第4話「あなたは誰? 俺はプロスペロー?」
慌てて部屋を出ても、ここは俺の知らない場所だ。
「階段はどっちだ?」
「階段はございません」
「階段ないの!? じゃあエレベーターでもエスカレーターでもいい!」
「申し訳ありません。その魔法言語を、わたしは存じ上げません」
「和製英語が魔法言語だって? どこのチートなろう小説だよ。ええと、あれだ、自動で昇り降りできる箱的な」
「箱で移動をなさるのですか? 人間とは不思議なことを考えるのですね」
「急に妖精との文化ギャップが出てきたな!」
異文化交流に感心してる場合じゃなかった。人の生き死にがかかっているのだ。どうしたら妖精に話が通じるかに頭をひねらせる。そうだ。
「普段の”俺”は、どうやって外に出てるんだ?」
「プロスペローさまは外出がお嫌いですので……」
「引きこもってんじゃねえよ!!」
思わず自分の太ももを引っ叩く。
「くっそ、でも確かに仕事辞めたら俺も外に出ないで生活するだろうな……インドア趣味がこんなところで問題になるとは……」
「……魔法をお使いになればよろしいのでは?」
苦悩する俺を見かねたように、エアリアルが言った。顔を見返す。どうしてそんな簡単なことに悩むのだろうとでも言いたげな表情だ。
「いや、だからさ、俺はプロスペローじゃないんだって。魔法なんて使えねえの」
「プロスペローさまのお戯れは、わたしには難しいです」
話が進まねえなあ!
俺は髪の毛をかき乱す。ええい、仕方ない。人命救助のためだ。
「わかった! よし、俺はプロスペローだ! ただ、プロスペローはいま、ちょっと事情があって魔法が使えない! でも下には行きたい! なんか方法はあるかな!?」
「こちらに直通の縦穴がございますが」
「それそれそれぇ! それだよ欲しかったの! 案内をよろしく!」
「はあ」
気の抜けた返事ながら、エアリアルは先導してくれる。俺は布のまとわりつくローブを揺らしながら必死に走る。
エアリアルが止まった。壁に正方形の扉が付いている。腰くらいの高さだ。
これはまさか、と思いながらも取っ手を握る。案の定。扉は上にズラすように開いた。
「……あー、うちのアパートの前にあるゴミ収集箱と同じ開け方な」
すんなりと出てきた感想。自分の口から出てきた例え話のはずなのに、脳裏に映像が浮かばない。ゲームをしようとして、テレビに何も映っていないのに、BGMだけが流れてくるような感覚。どこかでケーブルの接続がうまくいっていないかのような。
その感覚をいつまでも味わうことの不快感に耐えきれず、俺はかぶりを振った。とりあえず後回しだ。
壁の中にぽっかりと開いた穴に顔を突っ込む。
「わー、真っ暗……これってさ、通路っていうか」
「プロスペローさまは、不要になったものをこちらから階下に捨てておりました」
「だよね。これあれだわ。ダストシューターっていうやつ」
「魔法言語ですか?」
「たしかに強そうな魔法が撃てそうだけども」
穴は収集場に直結しているのだろう。一階まで繋がっている縦穴に間違いはない。問題は、ここは人が通るための場所ではないってことだ。
「……他にはないの?」
「ございません」
「階段がない家っておかしくない?」
「プロスペローさまがご自分でお塞ぎになられたではありませんか」
「ずいぶん気合の入った引きこもりだったんだな、プロスペロー」
「さすがでございます」
「褒め言葉じゃないのよ、今回は。困ってんだから、俺が」
「プロスペローさまは、ご自身で魔法を使わず、地上へ降りたいのでしょうか?」
「え、そうだけど」
なにか方法が、と振り向きかけて、身体がふわりと浮いた。
「申し訳ありません。わたしの配慮が足りないばかりに、お時間を浪費させました」
