十七、対の羽根

「満月の日は物の怪が活性化する。本来なら換が妖精に憑くことはできないが、満月ならば話は別だ」

「なるほど――いえ、おかしくありませんか? 満月による活性化は妖精である私も影響を受けるはずです。足し引きで結局変わりません」

 少女の指摘はするどい。まさにその通りだ。

 ……良い感じに会話に乗ってきてくれているな。

「活性化の振れ幅は物の怪それぞれで違うはずだ。妖精の上げ幅を換が大きく上回っている可能性もある――とは言ったが、正直な話、私にもよくわからない。さっぱりだ」

 文字通りのお手上げ状態。首をすくめてそう言ってみると、少女は喉に小骨でもひっかけたかのような微妙な表情をして見せた。

「冗談っぽく言ったが、これが実際なわけだ。物の怪は千差万別。見た目や習性、性格まですべてが揃うことは無い。ゆえに、わからないことも多い――」

 一度言葉を区切る。少女はその間を受けて首を傾げた。

「――だからこそ、コハリ師なるものがいる。その差異を追い求めてコハリ師は物の怪を追うんだ。未知を探し、首を突っ込み、新たな事実を積み重ね、知識を生む。世代を重ね、脈々と受け継がれてきたそれはいつか――」

 手に持つ湯呑からは熱が感じられなくなってきている。

「……しゃべりすぎた」

 口が滑ってしまった。これ以上を話すことは憚られる。にも怒られてしまうからな。

 壁に耳あり障子に目ありとはよく言うが、あいつの場合は〈すぐ隣にあいつあり〉だ。

 冷めたお茶を一気に飲み干し、空になった湯呑を少女に差し出す。

「おかわりを頼めるか?」

「――分かりました」

 察しのいい妖精である。不意に区切った話に追及の手を伸ばすことはしないでくれるらしい。

 慣れた手つきで二杯目を注ぎながら、別の話題を提示してくる。もしかしたら、最初に話題を逸らそうとしていたことも気づいていたのかもしれない。

「未知、ですか。私はてっきり何でも知っているものかと」

「私は全知全能じゃない。妖精のことも少しの知識しかなかったし、換だってまだ私の知らない習性が隠れているかもしれないからな。私は周りと比べて少し物の怪のことを知っているだけ。詳しいなどと言ったらおこがましいさ」

 少女から二杯目を受け取り、すぐに口をつける。

「そういうものですか?」

「そういうものだ」

 一言に一言で返し、それからすぐお互いの間に沈黙が降りてきた。

 日の落ちた森の中、ポツンと立つ家。そこで動くものは私と少女の二人のみ。

 手のひらから伝わる淹れたての温かみは、木々の隙間を抜けてくる風によって冷え始めた体をいたわってくれる。

 暗闇に慣れた目は鬱蒼と茂る木々の林冠をはっきりと捉えだしていた。

 ……そろそろ鈴虫の鳴き声も飽きてきたところだ。

 あらためて、思ったよりこの家で時間を使った気がする。明日の朝には出発してしまおうか。少年には引き止められそうな気がするが、あいつに道草を食っていると思われては心外だ。

 そんなことを考え出したころ、少女が沈黙を破って口を開く。

「やっぱり、手巾だけじゃこちらの気が収まらないです。何か他にもお礼をさせては

――」

「別にいい。旅の助けになる手巾がもらえただけで十分だ」

 お礼の話は逸らして終わらせたつもりだったが、少女の頭が想像以上に固かった。おもむろに立ち上がった少女は、膝辺りをはたいてからこちらを見る。

「旅人さん。コハリ師の仕事は未知を探し、首を突っ込み、新たな事実を積み重ね、知識を生む。でしたか?」

 ……何を改まってそんなことを?

「つまり、今回の一件は仕事と捉えていいですよね? コハリ師が持つ物の怪の専門知識を提供してのお仕事ですよね? 仕事のつもりがあるのなら、己に見合った報酬を受け取る義務があると思いませんか?」

 少女は一息で長尺の言葉をまくしたてると、ずいっと顔を寄せてきた。鼻息が当たりそうなくらいの距離である。大きな双眸が私を正面から捉えて離さない。

 おそらく、出会ってから最も強い押しだと思う。

「……分かった」

 観念して答えると、少女から先ほどまでの圧が霧散した。少女は「できる限り応えます」と口にすると、やる気を示すように腰に両手をあてる。

「じゃあ、酒が飲みたい。好物なんだ」

「お酒ですか、分かりました。せっかくですし、今飲みましょう! 私も結構いけますよ」

 それだけ言って室内に駆けていく少女。ドタバタと音を立てているその調子の上がり具合に苦笑をこぼす。思ったより少年と似ている部分があるらしい。

「……任せるよ、もう」 

 目を閉じる。多大なる邪魔を押しのけて、鈴虫の鳴き声に耳を澄ました。

 私は明日、この家を発つ。



 二章『対の羽根』――完

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