Patientia 007 僕たちは行商しながら戦う(2)
王家直轄地とマーゼル伯爵領の境に、小さな森の間を抜ける街道があった。
そこで、初めて、オオカミの襲撃を受けた。
オオカミは4頭の群れだった。
僕たちは気づかなかったが、ギーゼさんが「下草の小さな揺れに気をつけろ!」と叫んだので、何かが起きているというのは理解できた。
「下草の揺れ? 風じゃないのか?」
「森ん中で目ぇ光ってんぞ! モリオオカミだ! 馬車は停めろ! 馬を囲め!」
「ええ? どこですか!?」
「いいから動けガキども!」
そう叫んでギーゼさんが荷馬車から飛び降りた。
僕たちも言われるままに行動する。
「苗場、見えるか?」
僕は急いで首を横に振る。
「……だよなぁ」
由良くんにも見えないらしい。
「そっちに2匹! あそこだ、目ぇ光ってんだろーが!」
「あ、光ってますね。あれですか?」
「え、どこよ?」
「のんびり返事してんじゃねぇ、アカリ! ノマ! 弓かまえとけ!」
野間さんと吉本さんのやりとりにギーゼさんが叱責を加える。
「いいか、だいたいオオカミは、1頭仕留めて、もう1頭、傷ついたら逃げ出す! 今回、右側はオレがヤる! 左側はおめぇらがヤれ! ユラ! ナエバ! 籠手、ちゃんと着けてっか?」
「着けてます!」
「……はい」
「苗場はもうちょっと声を出せや! 来るぞ!」
「え? デカくない?」
「アカリ! こっち見てんじゃねぇ! こいつら、時間差でそっちにも来るぞ! 油断するな!」
背後で、どがっという音がして、さらにはガツンっという音がした。キャン、と鳴いたような悲鳴も聞こえた。
ものすごく気になる音だが、僕の目の前にはシベリアンハスキーをさらに一回り大きくしたような、目つきの悪い巨大な犬がいた。
僕の目の前で大きく口を開いてジャンプしている姿で。
なんていうか、確かにこれはデカい。その点については吉本さんに全力で同意したい。
「うわあっ!」
僕はほぼ無意識で、古着をぐるぐると巻き付けた左腕の籠手で視界を防いだ。
がぶり、と籠手に噛みつかれるとともに、その重さに潰されるようにどっすんと尻もちをつく。痛い。でも、痛いのはお尻の方だ。
「苗場っ!」
僕の名前を叫びながら、由良くんがメイスでオオカミの横腹をぶん殴った。
首を振って古着を噛みちぎるようにしながら、オオカミが斜め後ろに跳ねる。
僕たちに向かってきていたもう1匹のオオカミは角度を変えて、飛び出してきたところとは反対側の樹々の間へと駆けていく。
由良くんがぶん殴った――僕を噛み倒した――オオカミは、反転してやってきた方向へと逃げる。だが、ふらつきながらで、飛び掛かってきた時のようなスピードがなかった。
野間さんが放った矢がそのオオカミの尻に刺さる。でも、オオカミは止まらず、そのまま逃げていく。
「ノマっ! 逃げるオオカミにもったいねぇっ! 矢ぁ使うなぁ!」
「は、はいっ、すみません!」
「逃げるオオカミを目で追えっ! そんで下草の揺れ方を覚えとけっ!」
高橋さんが木々の間を黙ったまま、じっと見つめていた。野間さんも同じだ。下草の揺れ方なんて覚えられるものだろうか。
倒せなかったとはいえ、あのスピードで逃げるオオカミに命中させる野間さんはかなりすごいと思う。さすがはアーチェリー部というところか。
「動けなかったわ……」
悔しそうにつぶやく杉村さんの肩をぽんと叩く吉本さん。吉本さんはいろいろとギーゼさんに言われてたと思うが、精神的にタフなのだろうか。
「苗場、おまえ、腕、大丈夫か?」
「だ、大丈、夫……」
「見せろ……」
尻もちをついて座り込んだままの僕の左腕を掴んで確認する由良くん。
「……ユラ×ナエバ」
森の方から視線を戻して僕たちを見た高橋さんから、ぼそっと、本当に聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりのつぶやきが漏れた。
……いや、高橋さん、余裕、あるね? お陰でこっちも冷静になってきたよ。
「……古着がズタズタになってるけど、籠手にはちょっとした傷くらいしかねーな。どっか痛いとこあるか?」
「……特に、ない、よ」
正直に言えば、だんだん、尾てい骨が痛くなってきている気がする。噛まれた左腕は古着と籠手で守られたが、押し倒された時の尻もちの方が強烈だったらしい。あの狼はかなり重かったと思う。
「手が空いてんなら、オレが殺したオオカミの毛皮、剥いどけ。ああ、肉は捨てるぞ」
「肉は、いいんですか?」と野間さん。ちょっと味が気になっているようだ。
「食って食えねぇことはねぇが、クソマズいぞ?」
「あ、はい……」
野間さんが残念そうに返事をした。
そのまま野間さんと高橋さんが動いて、オオカミの処理を始める。ウサギとは体格が違うんだが、ギーゼさんに言わせたら基本は同じ、らしい。よく分からない。
僕は由良くんに引っ張られて起き上がった。そこに、ギーゼさんがやってきた。
「ナエバ、腕に噛みつかせるところまではいい。だけどな、踏ん張って倒れないようにしろ」
「……はい」
「おめぇが立ったままだったら、ユラはメイスをもっと強く、上から振り下ろせた」
「ギーゼさんは、どうやってオオカミを倒したんですか?」
「ああ? 先に飛び掛かってきたヤツの下あごを蹴り上げて、ほぼ同時にもう1匹の頭を剣でたたき割っただけだな」
「こう、こう、みたいな感じですか?」
由良くんはギーゼさんが言っていた動きをやってみている。素振りみたいなものだろうか。
「オオカミは、うめぇこと噛みつかせて、そこをぶっ叩きゃいい。ユラとナエバ次第だな」
「噛みつかせる役、かなりきついと思います」
……本当、そう思います。
僕たちの護衛初戦はこんな感じで終わった。
それから3日間くらい、僕の尾てい骨はずっと痛いままだった。
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