Patientia 003 僕たちは共犯者だから



「兄さん、こちらがナエバさま。わたしが王城でお世話になった人」

「……ナエバ、です」


 商会の事務室だと思われる部屋だが、事務員などは存在しない。うまくいってない商会など、そんなものなのかもしれない。


「……どうも。リビエラの兄のカイルだ。リビエラから、うちに泊まるとは聞いていたが、何の用だ?」


 リビエラさんの兄である、カイルさんは背は高い。だが、痩せていて、顔はげっそりとしている。憔悴している、というのがあてはまるのかもしれない。これがリアルな借金苦の顔、なんだろうか。


 カイルさんは事務机で書類をにらみながら座っている。そして、僕とリビエラさんが事務机の前に立っている。


 こういう時に、横にある商談スペースに座って話そうとしないのはなぜだろうか。おそらく、そういう気遣いが足りないから、商売がうまくいかないのではないか。初対面だというのに、人生経験が圧倒的に足りない僕ですら、そう感じる。


 ……まあ、借金で妹の貞操を売るような人だ。こっちの世界ではそれが当たり前だとしても。期待するのは間違ってるだろう。


「……リビエラ、さん」


 僕はリビエラさんに目で合図を送る。こくん、とリビエラさんがうなずく。


 リビエラさんは小さな巾着袋を兄のカイルさんに見せた。


「何だ?」

「今日、王城で、受け取ってきました」

「! 報酬の金貨か!」


 カイルさんの目が輝いている。まともに僕たちを見ようとしないのに、金貨の入った巾着袋には目を見開く。あきれたものだ。


「これで、借金が返せる!」


 事務机をはさんで、立ち上がったカイルさんがリビエラさんへと手を伸ばす。


 リビエラさんは、ひょいっとカイルさんの手を避けた。


「……リビエラ?」

「これは、ナエバさまのお陰で手に入った金貨です、兄さん」


「……だから、なんだ?」

「これは、ナエバさまの意向に従って、使いたいと思います」


「何を言ってる? うちは借金が……」

「これを稼いだのは、わたし、です。兄さん」


「それは……そう、だが……」

「ナエバさまの話を、聞いてください、兄さん」


 そう言って、リビエラさんは一歩下がっ。そして、僕を前へと促した。

 僕はほんの少しだけ、前へと進み出る。


「……確認、します、けど、リビエラ、さんを……王城へ、差し出して、金貨、5枚で……リビエラさんの……貞操で、さらに、5枚。……間違い、ない、です、か?」


「なんだ? オレをひどいヤツだとか言うつもりか? 借金で娘を売り飛ばすなんて、そんなのはどこにでもある話だろう? それも、こんなに高く売れることはまずない。オレはうまくやった方だぞ?」


 リビエラさんは、ライル商会がまだ勢いがある頃に産まれて、そこで育てられた。文字の読み書きができて、見目もいい美人に育った。

 だから、今回のハニトラ要員として雇われた。というか、兄であるカイルさんに売られた。


「……これで、借金、を、……返すのでは、なくて、これで……商売を、して、増やして、から……借金を、返し、ましょう」


「……そりゃ、そんなことができるなら、その方がいいのは間違いない。だがな、商売ってのは、そう、簡単なもんじゃない。うまくいかなかったら、今、ここにある金貨は、消えていくんだぞ?」


