決着の火花
アレクサンドラは、感情の読めない鉛のような目でダーターに歩みよった。そして、彼のポケットを探った。彼が取り上げたアレクサンドラの魔導レンズはポケットに守られて無事のようだった。ダーターが怯えながらたずねる。
「俺たちも殺すのか」
アレクサンドラは何も言わずに、いや、質問されたことにすら気づいていないような感じで、縛られた生徒と教員たちを開放して、その場を去っていった。向かった先は、もちろん茜のところだ。
アレクサンドラは、かなり時間をかけてマリアンヌと話した。だから、茜と別れてからもう随分と時間が経っている。ヒヨっ子の下級魔導士が、たとえ一対一だったとしても格上の魔導士と戦って、まだ無事でいるかはあやしい。もしかしたら、今頃はもう敵に捕まって連れ去られてしまったのではなかろうか?
彼女の戦いの結末を記すために、時間を少し巻き戻させてもらう。セレドニオの謎の爆発がおきた直後だ。
茜は周囲をとり囲まれていた。不利な場所をかえるために、アグネスが予想外の爆破に唖然としている隙に屋上からお飛び降りた。飛び降りた先にはプールがあった。プールには大量の水がはってあった。
さて、このプールがこの戦いの決着の場になるのだが、果たしてこの大量の水は、茜の敵か味方か……。
屋上のアグネスは抱えていた晴加をセレドニオに渡した。晴加は相変わらず赤いリボンでぐるぐる巻きだ。
「私が捕まえてくるからこの子を見張ってて」
セレドニオが晴加を受け取ると、赤黒ドレスのアグネスは茜を追って転送移動した。
二十五メートルプールの、辺の短い方の対岸に二人は向かい合って立った。風はなく、プールの表面は鏡のように静まり返っている。時刻は夕陽がもうすぐ沈む頃だ。
アグネスは、幾ばくかの不安があった。爆破の謎が残っているからだ。相手は、間違いなく下級魔導士だから、茜が口走った最上級魔法「ファイナル~」はハッタリだ。しかし、爆破現象が起きたのは事実であり、茜の仕業であることもおそらく間違いない。このヒヨっ子は、虎の子を隠し持っている。下級魔導士を捕らえるなんて、ネズミ捕りほど造作無いことだが、緊張せざるを得なかった。
「ねぇ。取引しない?」とアグネス。
「なんの?」警戒する茜。
「おとなしく投降してくれないかしら? もし応じてくれたら、晴加ちゃんの処刑を取り消すように私が魔導ポリスに働きかけてあげるわ」
茜は鼻で笑った。
「あんた馬鹿? どっちにしても私が損するでしょ。取引になってない。魔導界って詐欺師しかいないの?」
相変わらず茜は挑発的だ。
だが、アグネスは本気で取引をしたくて言ったのではない。相手の出方を探っているのだ。彼女は頭の中で状況を整理していた。
「また挑発してきた。セレドニオのときも執拗に彼を挑発していた。挑発に乗って魔法を放とうとした瞬間に爆発が起きた」
アグネスは、こう勘ぐった。茜は相手に魔法を撃たせたいのではないか。そこに爆破のカラクリがあるんじゃないか。
アグネスは念の為に、できるだけ魔法を使わない戦法で行こうと考えた。彼女は、屋上からこちらを見下ろしているセレドニオに叫んだ。
「晴加ちゃんをここに連れてきて!」
せっかく人質がいるのだから、使わない手はない。下級相手にこんな手を使うのは不甲斐ないが、虎の子の正体がわからない内は、用心せざるを得ない。
茜とアグネスがにらみ合いを続けているとセレドニオが晴加を連れてきた。彼はアグネスに近寄った。
アグネスは、まだ具体的な戦法は思いついていなかった。茜が起こした謎の爆破は想像以上に二人を慎重にさせた。
「どうする気だ?」
セレドニオが小声でたずねる。アグネスは答えられなかった。情報が足りない。相手の手の内を暴くにはもっとヒントが必要だ。
「ねぇ、セレドニオ。どうしてさっき爆発したのかしら?」
「わからない。魔法が発動し始めて、熱を感じ始めた瞬間に爆発した」
「どんな感覚だった?」
「小さな爆破だったように思う。例えていうなら、爆竹で全身を縛られて、それを一気に点火された感じだ。小さな爆発が、体の表面でいっきに起きた」
「不審な点はなかった?」
「あるぞ」
アグネスの目の色が変わった。ヒントになりそうなものであれば、今は何でもありがたい。セレドニオは破壊された魔導レンズをアグネスに見せた。
「俺は、こんな割れ方をしたのは初めて見た」
彼がいうようにレンズには不思議な現象が起きていた。大破したのではなく、細かいヒビが全体を覆っている。しかも、ヒビは表面だけでなく中芯にまで根を張っている。レンズ内部も割れているのだ。通常、外部から強い衝撃を受けた場合、こんな風にはならない。中芯まで割れるぐらいの衝撃が加わったなら、脆い表面はもっと派手に傷ついているはずだ。
アグネスは、自分が使える魔法の中に、こんな現象を起こせるものは思い浮かばなかった。セレドニオにたずねてみた。
「アナタならこんな風にできるかしら?」
「俺にはできないが、俺と同じ色種持ちの奴ならできるかもな」
「どういうこと?」
「赤の色種の火炎属性魔法に『ペッパー・ラップ』というのがある。可燃性の高い粒子を相手の体に吹き付けて、任意のタイミングで発火させる時限爆破魔法だ。ミクロの爆弾で相手をラッピングするようなイメージだ。対象は、細かい爆破を広い面積で受けることになる。だから、こんな風にレンズが割れることもないことはない。だが、この魔法の色種は赤だ。沙倉茜には使えない」
ヒントになりそうでならない。なんとも歯がゆい。アグネスは必死で考えた。もっと、情報が必要だ。なんでもいい。なんでもいいから考えるヒントをさがさなければ。彼女は、そんな思いで、自分のレンズを眺めてみた。意外にもその行動が彼女に光明をもたらした。
レンズが、ダイヤモンドの粉末をかけたみたいに、キラッ、キラッと時々光るのだ。いつもには無いことだった。
「なにこれ」
怪訝そうに呟いて間近でレンズを観察した。すると、光る物体の正体がわかった。彼女はクスクスと笑い始めた。そして、目を輝かせてセレドニオに言った。
「虎の子の正体がわかったわ。謎の爆破の犯人はあのヒヨっ子じゃない。あのくそったれ四大魔導よ」
セレドニオは、わけがわからないといった顔になった。
「ねぇ、思い出してみて、私たちが例の山小屋に彼女たちを出迎えに行った時のことを。アレクさんは、あのとき意味不明な不発魔法を撃ったでしょ。フローズン・ブラストよ。やけにたくさん矢を出現させたのに、どれも的を大きく外れたわ。でも、一本だけ真正面に飛んできた矢があったわよね。それが、レンズを構える私達の手前で砕けてパウダー状になって降りかかってきた」
「それがどうした?」
「魔法は使い手のレベルで形態が変化するのよ。四大魔導ほどのレベルなら、形態を自由自在に操れるはず。途中で砕けた矢は、実は不発で砕けたんじゃないの。意図的にアレクさんが砕いたのよ。いや、砕けたんじゃなくて、ミクロサイズに分裂させと言った方が正解ね。つまり、さっきアナタが言った『ペッパー・ラップ』の氷属性バージョンよ。時限爆弾搭載の氷のダーツをミクロサイズに分裂させて、私たちはそれを真正面から浴びたのよ。私のレンズにキラキラ光ってる粒の正体は、ミクロの氷の矢よ」
セレドニオはハッとした。合点がいったようだ。
「つまり、俺が火炎魔法を発動させたときに生じた熱で起爆したということか」
「たぶんそうよ。沙倉茜はアレクさんからこの仕掛けを知らされていたのよ。そして、まずはアナタのレンズの破壊から狙ったの。挑発して火の魔法を使わせて自爆を誘った」
「クソッ!」
セレドニオは、格下にまんまと罠にはめられたことを悔しがった。
「無駄にたくさん矢を撃ったのは、真の目的をカモフラージュするため。四大魔導はすべて計算づくだったのよ」
アグネスの言ったことはすべて正解だった。読者は覚えているだろうか? アレクサンドラは、この学校に茜を転送させる間際、何かを耳打ちしていた。耳打ちの内容はこうだ。
「実はさっきのフローズン・ブラストだが、不発に見えたのはカモフラージュだ。氷の矢を小さく分裂させて奴ら全員に仕掛けた。術者と矢が離れると起爆信号を送れない。だから、君が起爆させろ。熱だ。なんでもいいから熱を加えろ」
これが不可解な爆発の正体だった。全員、ミクロ爆弾をしかけられていたのだ。セレドニオは、魔法の熱で発火し、講堂のマリアンヌと魔道士たちは、アレクサンドラ自身が信号を送って起爆したのだ。
あとは、アグネスだけだ。だが、アグネスはトリックを見破ってしまった。
