私と、霧が立ち込めるMisskey.ioの話
Misskey.ioのローカルタイムラインの表通りが霧に包まれたのは2023年7月2日の朝のことだった。街行く人など全くおらず、通りはただただ静かだった。街のビルに設置されたデジタルサイネージは真っ暗で、いつもなら「かわいい」「かわいいね」とカスタム絵文字が送られるイラストも、超絶技巧を凝らしたblobcatやツチノコ村上さんのぬいぐるみの写真も、何も映っていない。歩道も車道も誰も通っていない。音さえ立ち込める霧に吸い込まれているようで、Misskey.ioの街が丸ごと黙り込んでいるようだった。
私は独り、表通りに面するカフェテラスの、誰ひとり座っていないテーブルの群れの只中に突っ立っていた。いつもなら一緒にいるはずのショートボブに丸眼鏡の「ミスキーガール」や、カスタム絵文字を撃ち出すライフルを持った「リアクションシューター」も、このカフェテラスの店主の姿も、見えない。
そもそも私はどうやってここに来たのだろうか。記憶が全く判然としない。その日の午前六時ごろ、Misskey.ioの同時接続が初めて一万人を超えたあたりまでは憶えている。それ以降から、ぼんやりとしていて――。
「あんた、今年の三月頃からいたミスキストだな」
突然背後から声をかけられ、私は驚いて振り向く。そこには、虹色のグラデーションの生地に白い四角の模様をあしらった、まるでMisskeyの初期アイコンのようなTシャツを着た男が立っていた。
「貴方は?」
私の質問に答えもせず、男はこちらに近づいてきて、つま先から頭まで私を眺めまわしたあと、訊いてきた。
「支援はしたか?」
不躾な訊き方だったが、文脈で何が訊きたかったのかは分かったので、私は素直に答えてしまう。
「……もちろん。ミス廃で」
そのとき、私の脳裏に記憶がよみがえった。ここに来るまでの間にMisskey.ioに何が起こったかの、記憶。
「そうだ、村上さんが同接一万人にあわせてサーバーを増設して、それがあまりにも壮絶だったからFANBOXによる寄付の額をミスキストからミス廃にしたんだ。FANBOXになった理由も憶えてる。原因もよく分からぬままMisskey.ioのPatreonアカウントが停止されてしまったんだ」
私が話している間、男は無表情にこちらを見つめていた。その姿に、私はまた大切な記憶の続きを思い出して、自分で戦慄する。
「そうだ、Twitter! Twitterのタイムラインがどこもかしこも読み込めなくなって、それで利用者が、どっとMisskeyのあちこちのサーバーに押し寄せて」
私はそのとき、自分の体から血の気が引いていくのをはっきりと自覚した。ローカルタイムラインの表通りに広がる真っ白な光景に、めまいさえ感じながら。
「じゃあこの霧は」
私が表通りから男のほうへ振り向くと、男は鷹揚に首を振ってみせた。
「俺たちのせいじゃないぞ。あの宇宙大好き電気自動車メーカーのCEOのせいだ」
そう言って、男は表通りのはるか向こう、ビル群の風景の消失点のほうを眺める。
「サーバー遅いなあ」
通りの向こうから地鳴りが聞こえてくる。私は眼鏡を押し上げてじっと遠くを見る。そこでは、道路を飲み込むようなノートの奔流が、「サーバー遅い」「運営無能」「村上ではなく村人」など、それ以外にも目を覆うような罵詈雑言を載せて押し寄せてくるのが見えた。
「おい」
私は隣にいる男の襟元を無意識につかんでいた。
「おいやめろ!」
私が男の鼻先まで顔を近づけてすごんでも、男はいっこう気にもならない様子だった。
「構わないだろう。サービスを提供する人間の過失なのだから」
「ここは個人の運営するサーバーだ、言うなれば『村上さんの家』なんだぞ、その家のルールも知らずに好き勝手なんてするんじゃない!」
私は喉が切れそうなほどに叫んだ。すると男は、私の髪をつかんで、鼻と鼻を突き合わせて、こちらを睨みつける。
「Twitterというのは凡庸な俺たちが物語の主人公になれるドレスのようなアプリだった。それを億万長者に台無しにされてみろ。代わりになりそうな使いやすいアプリがあれば藁をもつかむ思いですがるに決まってる。怒りで暴動を起こさないだけでも褒めてくれ」
男の論理の傲慢さに私の指は震えて、男の襟を手放さないようにつかみ直す。
「いままで無料でそのドレスを着ていられたのが大きな間違いだったんだ。私たちはようやっと対価を払ってインターネットを利用する知恵をつけた。それも資本家に搾取される対価ではない、資本家からインターネットを護るための対価だ」
私はそこまで言って男を突き放し、迫るノートの津波を指さした。
「いますぐこの津波を止めろ!」
男はそれでも鷹揚な態度を変えずに、ゆっくりと首を振る。
「止めようったって完全には止まらんよ。村上さんとやらはSNS運営という重大な責務を負った。彼の承認欲求は俺たちを支配下に置くことで解消される。支配される限りはこちらもできうる限り好き勝手させてもらうということさ」
その言葉に、私はぶんぶんと勢いよく首を振った。
「支配しているんじゃない、ただ村上さんは」
「ただ?」
はじめて首を傾げた男に向かって、私は震える唇で言った。
「みんなと仲良くしたいだけなんだよ」
私は表通りへと飛び出し、津波に向かって両手を広げた。無駄だと分かっていても、それを止めたいという気持ちが勝った。罵詈雑言のノートの津波が、体を飲み込み八つ裂きにするのを感じながら、私は気絶していった――。
「ねえ、大丈夫?」
声をかけられて気がつくと、私はカフェテラスのテーブル席に座っていた。夜、濃い碧色の空にエメラルドの月が昇って、いつも通り平穏な、しかし少しだけ以前より混雑がひどい、Misskey.ioのローカルタイムラインの表通りに面した場所。
テーブルを挟んで目の前にはショートボブに丸眼鏡のミスキーガールがいる。たしかに聞こえた声は彼女のものだった。
「津波は?」
私がミスキーガールに訊くと、彼女は怪訝そうに首を傾げる。
「津波?」
「この表通りに罵詈雑言のノートの津波が」
私が言うと、ミスキーガールは眉尻を下げながら微笑んで、優しく首を振った。
「悪い夢でも見てたのね。大丈夫、もう心配ない」
Misskey.ioは今夜も街を行き交うミスキストたちを揺り籠のように守ろうとする。たとえ十数倍に同時接続が増えても、登録ユーザーが二十万人を越えようとも、マイクロブログ型SNSは人々の寂しい心を電子の抱擁で温めて、眠るまでの悩ましい夜の孤独を慰めてくれるのだった。
カフェテラスMisskey.io 小林素顔 @sugakobaxxoo
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