第3話

 足を止めたが、ここで買おうか迷っていたので、周りがよく見えていなかった。


 なので、ぶつかられた時は思わず声を上げてしまった。


 ぶつかったのは、ふざけ合っていた若い男女だった。

「あ、ごめんなさあい」

「すいません。よく見て歩けよー、お前さあ」


 派手な出立ではあったが、ぺこぺこときちんと謝ったので、私も大丈夫ですとすぐに返した。


 立ち去る二人の後ろ姿は危なっかしいが、男性が女性の腰に腕を回して何かあれば守ろうとするのが見えた。

 仲が良さそうで少しだけ羨ましい。


 あんな時もあった。

 でも、今はその時のことですら思い出すときりきりする。


 ずれた歯車は二度と噛み合うことはなかったが、その歯車は止まったまま錆びてしまってもいるらしい。わずかでも動けば軋む。


「入らないの?」

 考え事に集中していたので、店前でずっと立ち止まっていた。

 声を掛けられて、そのことにようやく気づいて、立ち塞がっていたことにすみませんと頭を下げた時だった。


「どうしました、中岡さん」

 下げた頭を上げて、更に首を曲げて見上げた。


「支店長」

 トレンチコートを着た背の高い男性は、昨日も会った芳沢支店長だった。


 いつもは後ろに撫でつけている前髪も今日は垂らしていて、どことなく若く見える。

 といっても、まだ三十代で若いことに変わりはないが。


「君もお茶を買いに来たのか?」

「あ、私は急須を」

 その時、店の奥から白髪の女性が出てきていらっしゃいと声を掛けてきた。


 支店長はこの女性と顔見知りのようで、女性は耳が遠いのか、少し大きな声でお久しぶりですと話しかけた。


 そして相談をしながら焙じ茶を買って、こちらを見た。

「君は急須だっけ?」


 ここで買う予定ではなかったのだが、そう振られたら断りづらい。


 成り行きで、小さな波佐見焼のちょっとおしゃれなデザインのものを買った。


 当初の予算よりオーバーではあったが、何となく惹かれるものがあるので、まあ良しとする。


 老女に見送られて店を出ると、二人して肩を並べて商店街を歩き始めた。


「焙じ茶、お好きなんですか?」

「ああ。焙じ茶は香りもいいし、それとプリンを作ろうと思って」


 焙じ茶を牛乳で煮出して、そこに蜂蜜とゼラチンを混ぜて容器に入れて冷やし、カラメルをかけるという。


 香り高く深い味わいのある焙じ茶と牛乳のまろやかさ、カラメルのほろ苦甘い味が合わさると、コクが出て美味しそうで、想像しただけではあるが口の中に唾が湧く。


 確か支店長は独身のはずだ。

 彼が作るのだろうか。それとも、誰か作ってくれる人が家で待っているのだろうか。


 芳沢支店長はまだ若いが、海外支店の勤務を経てからすぐに地方支店の支店長になり、数年後には本店に戻るだろうと見込まれている。


 仕事はできるし、顔もいいので、若い女性社員の憧れの的だ。


 そんな人が、一人で休日に焙じ茶プリンを作ったりはしないだろう。

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