n歳のサマーソーダ

だめこ

n歳のサマーソーダ

ホームメディア機器に組み込んだモーニングルーチンと、窓から差し込む太陽が、5月初頭の今日が夏日になることを伝えていた。

三度寝を決め込んだ私の頬を、初夏の涼やかな風が撫でる。この時期がいちばん過ごしやすく、気持ちがいい。

ふと窓の外に目をやれば、気持ちが良いほどの快晴だ。布団を干すのにも丁度いいかもしれない。


真っ青な空を眺めつつ、夢うつつのまま私は過去の記憶を思い返す。

もうおぼろげで、はっきりとしたことは思い出せない。それでも、忘れてはならない記憶であり、思い出すたびに胸を締め付けられるような気持ちになる、そんな記憶。


あれは何なんだろう。抜けるような青空と、夏の日を受けて輝く緑。汗ばんだように結露するソーダの瓶。そして…。

うとうとと、夢と思い出の狭間を漂う私を現実に引っ張り返すようにチャイムが鳴る。


「すいませーん!サガミ急便です−!」


何か買ったっけか、と寝ぼけ眼をこすりながら玄関に向かう。

住所を確認し、受け取りのサインを書く。ザッシタ!と威勢のよい挨拶をするお兄さんを見送り、私は部屋に戻る。


メガネをかけないままでは住所もよく見えない。

よもやこの私に送品詐欺などということを目論むような輩も居ないだろう。開けてしまえ。


「…あっ」


そこに入っていたのは、2本の空のソーダ瓶と、一通の手紙。

差出人を確かめる必要もない。ソーダ瓶のかすれた文字と少しかけた瓶の底。

それは、私が思い出したくても思い出せなかった、夏の思い出のひとかけらと約束だった。


───────────────────────────


14歳の夏休みに、私は家出をした。

きっかけこそ覚えていないが、おおかた私のことだ、やれ宿題をしたくないだ、遊びに行きたいだ、なんだかんだとくだらない理由で両親と喧嘩をしたのだろう。


かばんに、なけなしの小銭をつめこんだ財布と着替え、そしてゲーム機かなにかをつめて家を飛び出し、てきとうなバスとてきとうな電車に乗ったのだった。


結果からいえば、電車で2〜3時間かかる祖母の実家に奇跡的に転がり込むことに成功し、そのまま祖母のはからいもあって、両親が迎えに来る数日ほど預かってもらったのだった。


さて、祖母の家に転がり込んだのはよかったのだが、祖母の家のあるあたりは、夜の8時には真っ暗になるほどの田舎だった。

当然、14歳の私からしてみれば面白くもなんともなく、わずかに1日で家に帰りたくなったようなことは想像に難くない。


そんな折、どこに行くでもなく祖母の家の裏手にある山をうろうろとしていたときのことである。


そいつは、河原で石を拾っては捨て、拾っては吟味して捨ててを繰り返していた。

初めてみたときは変なやつがいるな、と思って見ていたが、5分しても10分しても同じようなことをしているもんだから、私はいてもたってもいられず、つい声をかけてしまったのだった。


