Patientia 001 僕はここを出ていくことに決めた(1)



「……僕は、明日、……ここを出て行く、つもり、だから」


 同室のみんなに、そう告げた僕は、いつもと違ってまっすぐにみんなを見つめていた。


 言葉の前に、つばを飲み込むようにしてしゃべることで、どうしても出てしまう吃音をなんとか閉じ込めて。


 ずっと吃音と付き合ってきた僕には、分かる。

 しゃべっている時に吃音が目立つと、それだけで気弱な人間だと思われるということを。

 だから、ゆっくりと、つばを飲み込むようにしながら、吃音が出ないように、出ないように、僕はしゃべる。


「……やりたい、ことが、ある、から」


 みんなの目は、どちらかといえば、冷たい。でも、僕はこの部分で自分を曲げるつもりはない。


 僕たちのクラスがこの国に、勇者召喚で呼び出されて、異世界へとクラス転移してから、約2か月。


 すでに、この国を出て行ったクラスメイトもいる。または、美女メイドやイケメン騎士のハニートラップに引っ掛かって、この国に取り込まれたクラスメイトもいる。


 僕と同じ部屋のメンバーは、まだ、そこまではいってないけど、それも、いつまで続くか、分からない。


 この国は、はっきりと、「元の世界には戻れない」と断言していた。


 僕は絶対に、元の世界に帰りたい。だから、その言葉を信じないことにした。


 とはいえ、今すぐ僕に何かできる訳でもない。


 この世界から元の世界へと戻れない状況で、僕たちが頼れるのは、呼び出したこの国しかない。それに、この国は、どちらかといえば僕たちを好待遇で迎えようとしてくれている。


 でも、同時に、隣国との戦争に、僕たちを利用しようと、している。


 異世界から召喚し、世界を渡ってきた者には、大きな力が与えられる。そう、この国の人たちは認識しているし、それは正しい。

 実際、僕たちはそれぞれ、神様から3つのスキルをもらって、ここにいる。

 この国の、この世界の人たちの多くが使えない、魔法も、僕たちのほとんどが使える。


 そして、このまま、ここに残ると、僕たちはそのうち戦争に行かなければならない訳だ。そのための訓練はずっと続けてきた。たった2か月だが。


「こうして、にらみ合っていても、しょうがないわよね……」


 学級委員だった杉村亜子さんが口を開いた。ただし、僕に向ける目は、冷たい。


「……もう、親しくしているメイドさんのところへ行ったら?」


 僕と同室なのは、僕を含めて男子二人、女子四人。

 そして、その中で、僕が女子から冷たい目線を向けられているのは、僕が僕付きのメイドさんとそういう関係になっている……と思われているから。


 何人もの男子が、メイドさんと深い関係になって、その関係を続けるために個室へと移動した。


 もともと、クラスメイトが互いに身を守るため、男女混合のグループで、同じ部屋で生活する、ということを決めていた。それを提案したのは僕だ。


「……僕は、……自分が、提案した、……ことを、破る、つもりは、……ない、よ」

「そう? その割には、ずいぶんとメイドさんと親しくなったみたいね?」

「……」


 杉村さんのすぐ横で、陽キャ女子の吉本朱里さんが無言で僕をにらんでいる。


 吉本さんは、もともと、僕たちとは別のグループで、別の部屋だった。

 陽キャ男子と陽キャ女子のグループだったが、そこが男子も女子もハニトラに堕ちてしまった。

 それを避けたい吉本さんは学級委員の杉村さんに助けを求めて、僕たちがいるこの部屋へと移動した。


 そういう経緯があるので、ハニトラメイドと深い関係なった……と思われている僕への視線は、この中でも一番厳しい。


「アコちゃん、気持ちはわかるよ。わかるけど、今は、大事な話だから」


 そう言ったのは、野間真弓さん。でも、僕に向ける視線はやっぱり厳しい。


「苗場くんは、出て行くっていいますけど、それなら、苗場くんのスキルでやってる渡くんとの連絡はどうなるんですか? それに、キリコや渡くんが出て行った時とちがって、今はもう出て行く時に金貨はもらえないんですよ? 宮本くんがそう言われてましたよね? あと、出て行く理由が、やりたいことがあるっていいますけど、苗場くんのやりたいことって、何ですか?」


 野間さんの心配は……渡くんたちとの連絡が途切れることだ……。


 渡鉄心くんと佐々木理子さんの二人はもういない。クラス転移から1か月後の選択の時に、ここに残るか、出て行くかで、出て行くことを選んだから。

 その時は、お金がもらえたのだ。勇者召喚という名の拉致・誘拐への賠償金という形で。

 出て行く二人、渡くんと佐々木さんは、一人あたり金貨10枚――およそ1000万円くらいの価値だと考えられる金額――をもらえた。


 その選択の時を過ぎてからは、それまで以上に訓練は厳しくなった。そうすると、今度はその訓練に嫌気がさした宮本武くんが出て行くと言い出した。


 だが、その時にはもう、この国の宰相は、宮本くんが出て行くことを許すつもりはなかった。

 まず、既に選択の期限は過ぎたことを理由に、銅貨1枚たりともお金は渡さないことを宣言した。

 それでも生きていけると思うのなら、勝手に出て行けばいいと、そう冷たく対応した。


 結局、宮本くんは前言を撤回し、今もここで訓練を続けている。やる気はあんまりないみたいだ。


 僕のスキル――転移の時に神様からもらった特殊能力――のひとつに、『遠話』というのがあった。

 実はこれで、先にここを出た渡くんとトランシーバーでやるような通話ができる。ただし、最初は3日に1回という制限付きだった。

 僕の能力や経験によって、そういう回数とかは改善されて、成長するらしい。今では1日2回、使えるようになった。





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