「……どの、みち、……借金を、返した、と、しても、……この、金貨が、なくなれば、次の、商売は、難しい。……ちがい、ます、か?」

「む……」


「……僕は、王城で、いろいろな……話を、聞き、ました。……そこで、集めた、情報を、使えば……この秋、なら、稼げ、ます」

「王城で手に入れた情報だと……?」


 カイルさんの目の色が変わる。一応、情報の重要性は認識しているみたいだ。


「……だが、うまい話だからうまくいく、ということでもない。どういう情報だ?」


「……カイル、さん、が、これで、勝負、……する、と、いうなら、教え、ます」


「どうせ、大した情報じゃないんだろう?」


 馬鹿にするように、カイルさんが笑う。


「……兄さん。ナエバさまや、みなさまは、王城の、貴族さま方の客間にお泊りでした。それだけ王城で耳にする話も、大切なものが多いはずです」


 さりげなく、リビエラさんがフォローに入ってくれる。


「……だからといって、情報の中身も聞かずに決断はできん」


「……カイル、さんに、選択権は、……ない、です」

「何?」


 カイルさんの表情が変わる。怪訝そうな顔、というのがこういう顔だろう。


 僕はちらりとリビエラさんを振り返った。


「……兄さん。わたし、嫌だと言いました、よね?」

「リビエラ、それは……」


「商会が潰れたとしても、二人でなんとか生きていくくらいはできたはずです。それなのに借金までして、無理に立て直そうとして……」


「オレに商才が足りなかったのは、すまないとは思ってるが、これはリビエラでなければ……」


「女だからこそ、王城に売れた、というのはわたしも理解しています。でも、嫌だった。嫌だと言ったのに、兄さんは……」


「すまん……」


「でも、わたしは、王城で、ナエバさまにお会いすることができました。ナエバさまに救われました」

「は?」


「わたしが嫌がることを、ナエバさまはなさいませんでしたもの」

「は? どういう……」


「わたし、生娘のままです。兄さん」

「なっ……」


「寝具には、ナエバさまがご自分の腕を切って、その血で証を残しました」

「……つまり、あれか? リビエラ、おまえ、まだ、貞操は……」


「はい。何度も言わせないでください。わたし、まだ生娘のまま、です、兄さん」

「いや、だが、王城から、金貨を……」


 僕はにっこりと、というか、にっこりと笑うつもりで、表情筋を懸命に動かす。


「……つまり、王城の、人たちを、騙して、金貨を……受け取って、います」


「王城の……騙して……?」


「……これが、王城の、文官や、宰相に、……知られ、たら、どう、……なると、思います、か?」


「……リビエラ、おまえっ!」


 僕の笑顔から顔をそむけて、カイルさんはリビエラさんをにらむ。


「兄さんに選択権はないと、ナエバさまはおっしゃっています。このことが知られたら、わたしも、兄さんも、破滅、でしょうね」


「すぐに! すぐに返してこい!」


「嫌、です。それに、もう、一度、騙して、これを受け取りましたもの。今さら、この金貨を王城へお返ししたとしても、騙したことに変わりはありません。この金貨を返せば、その瞬間に、わたしと兄さんは終わりです」


「おまえは……」


「このままでも借金で破滅します。これで借金を返すと兄さんが言うのなら、わたしは生娘のままであることを王城に申し出ることにします。そうすれば破滅です。そして、この金貨を王城に返しても破滅します。兄さんには、ナエバさまのお話に協力するしか、道はないと思います」


「リビエラ、おまえ、兄を陥れて、それでいいと……」


「わたしの嫌がることを無理矢理にでもなさる兄さんと、わたしの嫌がることをしないナエバさまと、わたしがどちらを選ぶと、兄さんは思いますか?」


「……」


「兄さんも、わたしと同じように、ナエバさまを選ぶことを、わたしはおすすめします」


 リビエラさんは血の繋がった兄を見ているとは思えない冷たい視線で、カイルさんを刺し貫いた。


 王城の人たちを、王家を、騙すようにして手に入れた金貨。その重み。騙してはいけない相手を騙した妹。


 貴族だろうが王だろうが騙される方が悪い、とでも言い切れる。カイルさんがそんな悪人だったなら、これまでの商売も成功していたのかもしれない。


 しばらくして、カイルさんは、僕と手を組むことを選択した。


 その瞬間のリビエラさんの笑顔は、驚くほど輝いて見えた。心の底に闇を抱えているから、その輝きは美しいのかもしれない。





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