎の中に埋もれていた。
一瞬にして異常なほどの火力が生まれたのだ。そしてそれを発生させたのは、俺であるらしい。火、と呟いただけで。
「さすがプロスペローさま。ここまで火力を抑えて火の魔法を扱われるとは」
「抑えてって、どう見ても大火事だろ……どんなやつなんだよプロスペローって」
悲しいゴリラに例えたが、ゴリラではまだ足りなかったらしい。
見るうちにいくらか火は弱まった。料理をするには強すぎるが、凍えた身体を暖めるにはちょうどいいだろう。
俺は手近な作業テーブルの上を片し、西洋囲炉裏の前に据えた。
地面に横たえていた少女をまた抱き上げ、そのテーブルに寝かせる。
「あとは、どうすればいいんだ? なあ、人を治す魔法は使えないのか?」
「わたしは存じ上げません。死者を屍として蘇らせ使役する魔法などは、プロスペローさまもよくご研究されていらっしゃいましたが」
「……すげえ悪役の魔法じゃないか? それ」
「お戯れを。プロスペローさまは悪の魔法使いとして名高いお方です」
「なんだよ悪の魔法使いって……中学生じゃあるまいし……しかしまあ、魔法がだめなら、あとは見守るしかないか」
火の中に薪を追加する。部屋の空気が暖かくなっている。
「あとは身体の中から温めるとして、スープでも作るか」
改めて厨房を見渡す。人の気配はまったくないが、棚には調理器具や食材が揃っているようだ。
それがかえって不気味でもあるが……なんで厨房に調理器具と食材があるんだよと怒るわけもない。
「プロスペローさまがお料理を?」
「なんだよ、意外か? これでも自炊歴は長いんだ」
ふっと記憶が見える。
ワンルームの狭いキッチンながら、そこで料理をする映像。どうやら俺は料理をする人間だったらしい。
「お言葉ですが、その人間が助かるかどうか分かりません。お手間が無駄になる可能性もあります」
「知らん。俺はこの子が目を覚ますと思ってる。だから作る。それだけだ」
俺は壁に向かう。そこには身を隠せそうなほど大きな瓶が三つ並んでいる。蓋をとると、中には水が並々と入っていた。
隣の棚には木箱が並んでいる。
端っこから覗いていくと、ジャガイモっぽい芋や、メロンほどもありそうな紫玉ねぎのような野菜、三角形のレタスなど、見たことあるような無いような、微妙に惜しい食材ばかりだった。
「不安がすごい……味見しながら試すしかないか」
俺はとりあえず見慣れた形に近しい野菜をぽいぽいと選び、腕に抱えて作業台に向かう。
と、空中で浮かんだまま、目を丸くしているエアリアルと目が合った。
さっきまでさっぱり表情の動かなかった妖精が、分かりやすく驚いていると、愛らしい雰囲気がある。
「なんだよ。プロスペローが料理をするのは不思議か?」
「……恐れながら。見返りなく他者のために行動することは、プロスペローさまがもっとも嫌悪するものでしたので」
「俺はプロスペローじゃないからな。ま、信じないんだろうけど」
作業台の上には広いまな板がある。
そこに食材を置き、壁に吊るされた調理器具から包丁を持ってきた。
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