憑きモノ

ヒノワ馨

憑きモノ

始まりは微かな耳鳴りであった


夜通しつけっぱなしであった扇風機がそろそろ壊れたかと思ったが、スイッチを切ってもまだ耳の中に響いていた


ブーーーーンという、低いモーター音のような異音


連日の熱帯夜のせいでよく眠れていないのだろう


特に生活に支障をきたすほどでもなかったので数日は忘れて放っておいた


音にもすぐ慣れて気にならなくなった




次に違和感を覚えたのは1週間ほど経ってからだった


そういえば耳鳴りが大きくなっているような気がする


誰かに呼ばれた気がして後ろを振り返ることが多くなった

誰も呼んでいないのに…


他の音にまじって低いモーター音がずっと耳の中で響いている



一度気になるといてもたってもいられなくなって耳鼻科にかかった


精密な検査をしてもらったが

医者は、特に異常はない、というばかりであった



その頃からよく夢を見るようになった


雑踏、群衆、顔は見えない、人の群れが私に向かって口々に何かをつぶやいている



―…ゅ>縺�∴……縺� �撰シ…托シ抵シ�……


―……譁�ュ……怜喧縺代…………ヱ繧ソ繝シ繝ウ


―…�樞…包シ搾……シ�ソ��。……繹ア竭�竇…



何を言っているのかよくわからない、聞き取れない


漠然な不安と恐怖に襲われて、逃れるように飛び起きる


起きるといつもびっしょりと汗をかいているが、手先はいつも冷たかった




夢は段々見る頻度が増して、2、3日に1度は見るようになった


毎回同じ群衆が現れる、顔はいまだに見えない




よく眠れる事など全くできず、このままでは日常生活に支障が出る


助けを求めて、あらゆる病院にかかった


耳鼻科、外科、内科、眼科、歯科


明確な原因が見つからず、最終的には心療内科へ


心労が原因だろうと診断され、よく眠れる薬を処方された




薬を飲み始めて1週間、前より酷くなっている気がする


このところ毎日あの夢を見る


起きている間も、ふとした瞬間に夢に出てくる人影が見える気がするのだ



何よりも厄介なことに、夢の中で人影がつぶやく言葉の意味がだんだんはっきりとわかってきた


どこの国、どこの地域の言葉なのかはわからない


しかし意味だけがだんだん理解できるようになってきた


それは呪いの言葉であった


私は毎晩、呪詛の洪水を浴びていたのだ




次第に起きているのか寝ているのか区別がつかないほど、生活に夢が侵食してきた


誰かと会話、テレビの音など、夢の言葉が相手の発する言葉に被さって意味をなさなくなってきている



『今日の縺� �は撰シ…全国托シ抵シ�、急な雨に縺� �撰シ…』


「いらっし譁�ュ…繧ソ繝シ繝温めます怜喧縺?」



買い物もままならなくなってきた

当然仕事もできない

このまま社会に戻れずのたれ死んでしまうのであろうか


そんな絶望に脳内が支配されかけた時、

私は家の近くに小さな診療所を見つけた



こんなところあっただろうか



壁は蔦とひび割れに覆われ、いかにも古そうな見た目である


診療内容は「内科、小児科、符咒科」と書いている


そんな診療内容は聞いたことがない




しかし気が付くと私は診療所の中にいた


いつの間に入ったのか


もう寝不足と疲労で判断力もなくなっているのかもしれない



診療所の中は受付と待合のベンチが2つあり、私以外は誰もいなかった


このまま帰ろうか、と思った矢先に声がかかった


「お入りくださーい」


待合室の奥の診療室から看護師が顔を出している


どうしてだろう、あの人の声はよく聞こえる


私はもう考えることをやめ、診療室に進んだ




「あーーいるねぇ」


初老の医師は私の耳の中を懐中電灯で照らしつつ言った


灰色になった髪の毛に黒縁の眼鏡、口ひげ、落ち着いた話し方


ベテランの町医者の雰囲気だ


数件の医院を渡り歩いて全員が首をひねったが、この医師には原因の見当がつくらしい


「あれ持ってきて」


医師は扉付近で待機していた看護師にいいつけた


「痛かったら言ってね」


看護師が持ってきたのは細長いピンセットのような器具であった



一体何が「いる」んだ

何が起こるんだ



そう思いつつも私は医師に従って、診療椅子に体を預けた


片耳を医師のほうに向けると、私の頭を看護師が押さえつけた


一瞬驚いて体を起こしかけたが、医師がやんわりと体を押し返した 


「はいはい、大丈夫だからね」



何が何だか分からなくなって硬直している私の耳に器具が挿入される


耳かきよりさらに奥、

がりがりがりという音が脳に響く


このまま刺されて殺されるのではないかと思ったその瞬間



「いた」

と医師がつぶやいた




ずごごごごごご、と

いう音が耳に響き、同時にあの夢が目の前で点滅する


呪いの言葉が物凄い速さで頭の中を駆け巡る


呪いに押しつぶされる…!


次の瞬間目の前が真っ暗になった




「はい、終わったよ」


どれくらい気を失っていたのだろうか

1時間のようにも一瞬にも思える


「いやー凄いのが入ってたねー、大変だったでしょう」


耳鳴りは…止んだ…


いや、まだかすかに聞こえるが耳の中からではない




私は音のするほう、医師の机に目を向けた


そこにいたのは銀色のトレーに乗った、黒くて細長い虫であった




その虫は絶えず呪詛を吐き続けていた

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憑きモノ ヒノワ馨 @hiro_n04

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