君の血は何色だ

 アグネスはのけぞって倒れた。彼女はまさか、地球人の日用品、百均ショップアイテムにトドメを刺されるなんて夢にも思っていなかっただろう。

 茜も爆発に巻き込まれたように思われた。しかし違った。爆発が起きたのと、アレクサンドラがその場に到着したのが、ほぼ同時だった。四大魔導は、ギリギリのタイミングで現れ、転送魔法で茜を退避させた。 

 二人は、プールサイドの隅に立っていた。

「自分を巻き込むつもりで爆破したのか」

「ええ。死にはしないと思ったから」 

 アレクサンドラは、茜の無謀さに呆れることもなく、幾分か誇らしげに微笑みかけた。

「君の勝利だ」アレクサンドラが言うと茜は首を振った。

「いいえ。あなたの支援がなかったら適う相手じゃなかった。私の手柄じゃない」

 アレクサンドラは茜を抱き寄せた。

「ダメなやつはどんな支援も粗末にする。君は支援を大切に使い切った。それでいい。だから、君の勝利だ」

 茜は嬉しくなった。アレクサンドラの温もりに、ふと母を思い出した。新世界憲法のせいで、壮絶な最期を遂げることになったが、父も母も、後悔の涙なんて一滴も流していなかった。きっと、幸せな死に方だったのだ。

 両親を思い出しても、悲しくも寂しくもならない。暖かな気持ちになれる。茜はきっと幸せだ。両親の背中を思い出した時に、暖かい気持ちになれるのはその家庭が幸せな証拠。両親が立派な証拠。無力な親に育てられた子供は、親を思い出すたび絶望したくなる。生まれたことを後悔したくなる。

 茜は、両親のように生きたいと思った。将来、自分が子供を持ったとき、暖かな親の面影を子供の心に残してやりたい、それが出来る親になりたいと思った。

 だからこそ、この戦いは必要なのだ。魔導界に負けるわけにはいかない。そのためには、自分の血の色をもっともっと知り、心の種を大切に育み、システムに植えつけられた苗ではなく、自分の花を咲かせなければならない。それを頑張るしかない。

 茜は、勝利に酔うことなく、戦うことを改めて心に誓った。

 彼女は、すぐに晴加に駆け寄った。アレクサンドラが彼女を縛るリボンをほどいていくれた。二人は力いっぱい抱き合った。

「茜、ごめんね。わたし、あなたにひどいことした」

「ううん。命がけで指輪を外したあなたを尊敬する」

 茜はより強く晴加を抱きしめた。緊張が緩んだのか、二人の若い娘はしばらくの間、夢中で泣きながら抱き合った。レンズを失ったアグネスとセレドニオは、ふてぶてしくその光景を眺めていた。

 ようやく満足した二人の娘は、やっと立ち上がった。アレクサンドラと三人でプールの出入口をくぐって外にでた。茜は、戦いが一段落したと思って、少しだけほっとしていた。しかし、外に出た瞬間、またしても緊張しなければならなかった。

 プールの外には異様な人垣が出来ていた。教員と生徒たちが、憎悪の炎を燃え上がらせた目で睨みながら、壁を作って通せんぼしていたのだ。

 三人が無事に帰れば、この者たちは命がないのだ。茜たちを通すわけにはいかなかった。全員が狼の口みたいに手を広げて爪を光らせている。百の狼の口が、茜たちを狙っていた。事情を知っていた晴加が二人に説明した。

「みんなは私達の反逆行為の連帯責任で死刑を宣告されているの。私たちが捕まらないと、みんな殺される」

 アレクサンドが鼻でわらった。

「なるほど。ここはとりあえず穏便に済ませるとしよう」 

 彼女は、手の平の魔導レンズを空に向けた。レンズから真っ直ぐな光線が放たれて、日が暮れた暗い空の彼方までその光線が突き抜けた。すると、アレクサンドラが急に怒鳴った。

「ゲオルク! おい、ゲオルク! 聞こえてるか」

 茜は、アレクサンドラの怒鳴り声を初めて聞いた。クールで温厚な人物だと思っていたから、とつぜんの大声にビックリさせられた。しかも、怒鳴っているときの顔が、まるで別人のようだ。怒り狂った狼みたい。

 その声は、レンズからの光線を介して、オセロタワーの内部にいたゲオルクのレンズに届いた。魔導レンズの通信電話だ。

 作戦本部で戦いの結果報告を待っていたゲオルクは、味方の魔導士からではなく、敵のアレクサンドラから連絡が来たので、作戦の失敗を悟った。彼は、首からぶら下げていたレンズを外し、会話しやすいように目の前のテーブルに置いた。テーブルは豪勢なつくりだ。

「フフ、懐かしい声が聞けてうれしいよ。魔導界の頂点に君臨する四人の大魔導士のひとり、アレクサンドラ。わざわざ我々の敗北の知らせをよこしてくれるなんて、恩知らずの反逆者にしては随分と親切だね。ところで、アグネスたちはどうなった? 君が処刑したのかね?」

 ゲオルクは随分と落ち着いている。彼は、アレクサンドラが人命尊主主義だと知っていて、わざと皮肉を言った。アレクサンドラも、落ち着きを取り戻していたので、いちいち感情的になることもなかった。

「ゲオルク。学校の者たちの死刑を取り消せ。さもないと、アグネスたち五人を本当に殺す」

 脅しでないことをゲオルクはすぐに理解した。アレクサンドラは、人命尊主の信念を持つ反面、決心さえすれば人殺しもためらわない冷酷さも併せ持っている。たった一人で魔導界に喧嘩を売るほどの女だ。決してお人好しなんかではない。ゲオルクはそれを知っていた。

「その五人はなかなかの手練だから、無駄に失うのはもったいない。わかった、死刑は取り消そう」

「学生たちが目の前にいる、今ここで直接伝えろ」

 アレクサンドラは、レンズの面を、野獣のようになった学生教員たちに向けた。スピーカーを向けたようなものだ。ゲオルクが生徒たちに聞こえるように言った。

「諸君おめでとう。死刑はたった今取り消された。ただし、勘違いしてはいけない。今後も反逆行為は厳しく取り締まる。油断しないように気をつけたまえ」

 それを聞くと、彼ら彼女らの目の中の炎が、みるみる火力を弱めた。狼の口のように爪を立てていた手が、人間の手に戻った。柔らかそうで、暖かそうな手だった。

 みな、黙って、ゾロゾロとどこかへ去っていった。去っていく背中は、どれもこれも、哀愁を漂わせているように感じられた。もしかしたら、みんなだって茜のように魔法使いになって戦いたかったのかもしれない。自分の命を守るために、誰かに死刑台に立たせなければならない現実が、寂しかったのかもしれない。

 しかし、これは仕方ない。鳥かごを飛び出して、空を羽ばたくことをあきらめてしまった人間は、生き方を選べない。

 茜は、なぜ魔法使いになれたのか? たまたま運良くアレクサンドラに見初められたから? 違う。彼女は、空を飛ぶことを決心したからだ。それ以外に理由はない。花は、咲かせる決意をした人間にしか咲かない。

 アレクサンドラとゲオルクの会話は続いていた。

「ところで、君が猛反対していた私の軍事研究の成果はどうだったかね?」

「壊した」 

 四大魔導は、答えになっていないような変な返答をした。ゲオルクが怪訝そうに「なんと?」と聞き返した。

「すまんが貴様の自慢の試作機は壊した」

 ゲオルクが、アレクサンドラの言わんとしていることを理解したらしく、しかもその内容が彼にとっては意外だったようで、少し黙った。しばらくして、彼はたずねた。

「マリアンヌを殺したのかね」

 この質問が、アレクサンドラを憤慨させた。

「ふざけるな! 殺したのは貴様だ!」

 ゲオルクは馬鹿げていると言わんばかりに、笑いながら返した。

「おいおい、何を言っているんだ。四大魔導ともあろう君が、まさか殺人の罪を他人になすり付ける気かね。それは少しみっともなくはないかね」 

 アレクサンドラはうつむいてしまった。しかし、落ち込んだのではない。顔が長い髪に隠れて見えないが、鬼の顔になっているのがわかった。腹わたが煮えくり返っているのがありありと伝わってきた。そばにいた茜と晴加は、背中がソーっと寒くなった。

