第5話 たぶん、大切なのは不自然ではないタイミングだと思う。
朝、できるだけ普段通りに家を出る。
母さんとも、父さんとも、妹の銅音とも、これでお別れだということはわかってるけど、だからといって、時間遡行がわかるものは残せない。
もちろん、異世界転移からも逃げられない。逃げられないというか、どちらかといえば、それは楽しみでもある。逃げたら死ぬし。
通学用のかばんの中には、これまでに準備してきた物がきっちり詰め込まれている。教科書は1冊もないのに。
まずはコンビニで立ち読みして、時間を潰す。
今日は、久しぶりの登校だけど、時間通りには行かない。
わざと、遅刻して、行く。
倫理の時間の終わりを狙って。異世界転移、ギリギリに。
『ちょっとー? 渡くーん? もうすぐ遅刻だよー? 今日は来るんだよねー?』
『渡くん、本当に、本当に、大丈夫なんでしょうか? あの、すごく心配です』
おっと。またしてもメッセージを頂いてしまった。ごちそうさまです。心配かけてごめんなさい。
『今朝は、病院に寄って、薬を出してもらってから登校です。3時間目の倫理の終わりぐらいには、間に合う』
もちろん、通院はしない。嘘です。ごめんなさい。この3日間、割と心が痛む。あの優しくて、親切な二人が心配してくれてるのが嬉しいんだけど、心が痛む。
『え? まさか、なんかすごい病気とか?』
『風邪だったって、本当なんですか?』
……こ、心が痛い。風邪どころか仮病なんです。今は心の傷害かも。
『本当に大丈夫です。3時間目の終わりに、必ず、行きます。心配させてごめん。それと、ありがとう。病院のエアコンが寒いくらいだけど、二人のメッセージでなんだか気持ちがぽかぽかします』
それから返信はなかった。もちろん、病院など、足を踏み入れてもない。エアコンの効き具合なんか、もちろん知らない。そもそも実質、僕は健康体だし。
ただ、今日は必ず、その時間に教室に入る。これだけは本当に本当だ。
なぜなら、それはおっさん神様との約束だから。そうしなきゃ死ぬし。
今日、その時間に、僕のクラスには謎の魔法陣が展開し、僕たちは異世界転移することになる。
みんな、倫理の教科書には気をつけろ、と教えてあげたい。教えないけど。
まあ、そのお陰で時間遡行ができて、佐々木さんや野間さんとメッセージ交換ができるというプチリア充な経験ができたけど。倫理の教科書も僕の役に立って本望だろう。
とにかく時間を潰しつつ、学校へ向かう。
3時間目の半ばで、昇降口だった。このまま、しばらく、校内を歩く。なんとなく、これで見納めかもしれないと思うと、変な気持ちになる。
職員室で病院に行って遅刻したと、堂々と嘘をついて、それから教室へ。
教室の扉の前で、時計を確認する。
授業時間が残り2分。
秒針を目で追って、残り1分のタイミングで、扉を開く。
「すみません。病院に行って、遅刻しました」
「お、おお、渡くんか。自分の席に行きなさい」
「はい、すみません」
先生に言われるままに、自分の席に向かう。
「うむ。キリがいいから、これで終わるとしよう。来週の期末テストは頑張ってくれ」
残念ながら、僕たちは期末テストを頑張ることができない。残念ながら。
先生が僕と入れ違いになるように教室を出て行く。ああ、先生は異世界転移に巻き込まれないんだな、となぜか安心する。
まあ、倫理の先生だと、異世界でできることも少ないだろうし、先生は運がいいのかもしれない。
僕は自分の机に向かう。
そこへ、二人の女の子がやってくる。
……本当に、優しい子たちだ。噓偽りで心配かけて申し訳なく思う。
「渡くーん? 元気なの?」
「顔、ちゃんと見せて? ほんとに大丈夫?」
「も、もちろん。ぜ、全然問題なし。元気元気。魔王でも倒せるくらいには」
「……本当に?」
笑ってほしくて言ってみたのに、心配そうに首を少しだけ傾げる野間さんが、なんかかわいい。その横で心配そうな佐々木さんもかわいい。僕のことを心配してくれるってだけでとにかくかわいい。ありがたい。
「本当だって」
「うーん。確かに、元気そうな気がするねー」
「うん……」
「いやー、それにしても渡くんのぽかぽかメッセの破壊力ときたら!」
「へっ?」
……ぽかぽかメッセ? 何ソレ? 破壊力?
「授業中にスマホ確認してたママユミってば、顔が耳まであかくな……」
「ちょ、ちょっとキリコっ!」
佐々木さんの言葉を遮るように、慌てた野間さんが佐々木さんの腕を掴む。
その瞬間だった。
教室の中心から回転しながら広がっていく、不思議な模様が散りばめられた円によって、教室が光に満ちていく。異世界転移の魔法陣だ。
なんか、2回目だから、意外とどうでもいいな、これ。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
「なんだよ、これっ?」
「魔法陣ってやつか?」
「まさか、異世界転移でござるか!? ござるのか!? しかもクラス転移!!」
誰だ、ござるとか言ってるのは。
「えっ? 何?」
「これって、まさか……」
戸惑う佐々木さんと、さすがはラノベ好きと思える反応の野間さん。
そして僕は。
狙い通り、きわめて自然な状態で、この日のために用意してきた全てを詰めたかばんを持ったまま、光の渦に包まれたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます