Patientia 011 僕は交渉する



 荷馬車をイズラ商会へと乗りつけて、由良くんたちが見張りとして残る。


「オレぁ馬車ん中で寝てらぁ」


 そう言ってギーゼさんは荷馬車の中だ。


 ギーゼさんが教えてくれたイズラ商会は、領都リンクスの中央広場に面する一角に大きな屋敷を構える豪商だった。屋敷と比べると店舗はとても小さく、商品はわずかしか並んでいない。宝石とその原石だけだ。


 ギーゼさんによると、別に宝石商という訳ではなく、金になるならありとあらゆるものを扱う商人らしい。しかも、ケイトリン辺境伯との関係も強いとのことだ。辺境伯領で採れる宝石の原石が手に入るのはその関係性があるからだろう。


 カイルさんと二人で商談を申し込むと、そのまま、店先で待たされた。もちろん、椅子を勧められることもなければ、飲み物を出してくれることもない。そういうサービスをするという考え方そのものが、この世界には足りないのかもしれない。


 店にある宝石に手を伸ばすつもりは1ミリもないのに、いかつい顔の護衛らしき男からずっとにらまれている。とても居心地が悪い。


 ……お客様は神様です、みたいな考えではないってことだろうな。僕たちは客ではなくて同業者だが。


 軽く30分ぐらいは待たされた後で、ようやく奥へと案内された。


 応接間らしいこの部屋は、王城で与えられていた部屋に近い豪華な印象を受けた。ソファも、テーブルも、おそらくは贅沢品なのだろう。ライル商会の応接間とは比べものにならない。


 でも、お茶も出ない。もてなされている訳ではないようだ。


 姿を見せたのは、身長はそれほど高くはないが、胸板の厚い屈強なおじさん。商人というよりはベテランの兵士のような雰囲気だ。


 どかっと乱暴に向かいのソファへ座る姿が様になっている。


「……売り込みって聞いたが?」


 ……声は意外と高かった。コミックで想像していたキャラの声がアニメで全く合わなかったような感じがした。


「王都のライル商会の会頭で、カイルといいます」


「……ナエバ、です」


「王都ねぇ……辺境にどんな用事だ? まあ、会頭って言いながら、御者やってんだから、大した商会でもねぇんだろ?」


 こっちが名乗っても、名乗り返すつもりはないらしい。カイルさんを挑発しているのも、商談を有利に進めるためだろう。僕たちを待たせている間に、情報収集もしたのかもしれない。

 カイルさんは挑発に乗せられて怒っているみたいだ。まんまと相手の手にはまってどうするんだろうか。


 ギーゼさんが1回目の商談には応じるなと言っていたのは、こういうことなのかもしれない。


「……王都では知られた商会ですが、辺境では無名のようで、残念です」

「ああ、知らねえな。それで、何?」


「農具の刃を、売りに来ました」

「農具の、刃、ねぇ……」


 男の顔に変化は見えない。


「鍬、鎌、鋤、それぞれ300、合計900あります」


 男は一度、静かに目を閉じた。頭の中で計算でもしているのだろうか。


「ひとつ、銅貨70枚だ」


 ぎろり、と目を見開いて、男はそう告げた。


 カイルさんがもぞもぞと手の指を動かしながら、ちらちらと僕の方を見る。これで手を打ちたいと思っているのがバレバレである。

 仕入れ値から計算すれば、だいたい金貨3枚ぐらいの利益にはなる。カイルさんが手を打ちたい気持ちもわからなくもない。


 だが、輸送費用や護衛費用まで考えれば、ギリギリのラインだろう。すごく、うまいところを突かれている。そこの計算ができないなら、飛びつくのかもしれない。


 だからといって、カイルさんの態度は、商人としてはうまくない。この人、そうやってライル商会を落ちぶれさせたんじゃないだろうか。リビエラさんへの同情がますます強くなる。