「––––あの」
エアリアルが人差し指を俺に向けている。ちょんちょん、と動かす。すると俺の身体は、俺の意思とは関係なしに浮き上がり、暗い縦穴の中に真っ逆さまに––––。
「ちょっとおおおおおおおおおおおおお!」
胃の中が持ち上げられるような浮遊感。
顔に感じる風。
耳元で風鳴り。
真っ暗闇の中で、俺はきっと、いや間違いなく落ちている。
ただ、何も見えない。
俺は叫んでいる。
風圧が口の中に入り込み、両頬が膨らむ。
これ––––死ぬ––––。
「地上でございます」
すぐ耳元で、エアリアルの囁き。
途端、腹をぐいっと引っ張りあげられるような重力の逆転。暗闇の中で上下左右も分からない。とにかく身体が一回転して、落下の勢いがすべて消えた。
そして足元に固い感触。
浮遊感が消えると同時に、俺は地上に立っている。手が震えている。体内が浮つくような感覚が気持ち悪く、身体を抑え込むように腕を組む。足はすぐに動きそうにない。棒のように直線で固まっている。
結果的に、俺は仁王立ちをしていた。
俺は上を見た。真っ暗な穴がひたすらに続いている。
生きている。
「––––生きているってのは、素晴らしいことだ」
「深いお言葉です」
声に顔を向ける。真横にエアリアルが浮いている。
急に何をするんだと、怒るべきのような気もしたが。心は奇妙な面持ちだった。死を乗り越えたことで、俺は安息を見出したに違いない。
んなわけあるか。放心状態すぎて言葉が出てこないのだ。
「……無事に降りられた。ありがとう」
「! ……もったいないお言葉です」
エアリアルは目を丸くしたが、恐縮したように頭を下げた。
よし……これで友好度が上がっただろう……なんだよこの妖精……いつでも俺のこと殺せるってことかよ……怖すぎるだろ……ちゃんと友達になっとこ……。
半ば呆然としたまま、俺はゆっくりと足場を探る。壁の上方に長方形の隙間がある。そこから差し込む光だけが頼りだ。
ゴミ捨て場に違いなく、髪や麻袋や本、木の板や箱からガラス瓶まで、あまりに雑多なガラクタに溢れて足の踏み場がない。
「分別しろよな……紙類もビンも資源ごみだろうが……」
ぶつぶつ言いながらもなんとか固い床に降りる。扉がひとつある。開くと、目を細めるほどに明るい通路に出た。円形を描くような曲線状の壁は上と変わらない。しかし壁一面と言わんばかりに窓が続いていた。雪に埋もれて真っ白だ。
「どっちだ?」
「こちらです」
再びエアリアルの先導で廊下を行く。いくつもの扉を行きすぎて、大広間とでもいうべき場所についた。
塔の形をそのままに、円型の広間は三階までの吹き抜けになっている。見上げるほど高い柱が並んでいる。螺旋状の階段が壁沿いに繋がっているのも見える。
あちこちに窓があって、白く柔らかい光が広間を照らしていた。右手側には白く、見上げるほどの彫像が何体と並んでいる。さながら海外の大聖堂かのようだが、像は腕が欠け、胴体から割れ、手入れもなされずに廃墟の様相だった。
「……なんだ、ここ」
誰かが、何かの目的を持って作ったことが分かる。人の意思、文化の残滓を見てしまうと、俺はますます混乱する。決して夢ではない。これは現実だ。自分以外の人間がいる世界だ。
「プロスペローさま」
呼びかけに意識が引き戻される。
エアリアルが中に浮かび、道を示している。
広間の奥に位置する像たちから真っ直ぐ伸びた赤い絨毯の先に、この塔で見たどれよりも大きな扉があった。ひと目で正門と分かる。
俺は扉にかけ寄った。すべては後回しだ。まずは扉の向こうで倒れているかもしれない人命を救助しなければ。
近くで見ると扉の表面は青白く光り、透明な膜に覆われている。
