Patientia 010 僕たちは話し合う
ノモント子爵領の通過は早かった。
領地そのものがそれほど広くないというのもある。だが、それだけでなく、街道がしっかりと整備されていて、荷馬車が止まることなく、遅れることなく進むからだ。
マーゼル伯爵領では、ぬかるみを抜けるためにみんなで押したり、深い轍に車輪をとられて荷馬車が大きく揺れたりと、いろいろと大変だったのだ。
もちろん、ノモント子爵領では盗賊という名の村人たちも出現しなかった。領地経営というのは、そういう違いを生み出すのだと感じた。
ケイトリン辺境伯領へ入る時に少し森の間を抜けるところがあり、そこで3頭のオオカミに襲撃されたが、無事、撃退した。
由良くんは古着を巻いた籠手をつけた左腕に噛みつかれながらも冷静にメイスでオオカミの横腹を殴りつけ、もう1頭は野間さんの矢が目に当たって転げるように倒れた。もちろん、2頭分のオオカミの毛皮を剥いだ。
ケイトリン辺境伯領の街道はノモント子爵領ほどではないものの、マーゼル伯爵領よりはよっぽど進みやすく、着実に荷馬車を進めた。
立ち寄った村では古着もそこそこ売れたので、カイルさんもほっとした表情で御者を務めていた。物々交換で新鮮な野菜も手に入ったので、料理を担当している女の子たちも嬉しそうだ。
僕と由良くんは、カイルさんから御者のやり方を教わりながら、時々、交代で挑戦させてもらっていた。
「……車の教習所ってさ、こんな感じなのかもな」
「……ああ、そうだね。……こんな、ところに、来なかったら……そういう、ことが、あったの、かも」
「いや、免許は取るよな、フツー?」
「……どう、だろ? 車、なくても、なんとか、なりそう、だけど。……今は、絶対、に……これが、必要だと、思う、から、頑張るけど」
「いや、車乗りてぇだろ……。でも、今はさ、やっぱり、いろんな技能はいるよな……」
「……実際、ここで、荷馬車は、……増やし、たいね」
荷馬車の御者見習いをやりながら、由良くんと話す。
「それにしても、馬車ってのは、人が早歩きするぐらいのもんなんだな」
「……今さら? もう、何日、歩いたと」
「あー、確かに今さらだった。でも、そんなことも、話せないぐらい、緊張してたってことか。今、自覚したよ。はは……」
「……本気を、出せば、まだ速くなる、とは思う」
「でも、危ねぇんだろうな。あと、荷物も無事じゃないかも」
「……そう、だね」
「……苗場は、さ」
「……うん?」
「あん時の、あいつ、盗賊を、殴り殺して、さ」
「……」
「平気、だったのか? どんなこと考えてた? やっぱりみんなを守るためか? おれさ、必死だった。でも、相手が人間だと思うと、メイスでぶん殴るって、正直、怖かったし、実際、相手の棒を受けるだけで、殴れなくて、ギーゼさんに杉村とあいつらとどっちが大事かって言われて、でも、まだなんかモヤってるっていうか」
「……今、さら?」
「おぅ。情けないけど、これ、言い出すまで、めちゃくちゃ悩んだ。おれにはできなくて、苗場にはできた。だから、苗場の考えが、知りたい」
御者見習いとして手を動かし、前を見つめる由良くんは、僕の顔を見ていない。
僕の顔を見ない理由は、それだけじゃないのかもしれないとも思う。
人を殺す理由を問う。
相手の顔を見て、そんなことを聞けるものだろうか。
でも由良くんは真剣だった。それに答えないのは良くないと僕は思った。
「……僕は、こんな、世界に、来たく、……なかった。もちろん、夢見た、り、……したこと、は、ある。でも、本当に、……こんなことに、なりたくは、なかった」
「うん。そうだな」
「……だから、僕は……この、世界の……全部が、憎い」
「……おう」
「……もち、ろん、きっと、いい人、も、いる」
「リビエラさんとかな」
「……」
……リビエラさんがいい人かどうかは、どうだろうか。僕にとっては、都合がいい人では、ある。少なくとも、今は運命共同体とでもいう感じだ。僕とリビエラさんがそういう関係ではないとバレるといろいろとマズいから。
でも、正直なところ、バレたとしても、僕には被害はない。僕が王家を騙した形になっているが、罰されるのはリビエラさんであって僕ではない。それに、既に、そうやって手にした金は、今、目的に向かって使えている。
「……まあ、だから、僕は……こっちの、人には……遠慮は、いらないと、思って、る」
「思ってたよりも、苗場なりに理由があるんだってわかった」
「……そう?」
「……おれなりに、だけど、納得もできた。言われてみりゃ、その通りだよな。おれも、別に、こんなとこ、来たくなかったし。なるほど、遠慮はいらない、か」
由良くんなりに、何か、決心ができたのなら、それはそれでいいと思う。
決別するとか言われたら、僕の目的が果たせないのだから。
……野間さんと高橋さん、それに由良くん。これで、三人目、か。
お互い、どこまで信頼できるかは、分からない。でも、少なくとも、ある程度の期間は行動が共にできるくらいには、協力し合えると思う。
ケイトリン辺境伯領の領都リンクスは四角い城塞都市だった。
王都以上に高い城壁に囲まれている。
入市税は銅貨10枚で、平均的な金額だった。
「ここはナスダクとの戦争が続いてっからなぁ……」
ギーゼさんいわく、城壁が高い理由は隣国との戦争だそうだ。
宰相さんが、僕たちを送り込もうとしていたのはこのナスダクとの戦争ではなく、ナスダクの隣のセルラという国だった。
泥沼化したナスダクとの戦争で一進一退を繰り返すのではなく、その隣のセルラという国から、一気に領土を奪い取りたいと考えているらしい。
だから、国としては、宰相としては、ケイトリン辺境伯領への軍事的な支援は減らしたいと考えている。それが、僕の狙い目だった。
「イズラ商会って大店へ行くといいぞ。ナエバが売りてぇもんを売るんならな」
にやりと笑ったギーゼさんの顔はとても怖い。いろいろと見透かされているのだろう。
「……イズラ、商会、ですか?」
「あぁ。農具の刃ぁ、売るんだろ? イズラ商会にしとけ。おめぇが少しでも、オレんこと、信じてるってぇならな……」
「……はい」
たぶん、ギーゼさんは、大丈夫だ。ギーゼさんは僕たちじゃなくて、僕たちの後ろの渡くんを見ているから。
それと、この人の二つ名は……。
「わかってるたぁ思うが、1回目の交渉は、どんな金額でも蹴っとけ。いいな?」
僕たちはそう言ったギーゼさんの迫力に、こくりとうなずく。
「まあ、そうすりゃ、ナエバがほしがってるもんは、いろいろと手に入るだろうよ」
ククク、と楽しそうに笑うギーゼさんは、その厳つい顔もあって悪役にしか見えなかった。
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