最初、どこから声をかけられたのかわからずきょろきょろとしていたけれど、私を見てからは、まるで妖怪でも見るような目をしていたことを思い出す。


「…誰?」


「いや、あの、えっと…その…」


無理もない、こんな田舎だから多分声をかけてくる人は全員知り合いだろう。

そうだと思ったら見たこともないやつでは「誰?」と聞きたくもなる。


「あ、そう、えと、その石どうするの?」


「何って、水切りだよ」


水切りと聞いても、田舎になど行ったこともない私からは食器洗い乾燥機の水切りカゴしかでず、余計に首をかしげる。


「なんだ、見たことないのか?こうやってさ…」


そういって、そいつは石を足元に置き、ひとつを手に取る。

ぴゅっ、という小気味の良い風切り音と共に手を離れた石は、水面を3つ4つと跳ねていった。


「石を投げて水面を切るんだよ。石にもよってさ、なかなか難しくて…」


「すっご…」


都会生まれ都会育ちの私にとって、それはもはや魔法かなにかのようだった。

スポーツ自体は嫌いじゃなかったけど、近くにそんなことができるような場所なんてなく、だいたいスポーツクラブに入らないとできないことだったからだ。


「えっ、それどうやってやるの?!てかやば、めっちゃかっこいいじゃん!」


そいつにしてみれば、できて当たり前のようなことに食いつかれたことに気を良くしたのだろう。石拾いから懇切丁寧に教えてくれた。

出来事は忘れていても、経験値は忘れないもので、なんだかんだ今でも水切りは得意である。そうか、私のルーツはここだったんだな。


そいつにしてみれば、この田舎で同年代もそうはおらず、話が合う人も少なかったというのもあったのかもしれない。私達は数時間であっという間に仲良くなった。

─────────────────────────────────


「ほら、やるよ」


突然の夕立にかけこんだ、つぶれかけの駄菓子屋で、そいつは一本のソーダをくれた。


「えっ、で、でも私お金持ってないし…」


「なんだ、気にすんなよそんなこと!だってほら、その…友達だろ?」


口に出すとなんだか小恥ずかしいけれど、その一言がとても嬉しくて、もごもごとしながらも受け取って一気に飲んだ。


「なぁ、お前さ、その…いつまで居るんだ?」


「多分、明日か明後日くらい」


こんなに仲良くなれるなら、一週間くらい居させてくれと直談判してもよかったかもしれない。

何かを考え込むようにしていたそいつは、地面を見たまま話し始めた。


私以上に、そいつがここに居られる時間が短いこと。明日には引っ越しをしないといけないこと。ここにもう一回戻ってこられるかはわからないこと。


「あのさ、その…今日、めっちゃ楽しかった。だからさ、その…約束したいんだ」


ソーダ瓶を突き出して、そいつは私の目をまっすぐ見て。


「俺がここに帰ってきたら、もう一回会いに来てくれるか?」


私は笑って、そいつの突き出したソーダ瓶へ、私の瓶をかつんとぶつける


「きまってんじゃん」


じゃあさ、約束としてこのソーダ瓶を送ってよ。そこの家に送ってくれれば多分私の家まで届くからさ。

そんな約束の証拠が、このソーダ瓶なのだ。


────────────────────────────────────


あれから数日して、私は自宅へと連れ戻された。

それでもあの夏のことが忘れられず、何度か休日を利用して祖母の家に行ったものだが、そいつの姿はいつ行ったってなかった。


日焼けした肌、夏風に揺れる短い髪、屈託なく笑う顔、泥だらけのスニーカー。

そのどれもが、私の周りにはないものだった。



そいつの真似をして、私も髪を短くした。そいつに憧れて、私も日焼けするまで外での活動に打ち込んだ。

もともと部活には所属してなかったけど、自宅近くの川で水切りして遊んでいる様子を見たソフトボール部の友人がスカウトしてくれたのだった。


時が経ち、髪を短くした理由も、真っ黒になるまで外に居た理由も薄れていった。

けれど、20を超えた今になって私の髪は短いままだし、外での仕事が多いからか肌も黒いままだ。


手紙の内容は、どこか余所余所しいものだった。向こうも、過ぎ去っていく時のなかでおぼろげになっていったのだろう。

時節の挨拶から始まり、突然ではありますがという断りつきで、昔の約束を思い出したのでお手紙を送らせていただきますというビジネスメールもかくやのしっかりした手紙だった。


私のおぼろな記憶にある、荒っぽい言葉遣いの様子とは似ても似つかない。

指でソーダ瓶のふちをなでながら、手紙に目を通していく。


当時はほとんど意識してなかったが、どうやら女性だったらしい。

彼女は引っ越した先で高校を卒業し就職、今年結婚、さらには出産までするそうだ。


そこで里帰りとして帰った先で見つけたこのソーダ瓶とメモ書きを元に、手紙を送った…という次第だという。



時間の流れの残酷さを思い知る。世の中、そう小説のようには行かないのだろう。

ふと目をあげると、憎らしいほどにあの頃と変わらない青空が広がっていた。


それでも、私は彼女に会いたかった。

あの日言えなかった、あなたのことが好きでしたという一言と、あなたに憧れて切った髪のことを伝えたくて。


それ以上に、あの日のことをもう一回思い出したくて。


手紙の末尾に添えられていた電話番号を入れ、震える手で発信ボタンを押す。

空のソーダ瓶が、あの日みたいに夏の日をうけてきらめいていた。



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