「私の前に現れたのはマリアンヌではなかった。マリアンヌの顔を持った別の生き物だった。あの子は、貴様に手を付けられた瞬間に死んだ。もし彼女が生きているなら、奇形魔法で人殺しなんかしない。今頃は、医術の道に進み、人の命を助けていた。貴様が提案した脳手術は、殺人そのものだ。貴様がマリアンヌを殺したんだ!」

 アレクサンドラは、怒りで体が震えていた。

「アレクサンドラ。たしかに私の研究には人道的な問題があるかもしれない。しかし、軍事研究は決して害をもたらすだけではないだろう。生活を豊かにする魔法技術のほとんどは軍事研究から生まれたものだ。これはきっと魔導界だけの話ではなく、地球も同じことだろう。軍事技術の平和的利用によって生活レベルが格段に上がっているはずだ。そのお陰で、いままで救われなかった命が救えるようになっているはずだ。軍事は命を殺すが、育む手助けもしている。『イレギュラーズ』の研究だって、いつかは平和利用される日がくるはずだ。

 アレクサンドラ。勘違いするな。私は決してマリアンヌに手術を強制していない。最後の最後は彼女自身が決めたんだ。彼女は自分の意思で、将来の平和利用の礎になることを決めたんだ」

「ハハハハハ」

 アレクサンドラは急に笑い出した。茜と晴加は、その笑い声を聞いて、彼女が壊れてしまったんじゃないかと疑うほどであった。そんなおかしな笑い方だった。

「ハハハハハハハハ。軍事研究の平和利用? そんなものは都合のいい結果論だろ。軍事研究をしている途中で将来の平和利用を語るやつはペテン師だ。貴様が腹ぞこで考えているのは、将来の平和のことじゃない。目先の貴様個人の名誉だ! 将来の平和のことは将来の人間に語らせろ! 貴様が語るな! マリアンヌは平和の礎になんかなっていない。貴様の利得の犠牲になっただけだ! 

 彼女が自分で決めた? 笑わせるな! マリアンヌは自分の意思で決めたんじゃない。センセーの言葉で決めたんだ! 貴様が姑息に言いくるめて決めさせたんだ! 貴様がマリアンヌを殺した!!」

 いい終わった頃には、アレクサンドラは酸欠寸前になっていた。頭がクラクラしていた。肩で息を切っていた。

 ゲオルクはしばらく黙りこくっていたが、また平然と話し始めた。

「ならどうして君は、彼女を置いて魔導界を去ったのかね。そんなに愛していたなら最後まで一緒にいてやればよかったじゃないか。たしかに君が言うように私はマリアンヌの死に無関係ではない。しかしそれは君も同じだ。

 私が殺したといいはるなら別にかまわない。その代わり私は君にこう言い返すぞ。『君は彼女を守れなかった』と。君が語る愛は、結局は中途半端なんだよ。その中途半端な愛の次なる犠牲者は沙倉茜だ。言っておくよアレクサンドラ。われわれは絶対に地球人に魔法覚醒させない。これは私個人の意思でもあるが、魔導界女王の意思でもあり、魔導界に住むすべての人間で決めたことなんだ。だから、必ず沙倉茜は殺す。ジェミネーターも葬る。君ひとりの力でそれを防ぐのは不可能だ」

 横で話を聞いていた茜は、我慢がならなくなっていた。ゲオルクに対しての敵意がメラメラと燃え上がっていた。急に会話に割って入った。

「絶対に覚醒させてやる! 覚醒して、あんたたちが手出し出来ないところまでいってやる! でも私達はあんたたちみたいな風に魔法を使わない。自分をもっともっとよくするために使う! あんたたちなんて端から眼中にないのよ!」