おそるおそる、扉をつつく。人差し指が触れた場所から波紋が広がった。
「封印を解除なさいますか?」
「封印。封印ね。解除しようじゃないか」
「では扉に手を当てて解除のルーンを」
俺は扉に手の平を押しつけた。波紋が連なるように広がった。熱くも冷たくもない。
俺は口を開き––––
「解除のルーンって何だっけ? ド忘れした」
「……アペリエンス、と」
「アペリエンス」
呟く。すると手のひらから衝撃がはしった。水の膜が無数の水滴となって弾ける。その現象を自分が起こしたということが信じがたく、俺はいくらか呆然とした。
「……小学生のころは魔法使いになりたかったな」
思わず呟いてから気を取り直し、俺は扉を押す。びくともしない。
「なんだよ! 封印解けてねえじゃん!」
「プロスペローさま」
「こんどはなんて唱えればいい!」
「手前に引いてください」
俺とエアリアルの間に気まずい沈黙が漂った。
「……」
俺は何も言わずに、取手を探した。複雑に隆起した装飾に埋もれているせいで分かりづらかっただけで、金属の取手がちゃんとついていた。
握って、引くと、あっけないほど簡単に扉は開いた。
わずかな隙間から、頬を刺すような風が雪を舞い散らしながら飛び込んだ。
扉がぐっと押される。それは雪風のせいではない。もっと重たいものだ。
隙間が広がり、黒い影が床に転がった。それは人に違いない。扉にもたれかかっていたのだろう。
その倒れ方はあまりに柔らかく、受け身も何も気にした様子もなかった。一目で意識がないと分かる。もしかすると命すらない、ただの物体なのかもしれない。
その想像が脳裏をよぎって、俺は「ひぇ」と飛び出そうとした悲鳴を喉で押しとどめた。
「お、おい! 大丈夫か!」
その場で膝をつき、倒れている人に手を伸ばす。
黒い外套で頭から脚までを覆い、足元は黒い毛皮を張り合わせたブーツ。黒づくめの身体には真っ白な雪が降り積もっている。どれほどの時間、外で座り込んでいたのだろう。
俺は雪を払い落とし、うつ伏せに倒れた身体を抱き起こした。何の抵抗も感じられず、抱き起こした腕の中で頭がこてんとのけ反った。
目を奪われた。
覗くように見えた顔立ちは、目を閉じていても彫刻のように瑕疵ひとつなく整っていた。墨のように黒い長髪に、肌は透き通るように白い。本来は紅いはずの唇が色を無くしている。それがますます、作り物めいた様相を見せる。
「……おい。おい!」
こんな状況で見惚れていたことに気づく。誰ともない罪悪感を覚えた。誤魔化すように声を張り、抱えた身体を揺さぶる。
何度か繰り返すと、少女のまつ毛が微動した。
瞼が薄く開く。そこに見えたのは、こがね色の瞳だった。
焦点も合わぬままにその瞳は俺を見つめた。そしてハッと強く意識を取り戻したかと思うと、分厚い防寒用のミトンで俺の腕に縋りつき、頭を持ち上げた。
「––––あ、たが……ま、ほうつ…いさ…ま、です……か……?」
か弱く、息も絶え絶えに少女は言う。
魔法使いさまですか。
そう言ったに違いなかった。
もちろん、俺は違う。俺は魔法使いじゃない。会社員だ。
しかし今にも死にかけそうな少女に、縋りつくように尋ねられて、違うと言える男がいるだろうか。
「––––そ、そうだ! 俺が魔法使いだ! だからしっかりしろ!」
言うと、少女は顔を歪めた。小さくうなずき、目尻からたったひと滴の涙をこぼした。
「……よか……った……どうか、わたしたちを……村を、お救いくだ……」
そして意識を失った。だらりと垂れ下がった腕に力は感じられない。
俺は慌てて少女を抱き上げた。
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