第3話「ははーん、さてはビビってんな?
山羊角の男の顔はますます青白くなったが、目元だけに赤みが差した。
俺は自分で言ったにも関わらず驚いていた。今までの人生で口にしたこともない悪言がすっと出てきたのだ。まるで自分の口ではないみたいだった。
真っ向から他人と対立することを選んだのは初めての経験だ。
しかし相手の言葉や態度にただ言いなりになるよりも、ずっと気分が良かった。
男は刺すような目つきで睨んでくる。俺は堂々と立って見返す。
それができるのは、目深に被ったフードと、全身を覆っても余りあるローブのおかげでもあった。
相手の視線を遮るものが一枚あるだけでも、小心者の心は和らぐ。
「……本来ならば八つ裂きにしたところだが、貴様はまだ客じッ……」
男は底冷えのするような声で呟いたかと思うと、突然肩をびくりとさせて背後を振り返った。
暖炉の中で丸くなって燃え盛る蜥蜴が尻尾をたしんと鳴らしたのだ。
「……紛らわしい使い魔だ」
明らかにビビったことを誤魔化すように、山羊角の男は俺を睨め付けた。
……いや、俺のせいなのか?
「当然ながら我が主からの書状は読んだろう。私はその返事を貰い受けるためにファッ」
ガタン、と窓が風に揺れた。
山羊角の男は咄嗟に半歩引いて身構えた。そして青白い顔で俺を見据える。
「……」
「……なんだよ」
何かを警戒されるような態度をされても、俺だって困る。
「もしひとつでも魔法を使ってみろ。我が主がお前を奈落の闇に沈めるだろう……」
脅すの口調のわりに、山羊角の男の声はかすかに震えていた。
明らかに怯えられているのだが、俺にはその理由がさっぱりわからない。
互いに見合い、何も言わない時間。
山羊角の男は眉間に皺を寄せ、「まあいい」と吐き捨てるように言うと、なめらかな漆黒の外套を跳ねのけた。俺に向かって手を差し出す。
俺はそれを見つめる。
わずかな間。
「……よもや、返事を用意していないのか? 畏れ多くも我が主のお言葉に否やを返すつもりか」
勝手に空気読んで答えを決めるんじゃねえよ。日本人かお前は。
我が主の書状とやらを知らないのだ。返事もなにもあるわけがない。
この青白い顔をした山羊角の男は、妖精と同じようにプロスペローとかいう男と俺を勘違いをしているに違いない。
だったら話は簡単だ。人違いですと答えたらいい。プロスペローは俺じゃないのだ。
しかし、俺はめざとく気がついていた。
男がマントを跳ね上げたとき、隠されていた身体が見えた。黒い軍服のようなものを着ていた。そして腰には明らかに西洋式の剣が吊り下がっていたのだ。
他のあらゆる疑問を吹き飛ばして、明確なほどの事実が俺の頭を埋め尽くした。
目の前の、それもちょっと敵対してしまった男は(しかも山羊の角が生えてる)、凶器を持ち歩いている。
おそらく頭が固い。真面目だとか頑固とかではなく、自分の都合に沿わない事実を許さないタイプの人間だ。
そういう相手との仕事を請け負ったことがある。本当に面倒だった。ちょっとした報告であっても、自分の不利益に繋がるのではないかと詰めてくるし、話し合いではなく交渉やディベートによる勝ち負けに持ち込もうとするのだ……そんな記憶がふっと浮かんで、すぐに消えてしまう。
「……もちろんそんなつもりはない」
逡巡のあとで、俺は話を合わせることに決めた。
俺はプロスペローではないという打ち明け話をしたところで、ではまた来ますと帰ってくれるタイプでないことは明白だったからだ。
「そうであろうな。であればこの場でその首を切り落としてやったものを」
自分そのものか、あるいは立場や権力に自信があるがゆえの傲慢さが、ひしひしとこちらにまで伝わってきた。