 ゲオルクは、聞きなれない声に少々驚いたようだ。

「君は誰だね?」

「あんた馬鹿? 沙倉茜よ。いまさっき殺人予告したでしょうが」

 ゲオルクが嬉しそうに言った。

「ほほう。君がそうだったのか。いやいや、話せて嬉しいよ。ねぇ君、四大魔導のそばにいて安心かい? だが、それは過信というものだ。教えておいてあげるよ。アレクサンドラは、魔導界トップフォーである四大魔導の一人に間違いないが、残念ながら彼女は、四大魔導の中ではもっとも下級なんだ。つまり、こちら側には彼女よりも強い魔導士が少なくとも三人いるということだ。それを忘れずに稽古に励み給え。それから、敵は魔導界だけではないぞ。新世界憲法のお陰で甘い蜜を吸ったAランク者は、魔導界を気に入ってくれているらしい。Bランク者も、底辺にCランク者がいる限りは安心だから、別に現実を捨ててまで魔導覚醒しようなんて思わないだろうね。Aランク者が優勢の社会の中で日和見生物のBは必ずAランクに加勢する。Cランク者は、ユニオンデバイズの奴隷になっているから、もう反逆する力など残っていない。つまり、地球人自体が、今の現状に馴れ合い、守ろうとしている。だから、そこに水を差そうとする君を目ざとく思うはずだ。もはや地球人の中にも君たちの味方はいない。全員が敵だ。さぁ、どう戦う? まぁ、せいぜい頑張りたまえ」

 レンズの光線が、焼け切れる糸のようにプツリと消えた。ゲオルクが通信を切ったようだ。

 茜は、腹わたが煮えくり返っていた。今すぐ敵陣になぐり込んでやろうかと思った。しかし、実力が及ばない。歯がゆかった。そんな彼女の肩に、晴加が手をおいて言った。

「私も一緒に戦いたい。ねぇ、私も魔法使いになれるの?」

 晴加の目の中には光があった。彼女は一度、ユニオンデバイズの泥沼にはまった。しかし、そこから這い上がった。戦えない女じゃない。

 茜は、晴加の手を握って答えた。

「なれる! 一緒に戦おう」

 アレクサンドラが、魔導覚醒の補助装置ジェミネーターを晴加に渡した。晴加はその黄金の杖を受け取り、力強く握り締めた。

「君の血は何色だ」 

 アレクサンドラが問うた。


 自分が何者かがわかっていなければ、何をすべきかなんてわかりっこない。そんな奴は何をしても方向が定まらない。自立する力が養われない。自立できない者は、システムに寄りかかる。そして、システムの中の人間同士で血を吸い合うのだ。どんぐりの背比べに明け暮れるのだ。そのくせ『愛は与えるもの』だとか寝言を言う。

 自分の血の色がわかっている者。誰もがひとつだけ宝石の種を持ってうまれてくることを知っている者。その種に光を当てることを頑張る者は、命が続く限り前進し続ける。ゆっくり少しづつ、失敗や絶望を味わいながら、しかし、確実に新しくなっていける。飽きない人生を歩める。血の吸い合いなんてしないし、どんぐりの背比べから卒業するし、いつかは、本当の『与える人』になれる。

 晴加は、ゆっくりと目をつぶった。そして、茜がやったように、心の中の化物と対峙した。苦しそうだった。しかし、不幸な顔ではなかった。晴加を見守る茜とアレクサンドラの目には、澄んだ強い光があった。

 今後、彼女たちは、魔導界と地球人と、あらゆる敵と対決することになるだろう。今回よりも、もっともっと大きな戦いに飲み込まれるだろう。しかし、きっと彼女たちは負けない。

 自分の血の色がわかっている者が、わかっていない者に負けるわけがないのだから。

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She's Blood Revolution ドロップ @eiinagaki

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