Patientia 019 僕は童貞のままだった



 ライル商会に戻ると、今度は農具の刃を辺境伯領の3台の馬車へと積み込んでいく。その準備のよさに、辺境伯の馬車の御者たちは驚いていた。


 これから僕たちが仕入れてくる、その分だけ待たされる、と思っていたのだろう。まさか、王都に到着した日に、目的の商品が準備できているとは考えてなかったはずだ。


 これが『遠話』の力だ。商売で使うとここまで生きるとは僕自身も思ってなかった。


 驚いたまま、辺境伯領の3台の馬車は、王都にある辺境伯の屋敷へと移動していった。


 僕たちもライル商会の倉庫に積荷を運んで、裏庭に3台の馬車を並べて、厩に馬を入れた。

 荷馬車の移動の最後の最後は、結局、人力だった。

 馬では器用にバックさせたりはできないのだ。きっちりと並べないと、裏庭のスペースを全部潰してしまうというのもある。


 それから僕はギーゼさんに金貨2枚分の為替を差し出した。


「うん? ちぃと多くねぇか?」

「はい。それだけ、もうけました、から」

「ほーう。そうくるか……」


 1日銀貨2枚で、だいたい30日間だから、銀貨60枚になる。だが、あえてそこは金貨2枚でいい。それだけのプラスはギーゼさんからもらっていると思う。


 カイルさんは嫌そうな顔をしている。多めに渡す必要はないという気持ちが顔に出ている。契約通りというのは確かに正解なのかもしれない。だが、ギーゼさんとのつながりはそれ以上の価値がある。


「……よし。分かった。この金貨ぁ、2枚とも、おれぁ、ナエバに預けるとすらぁな」

「はい……?」


「金貨みてぇな金はよぅ、増やしてくれるヤツに預けんのが一番だ」


 ギーゼさんは一度受け取った金貨の為替を、僕の右手に握らせた。


「くくく、どうした、そんな顔して」

「い、いいえ。そんなに、信頼してもらえるとは、思ってなかった、ので」


「テッシン抜きでも、ナエバとのつながりはほしいと思ったぜぇ? おめえは、間違ぇなく、商才がある」


 ……その瞬間、僕は、この人は本当の意味で『金満』というふたつ名を付けられたのだろうと思った。


「好きに使って、好きに増やしてくれい。そうさな、1年に1回、もうけた分からいくらか渡してくれればいいぜぇ。くくく、期待してるぜ、ナエバよぅ」


 ギーゼさんは僕の肩をばしんばしんと叩いて、それから軽く手を振ってどこかへ行ってしまった。


 見た目はただ働きで、実際は僕に金貨2枚の投資をした。僕がこれを増やすと信じて。もちろん、渡くん抜きで僕のことを信じた訳ではないはずだ。あれはリップサービスというものだろう。


 それでも、なんだか嬉しくなった。いつか、大金にして返そうと思わされてしまった。証文も取らずに、この豪快な……本当にすごい人だ……。


「ナエバ。こっちの取り分についてなんだが……」


 ギーゼさんが立ち去ると、カイルさんがやってきた。


「取り分?」

「ああ。ライル商会としての取引だ。荷主はナエバかもしれんが、こっちだって……」


「何をバカなことを言ってるの、兄さん」


 また、カイルさんに冷たい言葉を浴びせたのはリビエラさんだ。


「バカなこととはなんだ? ウチは借金が……」

「それは兄さんの借金で、ナエバさまには関係ないでしょう?」

「リビエラ、おまえ……」


「兄さんはただの御者。ライル商会が御者に払うのは1日銅貨5枚よ。兄さんの取り分は銀貨1枚と銅貨50枚ね」

「リビエラっ!」


「ああ、そうそう。ナエバさまは辺境伯領の家令との取引で、情報だけで金貨10枚を手にされたそうね? 借金を返したいのなら、ナエバさまに頭を下げたらどうなの、兄さん?」

「おまえは……どういうつもりだ……?」


「ライル商会は、ナエバさまに売り渡すべきだわ、兄さん。兄さんにはかけらも商才がないんだもの」

「……」


「それとも、まだ分からないのかしらね?」

「おまえ……」


「王家からの金貨10枚で始めて、ナズラー商会に卸した塩だけで金貨20枚の売上よ、兄さん。道中の他の売上もあるのに、あの塩だけで元手が2倍だわ」

「あの塩はもっと高く……」


「売れないわよ。今のライル商会だと売り切れずに持て余すだけ。それどころか、ナズラー商会やレレイズ商会からにらまれて、嫌がらせを受けて……どうなることか。それが分からない兄さんには、商才はないの。ねえ、兄さんはまたわたしをどこかへ売り飛ばすつもりなの?」


「それは……」


「わたしは兄さんではなく、ナエバさまに賭けた。そして、その賭けに、勝ったわ。兄さんは御者を務めただけ。何の利益も上げてない。そうでしょう?」

「……」


「御者としての銀貨1枚と銅貨50枚で、どうやって借金を返すの?」


「……今回の取引をライル商会の取引として、売り上げから借金を返せばまた商売が……」


「だから、兄さんがそうすると、わたしはまた、今度はどんな男に売り飛ばされるか、分からないじゃない」


「……リビエラ、おまえ……あのことを恨んでる、のか?」

「あたりまえでしょう?」


「だが、実際、ナエバはおまえには何も……」

「それは兄さんが言うことではないでしょう? 全てはナエバさまがやって下さったこと。だからこそ、もう兄さんは商売から手を引いて下さい」


「……ライル商会をナエバに売り渡して……おまえはどうするつもりだ?」

「わたしはナエバさまを支えるだけよ」


「……身体の関係もないのに? いつ捨てられるか分からんぞ? 身体の関係があったとしても、だ?」

「ナエバさまに捨てられるのなら文句はないわ」


「そう、か……」

「兄さんはそんなに商売がしたいの?」

「それは……」


「御者としてナエバさまの商会に残ってやっていくか……新たに自分で商売をするか……自分で商売をするというのなら、金貨1枚、渡しましょう。それが手切れ金よ。ライル商会はナエバさまに譲る。そうしないと借金は返せないもの。その代わり、二度とここには来ないで」


「おまえ……」

「わたしはもう兄さんを信じられないもの」


「……1日、考えさせてくれ……」


 少しふらつきながら、カイルさんがこの場から離れていく。


「……ナエバさま。これで、よろしいでしょうか?」

「リビエラさんの、思う通り、に」

「……はい」


 リビエラさんは背筋を伸ばして、カイルさんに続いて屋敷の方へと入っていく。


 それを見届けると、僕の後ろに吉本さんが立った。


「苗場……アンタ……リビエラさんと、その……して、ない、の?」


「……それを、聞いて、どうする、の?」


「だって、今まで……さんざん、いろんなことを言って……それなのに……」


 僕は吉本さんを振り返った。吉本さんが歯を食いしばって、泣きそうな顔で泣かないようにしている。

 吉本さんだけでなく、ものすごく気まずそうな顔で、他のみんなも僕から目をそらしていた。


 こういう形で知られるとは僕も予想していなかった。


「……王家を、騙した……形になる、から。二度と、この話は、しないで、ほしい。それと、明日は、萩原くんたちが、合流するから」


 僕はそう言って、みんなに背を向けると、リビエラさんの後を追った。


 裏庭には三頭の馬が満足そうに水を飲む音だけが響いていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る