「からくりがわかった以上、もう怖がる必要はないわね。彼女は風の魔導士。そして、私も火炎魔法は使えない。だから、からくりの肝になる熱が存在しない。アレクさんの仕掛けはこの戦いには無効よ。だから単純な実力の勝負ってこと。フフフ。私の勝ちよ」
起爆スイッチであるアレクサンドラさえこっちへやってこないかぎり、茜に勝機はないように思われる。
「アレクさんが来る前に、片付けましょう」
アグネスは晴加をプールの飛び込み台に立たせた。そして茜に向かってウインクをして挑発した。その直後、晴加の背中をドンと押した。晴加は体勢を崩して前のめりになった。彼女は全身を縛られている。泳げない。このまま転落すればどうなるかは、茜にわからないわけがなかった。
「ライド・ジェット!」茜は空中を高速ダッシュする魔法を唱えた。プールに向かってふわりとジャンプ、くるっと前傾姿勢、彼女は人間大砲の弾になった。二十五メートル先に見える晴加が、みるみる実物大に拡大された。
「間に合う!」手応えを感じた瞬間だった。
「うっ!」
茜はとつぜん脳震盪を起こして、一瞬、気を失った。何が起きたのかわからなかった。何かに激しくぶつかったような感じだった。
気を取り戻すと、自分が水中にいることだけはハッキリとわかった。しかし、視界が真っ暗なので周囲の様子がわからない。目をあけても何も見えず、自分がどこにいるのかまったくわからなかった。彼女は手探りで周囲の様子をうかがった。手をまっすぐ前に伸ばすと壁があった。足を伸ばすとすぐに床に当たった。立とうとしたら頭が天井につっかえて立てなかった。後ろに下がるとすぐにお尻と壁がぶつかった。どうやら、彼女は水で満たされた小さな箱の中にいるようだ。
だんだん息が苦しくなってきた。茜は箱の中に出口を探した。くるくると向きを変えながら、前方の壁をしらみつぶしに調べた。しかし、どんなに頑張って調べても出口がない。床も、天井も、手当たりしだい確かめたが出口どころか継ぎ目すらもないことがわかった。彼女は、完全密封された立方体の中に水と一緒に閉じ込められてしまっていたのだ。出口のない鉢を泳ぐ金魚だ。
ますます息が苦しくなってきた。茜は、パニック寸前だ。壁を思いっきり叩いてみたが、鉄のように頑丈でビクともしなかった。息ができない。彼女は手当たり次第にあちこちを華奢な腕で叩いた。
さて、どうして彼女がこんな状態になってしまったのか。犯人はアグネスだ。アグネスは、茜が晴加を助けるためにこちらに向かって飛んでくることを読んでいた。というよりも、茜にプールの上を飛ばせるために、わざと晴加を水に落としたのだ。
アグネスの色種はグレー。土の魔法使い。土のスペシャリスト。土から鉄をも生み出せる。鉄の槍、剣、巨大ハンマー、鉄製品で彼女に作れない物はない。
アグネスは、空中を疾走する茜を狙って「ピストン・ハートビート」を撃った。巨大な鉄のピストンに茜は自ら飛び込んでしまって脳震盪を起こし、水に落ちた。そこを狙って次に撃つのは「デス・パニック・ハウス」だ。文字通り死のパニックハウス。隙間のない鉄の箱に閉じ込め、敵を窒息させる残酷魔法。閉じ込められた者は、酸素を求めてのたうち回る。血を流すまで壁を叩き、暴れる。次第に、酸欠の脳と肺に、締め付けられるような激痛が走り、目、鼻、耳から血を吹き出し、地獄の形相をむき出しながら息絶えるのだ。茜は、死のパニックハウスに水と一緒に閉じ込められた。溺れ死ぬのは時間の問題か。
アグネスはセレドニオに、晴加をプールから引き上げるように頼んだ。
「この子も一緒に処刑台に送って上げましょう」
晴加を引き上げたセレドニオは、心配そうに言った。
「あいつ、死んじまうじゃないか?」
「大丈夫よ。水を飲んで心肺が停止しても、すぐに蘇生処置すれば息を吹き返すわ。ちゃんと生け捕りにするから安心して」
アグネスは引き上げられたばかりの晴加を抱いて、プールに沈んだ鉄の箱を見せつけた。箱は黒くて、マンションのゴミ捨て場に備え付けてあるダストボックスぐらいの大きさがあった。
「今、アナタのお友達は、あのブラックボックスの中でのたうち回っているのよ。自分がどこにいるのかもわからないまま溺れてもがき苦しんでいるの。さぞ怖いでしょうねぇ」