「……なんだ? 偉そうに会頭とか言って、隣のお付きに確認か? 情けねぇな?」

「く……」


 悔しそうな顔をして、カイルさんが僕を見る。だから、その顔で失敗しているのだろうに。


「ん? そういうことか。こっちの兄ちゃんが荷主か? おう、どうだ? 悪くねぇだろ? 銅貨70枚だ」


 男は僕の方へと顔を向けて、カイルさんを無視するように話しかけてきた。カイルさんの顔がさらに歪んでいく。


 価格の基本は需要と供給で決まるということは、僕たちは学校で習う。もちろん、この異世界でそれが必ず通用するとは考えるべきではないのかもしれない。


「……最低、でも、銀貨、1枚。この、話は、……なかった、ことに」

「へえ。見た目と違って強気じゃねぇか。言っとくが、リンクスでうちより高い値を付けるような店はねぇぞ?」


「……余って、いるものは、安く、足りない、……ものは、高い。……銅貨、70枚で、買いたい、なら、王都に、……行って、ください」

「王都に行きゃあ、50枚で買えるな、たぶん。そっちこそ、こんなところまで運んで、売らずに終わっていいのか?」


 挑発するように男は鼻で笑う。人をバカにすることに慣れているのだろうか。ものすごく腹が立つ。だが、それをできるだけ顔には出さない。


 ……ギーゼさん、信じますよ。


「……別に、ケイトリン、辺境伯領、で、……売らなく、ても、いい。イズラ、ヒェル、男爵領に、でも、売りに、……行き、ます」


 あれだけ口を動かしていた男が何も答えずに黙ったまま、こっちを見つめる。


 ほんの少しだけ、僕は男と見つめ合って、それからすぐに席を立った。カイルさんが慌てて立ち上がる。


「……では、失礼、します」


「……気が変わったら、売りに来い」


 男の、イメージとは違う高い声を僕はそのまま流して背を向けた。


「ああ、イズラヒェルへの街道は、気をつけろよ。危ねぇらしいから」


 僕の背中にぶつけた男の言葉は、その内容に反して、とても穏やかに聞こえた。






 店を出て荷馬車に戻ると、荷馬車の中からギーゼさんが指示を出した。


「……すぐにリンクスを出てイズラヒェルへ向かうぞ」

「え? ギーゼさん、それ、苗場の予定にないと……」


「いいから従え。そうすりゃ、うまくいく。ただ、おめぇらは、そろそろ、きっちり覚悟を決めとくんだな」

「ええ……入市税も払ったのに……」


「すぐに入市税ぐらい取り返せる。ほら、急げ急げ」


 ぶつくさ言うのは由良くんだ。カイルさんはギーゼさんの指示に逆らわない。それだけの強さをギーゼさんは見せてきたからだろう。こっちの人は強さが正義だ。


 僕はすぐにスキルを使う。


『おい、3人、追わせろ』

『3人、ですか?』

『どこの宿か、調べとけ。そのまま見張らせろ。それと、辺境伯さまに使いを出すぞ』

『使いはレジンに行かせます』

『鉄が手に入るから、人を貸してほしいって伝えさせろ。急ぎだ』

『はい』

『あと、王都を知ってる連中に、ライル商会ってのを知らねえか、確認しとけ』


 その会話の後は、声が小さくなって、足音のような音以外は何も聞こえなくなる。そこでスキルは切断した。


 僕のスキル『遠話』は、実は、人だけでなく物にも設定できる。

 まあ、言い方は悪いが、盗聴器のように利用できるということだ。これまでも、王城でいろいろと情報を手に入れるために利用してきた。


 今でも接続させれば、王城の文官の執務机や、騎士団の訓練場で王国の騎士が休憩するところのベンチなどから聞こえる音を聞くことができる。他の人には教えていない、僕のスキルの秘密だ。


 さっきの応接室のソファに『遠話』を繋いでおいた。そこで僕たちがいなくなった後に、ろくでもない会話が交わされている。


 ……ギーゼさん、すぐにリンクスを出るって、そういうことですか。


 どうやらギーゼさんはイズラ商会を盗賊にしてしまうつもりらしい。


 僕たちは、リンクスでは何も売らずに、その日のうちに門を出るのだった。





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