十六、対の羽根

 目の前に広がる暗闇の中に、月明かりで照らされた木々が大きな姿を映し出す。頬を撫でるような風が吹けば葉がこすれて音を奏で、鈴虫の鳴き声と混ざりあって不思議な音楽を顕現させた。

 森が一体となって醸す夜の顔は、程よく感じる疲労感を流してくれるように思う。目に見えずとも感じる生命の気配。しかし、一人でいるようにも感じる夜が私は好きだ。

 手触りの良い真っ白な布――少年の口に突っ込んだものではない――で額の汗をぬぐう。本当は手の甲で荒っぽくやりたいところなのだが、両手に巻いた包帯を使うことになってしまうので避けたかった。

 そのせいでいちいち手巾を用意する羽目になっている。

 しかし、しばらくはその悩みが解決することになった。少女から複数枚の手巾を譲り受けたのである。あの肌触りが良くて上等そうなものだ。今回の一件でのお礼の気持ちらしい。

 で、さっそく使わせてもらっているというわけである。

「旅人さん」

 縁側に腰掛け、目を閉じていた私の横に誰かが座った気配。そして私の名を呼ぶ声。

「あいつはどうした?」

 声のした方を見れば、座ってきたのは少女の方だった。手にはお盆を持っており、湯呑が二つと小さな灯火皿が載せてある。

 灯火皿の上で灯る火は小さく淡い。しかし、明るすぎず風情があるものだと思った。

「水浴びをした後、すぐに寝てしまいました。よほど糞が嫌だったようです」

「そうか。つい先ほどまで憑かれていだんだ。早めに休むに越したことはないだろう」

 少女から微かにこちらを責めるような気配を感じ、早々とこの会話を打ち切ろうと言葉を返した。また、少女もそれに気が付いたのだろう。薄く息を吐いたのち、続けて口を開く。

「本当にありがとうございました。旅人さんのおかげです」

「気にするな。これが私の仕事でもある。やるべきことをしたに過ぎない」

 頭を下げる少女を制し、湯呑に口をつける。いれたてで爽やかな香りが鼻を抜けていった。

「気にするなと言われましても、そういうわけにはいきません。旅人さんのおかげであの子の表情は柔らかくなったんです。あなたがいなければ――」

 少女はそこで言葉を止めた。言いたくないように口を開閉させ、逡巡するそぶり。

「もう大丈夫だ。対処法も教えた。お前が恐れる必要はない」

「それは――そうですね。ありがとうございます。感謝してもしきれません。やはり、手巾だけでなく何かお礼を……」

「今日は、満月だな」

 再びお礼の話になりそうだったのを察し、先回りで言葉を投げる。手巾に落ち着くまで何回もやりとりがあったのだ。もう一度あの手間をかけたくはない。

「そう、ですね。とてもきれいです」

 気をそらすことが出来たようだ。少女は月を見上げて目を細める。

 よし、このまま話題を移してお礼の件は忘れてもらおう。

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