ただ、先ほどの異常な怖がりっぷりを見ている。男の態度がある種の虚勢……痩せ我慢だということも分かる。
話を合わせることにしたとはいえ、言いなりになってしまうのは良くない。
態度は柔らかくも、譲れないところは絶対に譲ってはいけないのが鉄則だ。
「だが、すぐに答えを出すわけにもいかない……」
ええと、なんか都合のいい言葉はないもんか。
「そう、重要な案件だからこそ、しっかりと検討をして進めていきたいものだ」
どこで聞き知ったのか分からないが、これはなかなかの言い回しだ。
検討する。決して否定的ではないし、前向きに進めているようなニュアンスまである。とりあえずこの場を濁すには最適だろう。
山羊角の男は忌々しそうに鼻を鳴らした。
「本心を明かさぬが魔法使いか。だがいつまでも霞のように決断を浮かすは許せぬぞ。それを忘れないことだな」
途端、男がマントを掴んで回転したかと思うと、黒い煙になる。窓が勝手に開け放たれ、白い雪風の中に飛び出して行った。
きぃきぃと窓が揺れている。俺はぽけっと窓を眺めている。
「あいかわらずの飄々とした態度、さすがでございます」
妖精が俺の顔の横にふわりとやってきた。
「……なにがなにやらさっぱりだ。誰だよ、あれ」
「四塔が一つ”黒山羊”を統べる者の使者でございます」
「分からん。もっと別の言い回しで」
「助力を嘆願しに来た取るに足らぬ脇役です。名前も知りません」
「きみ辛辣すぎじゃない?」
小さい身体の中に鋭すぎるナイフが詰まってるらしい。ちょっとビビっちゃった。
「なにか?」
妖精は平然とした無表情で俺を見返している。
「……きみ、名前とかある?」
「まさか、お忘れに? こんなに長くお仕えしておりますのに、哀しゅうございます」
妖精はしゅんと眉を下げてしまう。
形は小さくても、見目は女の子だ。悲しんでいる女の子を前に、俺はどうしたらいいのかさっぱり分からない。
「いや! まさか! お、覚えてる! ただ、ちょっと聞き直したいというか、確認したくなったというか。決して忘れたわけじゃないから、悲しまないでくれると助かるんだけど」
「冗談です」
けろっとした顔で妖精が言う。
「…………」
「ちなみに、エアリアルと申します」
「……そっか。可愛い名前だね」
「恐縮です」
わけの分からん場所で、わけの分からん不審者に絡まれ、わけの分からん妖精にからかわれている。
なんだ、これ?
悩むのもバカらしいほど肩の力が抜けた。
でかいため息をつく。いくつのもの雪が目の前を舞っている。開け放たれた窓から風が吹き込んでいる。
雪。雪を見たのは、何年ぶりだろう。
ふと浮かんだ疑問に答えは出ない。俺は窓辺に歩み寄り、手を伸ばして窓を閉めた。
「……腹、減ったな」
おかしなもので、こんな状況でも食欲は引っ込まないらしい。お腹をさすると、ぐぅと返事がある。
「なあ、エアリアル。ここって飯ある?」
「もちろんございます。ですが、その前にご裁量いただきたいことが」
俺が首を傾げると、エアリアルもまた真似するように首を傾げた。
「実は今朝、地上の扉を叩く者がおりました。使者の来訪が重なったので後回しにしておりましたが。どのように対応いたしましょうか」
「……それは、どうしたらいいんだ?」
「プロスペローさまのお心のままに。ただ、扉を叩く音が止まってずいぶんと経ちます」
「なるほど、留守だと思って帰ったのか」
「扉の前から動く様子がございませんので、凍死したのではないかと」
「あ、そっちね」
ははは、と笑ってみる。
「って、笑いごとじゃねえよ! すぐ行くぞ!」
「かしこまりました」
俺は部屋を飛び出した。
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