Patientia 017 僕はそれだけの価値を示した



 クリンエトゥス侯爵領では、ケイトリン辺境伯領でのようなことは起きなかった。それは、ケイトリン辺境伯からの書簡を届けたから、というのが大きいだろう。


 ただの行商人ではなく、合計8台もの荷馬車を並べた大きな隊商を動かす商人という感じで見られたのも関係があるかもしれない。何しろ、この荷馬車の台数で動いている商人は他では見掛けない。


 さすがに侯爵本人が顔を出すことはなかったが、いわゆる家令とか、家宰とか呼ばれる、使用人のトップが対応してくれた。辺境伯領でも結果としてはそうだったのだから、それに合わせた形だったのかもしれない。


 辺境伯のものとして手配された馬車のうち、2台の荷馬車は大量の塩と農具の刃を積んで、すでに折り返して行った。

 冬になる前にまた折り返して、古い麦を運び込むことは決まっている。

 この2台の馬車が伝える現地の情報で、さらに荷馬車を増やして古い麦を運び、クリンエトゥス侯爵領で売り払うのだ。

 僕が流した情報が正しかったということが伝わるから、ということになる。そこはキリエスさんとの関係という点でもありがたいことだ。


 残り3台は僕たちと一緒に王都へ行ってから、王都でいろいろと買い占めて辺境伯領へと戻るということだった。その手配は僕たちが頼まれている。もちろん、その分の報酬ももらえる。

 こっちの3台も辺境伯領へと戻れば、冬になるぎりぎりまで古い麦をクリンエトゥス侯爵領へと運び込むらしい。王都へ寄る時には僕たちの塩も運んでもらえることになっている。


 ……辺境伯側としたら、僕たち、ライル商会の荷馬車であるフリをすることが重要みたいだ。主に、宰相の目をくらませるため、だろう。


 実際のところ、僕たちと一緒に行動した方が宰相から目を付けられる可能性は高い気もするが、それは黙っておくことにした。


 何かあったらこっちに責任を押し付ける気だとは思う。だが、そういう不利な点は飲み込んでも、荷馬車の台数が増えることによる今の利益は大きいのだから、仕方がない。


「……苗場は、王都じゃなくて、こっちに拠点を持つつもりなんだろ?」

「一応……そういう予定……」


 由良くんの問いかけに、僕はあいまいに答える。


 宰相の執務室の話を聞く限りだと、ずっと王都にいるのはあまりよくない気がするのだ。

 宰相が何かを企んでいたとしても、王都にいなければ、どうにかできる可能性が高い。逃げる、という意味で。権力者と正面から争うのは無駄だと思う。そういうのは渡くんの役割だろうし。


 王都を離れるという前提で考えるのなら、ここ、クリンエトゥス侯爵領はいい場所だろう。古い麦とはいえ、大量の食糧を届けたことで感謝されているのだ。

 クリンエトゥス侯爵領は、僕たちに好意的な分、新たな拠点とするにはよりよい候補地だと言える。


「それよりも、さっきの塩屋の話は大丈夫なの?」

「王都はふたつの大きな商会が塩を売ってるから、そこから狙われないようにしろって言ってたじゃんか」


 杉村さんと吉本さんがそう言った。確かにそういうアドバイスをさっきの塩屋でもらった。


 クリンエトゥス侯爵領で一番大きい塩屋を紹介されたので、僕たちはそこから塩を仕入れることに成功した。侯爵家からの紹介状付きで案内された店なので間違いがないからだ。


 そうすると塩屋のおやじさんの方も親切にしてくれて、いろいろとアドバイスをくれた。そのひとつが、この話だった。


 王都での塩の売買はナズラー商会とレレイズ商会というふたつの商会が大きく取り扱っていて、他の商会が大きく塩を売買しようとすると、妨害してくるらしい。


 ……妨害、という話がこっちの世界の場合、かなりひどい内容だと考えられるから、本当に要注意だ。たぶん、命にかかわるはず。


「カイルさん、これでナズラー商会やレレイズ商会に並ぶ商会になれる、みたいなこと、言ってましたよ?」

「あの男は、危険……」


 野間さんと高橋さんも、リビエラさんの兄であるカイルさんに不安を感じているらしい。


 僕の構想としては単純に、王都、ケイトリン辺境伯領、クリンエトゥス侯爵領での、なんというか、三角貿易とでも名付けようか。そういうイメージだった。


 王都から鉄製品で、軍事転用が可能な物をケイトリン辺境伯領へと運ぶ。豊作のケイトリン辺境伯領からは備蓄の古い麦を運んで、天災で食料不足になるはずのクリンエトゥス侯爵領で特産品の塩を入手する。

 それを王都に持ち帰って1周。これでおしまいだ。たまたま、辺境伯領の豊作や鉄不足と侯爵領の災害について宰相の執務室から情報を得た、というだけ。


 もちろん、王都の有名な商会を相手に勝負をかけるつもりなど僕にはない。カイルさんと僕は違うのだ。


 ただ、クリンエトゥス侯爵領で、塩屋から塩を買う権利は手にした。正確には、塩樽を2つ以上、買う権利だ。

 飢饉寸前の状況で大量の古い麦を持ち込んだことと、ケイトリン辺境伯からの紹介状があったことで、クリンエトゥス侯爵からその権利をもらえたのだ。


 行商人がクリンエトゥス侯爵領を訪れても、塩樽を侯爵領から持ち出せるのはあくまでも1つだけ。これは門番が徹底的に監視しているらしい。見つかったら厳罰になるという話も聞いた。


 そこを2つ以上、塩樽を運んでいても通過できる、クリンエトゥス侯爵領の特別な通行証がもらえたのだ。

 ギーゼさんがあの時、辺境伯領の重要人物と知り合いだったことが大きいと思う。そのギーゼさんを教えてくれた渡くんのお陰でもある。自分の手柄だなんて考えは持たない方がいい。


 この特別な通行証は、これまでは王都の商会の中では、ナズラー商会とレレイズ商会だけが持っていたものである。

 つまり、このふたつが王都の塩の独占的な商会ということになる。そこと争うのは得策とは言えない。


「リビエラさんにお世話になってるから、その兄貴のことを悪く言いたくはないんだけど、あの人、どっか夢見がちだよな……」

「しかも、それで失敗してそうなパターンよね……」


 由良くんと杉村さんの言う通りだと僕も思う。


 結果として王宮にリビエラさんは売られた訳なので……お陰で僕はいいチャンスをものにできたんだが……。


 まあ、勘違いしているカイルさんについてはリビエラさんに任せよう。僕たちが心配することじゃないだろうし。


 クリンエトゥス侯爵領で手に入れた塩樽については、王都でどうさばくか、を決めておくことにする。

 もちろん、カイルさんには何もさせない。あくまでも御者のひとりとして扱う。本当は会頭なんだが……。


 最近、吉本さんが積極的に御者の練習を始めたことで、女子たちも御者の技術を教わるようになっている。

 吉本さんの場合は、戦闘面で役に立たないから、どこか別のところで挽回したいという気持ちがあったんだろう。そういう姿勢は評価したい。吉本さんも、僕たちと一緒にいたいと思っていることは伝わってきた。


 僕たちは6台の荷馬車で王都へと向かった。いろいろとあったが、王都に戻れば、塩樽の売上でかなりの利益を上げることは確実な状況だった。


 それは、僕にとっても、他のみんなに対して、王城を出るように誘っただけの価値を示せた、ということでもあった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る