第4話
「いや、正確には、焙じ茶ゼリーかな。卵は使ってないし、ゼラチンで固めるからな」
プリンとゼリーの違いを知っている。
「もしかして、支店長が作るんですか?」
違いを知っているなら、作ったこともありそうだ。
「そうだよ。誰か作ってくれたらいいんだけど、そういう人はいないし」
今まで仕事が忙しくて、海外赴任前に付き合っていた人と別れてからはずっと独りだそうだ。
将来有望な男性なのだから、ちょっとその気を見せれば色々寄ってたかってくるとは思うが。
「中岡さんは、これから誰か来るの?」
「え? 誰も来ませんよ」
急須を買ったので、来客があると思われたのだろうか。
これは自分用だと説明する。
説明して、寂しい人間だと思われやしないかと変な気を回したが、支店長はふうんと相槌を打っただけだった。
商店街を抜けて大通りに出ると、お城の桜祭りに向かう人の波ができている。
それに逆流するように、二人で歩道を歩き始めた。
よく思い出してみれば、支店長とは同じ転勤族なので社宅マンションも一緒だった。
ここは腹を括って、帰宅までそつなく会話をして好印象を残しておけば、後々の人事や何かの査定の時に……と打算的なことを考えたが、そこでふと、部屋を出てきた時に日焼け止めだけ塗ったすっぴんだったことを思い出した。
すぐ帰ってくるつもりだったし、会社の人に会うと想定はしていなかったのだ。
休日にまで化粧するような気合いの入った女子生活をしていないのが裏目に出た。
こうなれば、と腹をもう一括りするしかなかった。
大通りを抜けるとマンションはすぐ見えてくる。
「近藤さんを覚えていますか?」
不意に知っている名前が出た。
ダイバーシティ推進の部署にいた時の上司だ。今でも気に掛けてくれてたまに連絡をしてくれる。
自分も総合職なので、あんな風に仕事もできる人になりたいと憧れる女性だ。
支店長は彼女の後輩だと言った。
「何年か前に池田のことを聞かれたんだ。彼は僕のいた部署の後輩だったんでね」
急に元彼の名前が出てきてどきっとした。
「君達が付き合っていると聞いて、先輩から見て池田はどういう男か、近藤さんに尋ねられたんだ」
仕事はそこそこだが、人当たりはよく、懐に入るのが上手いのでサブ的な立場で商談や会議に連れ回されることが多かった、と割と辛口な評価を口にした。
「近藤さん、君のことを心配していたよ」
元上司の厚情に一瞬目が潤む。
まだ同棲する前に、彼とのことで相談に乗ってもらったことがあったのだ。
そういえば、近藤さんはよくよく考えるようにと助言をしてくれた。
「まだ付き合ってるの?」
言葉が喉の奥に詰まって咄嗟に出てこなかったので、頭をぶんぶん振った。
「……別れました。この間女の子が生まれたって、同期からメールがきました。彼、若い子が好きだから、今頃最もぴちぴちの
さすがにあいつも育児に悪戦苦闘しているだろう。
今まで泣かした女性の数の分、振り回されたらいい。
よろしく、娘ちゃん。
「そうか……ごめん」
支店長は罰が悪いのか、首を何度も摩った。
マンションはもう目の前だ。
エントランスに入る前に、支店長が足を止めたので私もつられて立ち止まった。
「あのさ、焙じ茶プリン、食べに来る?」
突然の申し出に驚いて顔を上げると、支店長の耳が真っ赤になっていた。
それが、私にも移って顔に血が昇る。
「あ、あの、私タルトフロマージュ作ったんです。もしよかったらそれも一緒に食べませんか?」
風が吹いて、散った花びらが舞い上がる。
遠く、お城の桜祭りの会場から今度は『ラディツキー行進曲』が鳴り響く。
私達は頷き合って、マンションの中へ入って行った。
おわり
タルトとプリン 大甘桂箜 @moccakrapfen
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