鉄の箱は頑丈らしく、ただ静かに水中に鎮座している。しかし、きっと内側では、茜が死に物狂いで壁を叩いているに違いない。目玉をひん剥いて助けを乞うているに違いない。晴加はそれを想像して、「彼女を助けて」と懇願しようとした。しかし、リボンに封じられた口では言葉にならなかった。涙を流しながら、首をブンブンと振り回し、うーうーと悲しく呻くしかできなかった。
一分経った。二分経った。アグネスは沈黙している。ニヤニヤしている。芋が煮えるのを待っているような目をしている。茜の断末魔の叫びを想像して、快楽のホルモンを脳内で堪能しているようだった。
あっという間に四分経った。
「そろそろいいかしら。シュレディンガーの猫の箱を開けましょう」
アグネスがそう言うとデス・パニック・ハウスの魔法を解いた。鉄の箱が、黒い湯気になって溶けて消えた。夕陽が沈んで暗くなったプールの水面に、うつ伏せの茜がプカリと浮かんだ。美しかった茜色の魔導士ドレスが、水を吸って変色している。どす黒い血の色に見えた。髪の毛も、枯れた藻草のように水中に蠢き、生命を感じさせなかった。どこからどう見ても、少女の溺死体だ。晴加は見ていられなくなって、目を伏せた。
セレドニオが、動かなくなった茜をプールサイドに引き上げた。アグネスがそれを見下ろした。死人のようになった茜は、生前とは別の独特の色気を放っていた。美の死相だ。
「さぁ、応急処置をしなくちゃ。蘇生魔法もいいけど、こんなときはやっぱりこっちの方がロマンチックよね」
アグネスはマウストゥーマウスを始めた。グミのようなたわわな唇で、花のように可愛らしい茜の唇を塞いだ。酸素をとどけるために、強く息を吐き出した。茜の肺が膨らみ、逆にアグネスの肺が萎んでいく。マウストゥーマウスの間、唇を繋げた二人の肺はシーソーの動きをした。アグネスは夢中になっていた。まだ温かい茜の唇の感触に心が蕩けていた。
しかし、それがいけなかった。とつぜん茜が目をパチリと開いた。得体の知れない笑いを浮かべていた。アグネスはハッとして唇を離した。そして、背中になにか硬いものを押し付けられていることに気づいた。ナイフの先を当てられているような感じがして、アグネスは背筋が寒くなった。
茜は、水を吐き出したり、咳き込んだりしなかった。溺れて気絶したはずなのにおかしいではないか。アグネスは、自分の予想とは違うことが起きていることを予感して、強烈な胸騒ぎが始まった。心臓が早鐘を打ち始めたのがわかった。茜がしゃべった。
「想像以上にあんたは甘いのね。私は風の魔導士。空気の友達。魔法で肺に空気を作ることだって出来るのよ」
アグネスは、ヒヨっ子魔導士が、溺れたフリをしていたことに気づいてギョッとした。茜は、魔法で息を持たせていたのだ。だから、意識を失っていなかった。彼女は、気絶した演技をして、マウストゥーマウスに夢中になっているアグネスの背中に密かに手を回し、背中に何かを押し付けていた。アグネスは恐る恐る背中を振り返り、何が押し付けられているのかを確かめた。
ピストル型のライターだった。さぁ、読者に思い出して頂こう。茜は、アグネスの攻撃を受けて、理科の実験室に吹っ飛ばされたことがある。読者はそれを知っているはずだ。そして、実験室から逃げ出るときにピストル型ライターをポケットに忍ばせたことも知っているはずだ。茜が今持っているライターはその時の物だ。
茜がそのライターで何をしようとしているのかをアグネスはすぐに悟った。火をつけて、アレクサンドラが仕掛けてくれたフローズン・ブラストのミクロ爆弾を起爆させるつもりなのだ。魔導レンズを破壊するつもりなのだ。
だが、茜はさっきまで水に沈んでいた。アグネスが勝ち誇ったようにたずねた。
「水に落ちたライターで、果たして火が付くかしら?」
茜は狼狽えなかった。
「スクリュー・ブロウ」
唱えると、小さな竜巻がライターを包み込んだ。竜巻は超速乾ドライヤーとなり、ライターに入り込んだ水をあっという間に吹き飛ばした。水没のライターは復活だ。アグネスの目は、蝉の抜け殻のようになった。苦笑いしかできなかった。茜が不敵に笑って言った。
「勝負ありね」
カチッ! ライターの砥石が鳴る音は、爆音にかき消されて聞こえなかった。アグネスの体の表面に閃光がひらめくと、真っ黒い爆炎が迸った。魔導レンズの中を、メキメキ、メキメキと、白糸のヒビが縦横無尽に駆け巡った。
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