アレクサンドラvsマリアンヌ
爆発の規模はそれほど大きくなかったので、彼はすぐに意識を取り戻した。軽症のようだ。しかし、重要なのは体の傷の大小ではない。彼の魔導レンズが致命的なダメージを受けていた。レンズに無数のヒビが走っていて、蜘蛛の巣みたいになっていた。これが何を意味するのか、わからぬセレドニオではない。焦点を結べなくなったレンズは、もはや使い物にならない。つまり、セレドニオは戦闘不能になったのだ。
コマがひとつ減った。茜は二対一から、一対一になった。
「何が起きた……」
セレドニオは呆然としている。
「今のが風の最上級魔法『ファイナル・アルティメット・アタック』よ!」
茜が言うと二人の魔導士の目が点になった。ふたりとも、そんな名の魔法を聞いたことがなかった。しかも、ネーミングのセンスに、幾ばくかの危うさを感じる。人によってはダサいと感じるかもしれない。それに、風魔法なのに爆発を起こすのも属性的に矛盾している。上級魔導士なら、複数の色種を持つ者もいる。アレクサンドラもそうだ。しかし、茜はそうではない。彼女はまだ風しか使えない。
他にも不可解な点がある。魔法を使えば、反作用の力である反導圧が体にかかることを以前記した。こんな短期間で最上級魔法の圧に耐えられる体が出来上がるわけがない。魔法の世界でも、都合のいい奇跡は起きない。
茜に最上級魔法は絶対に無理。しかし、セレドニオのレンズが砕けたのは動かしがたい事実。奇跡にしか見えない一連の出来事は、二人の上級魔導士にとっては謎以外の何物でもなかった。
果たして、一体なにが起きたというのだ。
さて、茜の戦いの先が気になるが、アレクサンドラを忘れてはいけない。彼女は、マリアンヌの凶行を止めねばならない。医術魔法の新たな光になる可能性を秘めた少女が、いまはただの軍事兵器に成り下がったのだ。アレクサンドラは、それを放っておけなかった。
講堂では、生徒たち十二人が椅子に縛られて整列させられている。その一番端のメガネの女子生徒の前にマリアンヌが立った。生徒は怖くてビクンと跳ね上がった。
「先生、私、やっと悩みがなくなったの。奇形魔法が暴発しなくなったの。だから、狙った時に、狙ったように狂った魔法が使えるようになったの」
アレクサンドラは、ゲオルクの軍事研究の概要は知っていたが、詳細までは知らない。マリアンヌが今、どういう状態なのかはわからなかった。
「先生にも、私の成長をお披露目したいの。いまから魔法を使うから見ててね」
マリアンヌは、メガネの女子生徒に近づき、うなじの匂いをクンクンと嗅いだ。女子はひどくおびえている。
「今から人間蝋燭を作ろうと思うんだけど、体が臭い人を使って作ると嫌な匂いが出ちゃうの。でも、この女の子は全然臭くないから大丈夫」
マリアンヌはそう言って、レンズで生徒を覗いた。
人間蝋燭? それは一体なんだ? アレクサンドラが怪訝そうにマリアンヌを見た。むろん、何をするかわからないが、その女子生徒に危害を加えることに間違いはない。アレクサンドラは、マリアンヌを自分の娘同然に面倒を見てきた。愛着があった。だから、罪深いことをやらせたくない。
「やめろ! マリアンヌ」
叫んだ。が、遅かった。アレクサンドラの叫びと同時に、マリアンヌが「トランス・ブレイク」と唱えていた。
金髪おかっぱの少女が、手の平を広げると、そこに一本の蝋燭があった。さっきまでは、その手には何も持っていなかったので「トランス・ブレイク」の直後に出現したことに間違いない。
すると、女子生徒が何も言わず、がっくりと頭を下げた。首が折れそうなほどだった。その拍子にメガネが外れて床に落ちた。息をしている様子がない。マリアンヌが女子の髪を掴んで顔を上げさせた。女子生徒の顔をみた隣の男性教師が、猿轡越しに悲鳴を上げた。アレクサンドラも、同じものを見て唖然とした。
女子生徒の顔はゾンビそのものだった。肌が干からび、眼球が萎んでしわくちゃの梅干になり、唇も砂漠の大地のようにカラッカラに干からびている。
「へえー。人間から完全に脂を抜き取るとこんな風になるんだ」
この言葉で、アレクサンドラは人間蝋燭の意味を悟った。マリアンヌは、奇形転送魔法を使って、女子生徒の体内からすべての脂肪分を抜き取り、それを固めて一本の蝋燭にしたのだ。リンゴの果汁のかわりに、今度は人間の脂を抜き取ったのだ。人間の脳は、半分以上が脂でできているらしい。だから、女子生徒の生死は明らかだ。
アレクサンドラは、しばらく言葉を失ったが、マリアンヌの奇行はまだ終わらない。彼女は、蝋燭を隣の男性教師の膝の上に立てた。そして、ポケットからマッチを取り出して着火した。火は美しく燃えた。マリアンヌが男性に言った。
「命が燃える色だよ。綺麗だね」
彼女の目は、まるでバースデーケーキのキャンドルを眺めるようだった。整列させられた人々は戦慄を覚えた。恐ろしすぎる。
アレクサンドラはマリンヌに対して、こんなことを思った。
「こんな風になってしまったこの子を、これ以上生かしておくのは気の毒かもしれない」
彼女は戸惑った。説得を頑張るか、いっそのこと彼女を壊してしまうか。
その場に残っていた三人の魔導士のうちのひとり、白いマントの聖魔導士ダーターが言った。
「ここに並べた者たちを、今から五分にひとりづつマリアンヌが殺していく。嫌なら腕づくで止めるがいい」
魔導士たちは惑星を周回する衛星のように、マリアンヌの周囲に集まった。そして、アレクサンドラに向かってレンズを構えた。一斉掃射が始まる。誰もが予感した。
しかし、孤高の四大魔導がとつぜん予想だにしない行動に出た。彼女は、魔導レンズを床に置いたのだ。そして、両手を上げた。銃を置いて降参する兵隊のような格好だ。魔導士たち全員が驚いた。
「お前たちの作戦はわかっている。マリアンヌの行動を止めるには、彼女を直接狙い撃ちにするか魔導レンズを破壊するかのどちらか。しかし、地球人たちが近くにいる以上、高威力魔法が使えない。巻き添えを食うからな。それに、最上級魔導士三人にガードされていては、なかなか難しい。お前たちはそうやって、私をマリアンヌに引きつけて時間を稼ぐことで、ひとりになった沙倉茜を討とうしているのだろう。
だが、私は心配していない。彼女は負けない。だから、私は私のやりたいことに専念する。
お前たちに取引を提案する。私が武装解除するかわりに、マリアンヌとゆっくり話しをさせて欲しい」
魔導士たちは顔を見合わせ、目で相談しあった。ダーターがうなづいた。結論が出たようだ。
「いいだろう」
彼が言うと、アレクサンドラは床に置いた自分のレンズを蹴ってダーターに渡した。彼は拾い上げてポケットにしまった。
アレクサンドラは、マリアンヌのそばにいき、向かいあった。すぐに会話は始まらなかった。アレクサンドラは、山ほどある聞きたいことの中からどれを最初に出そうかと、決めかねている様子だった。しばらくして、やっと口が動いた。
「医術の道はどうした?」
マリアンヌは小首をかしげる。
「私は、自分で軍事の道を選んだんです」
アレクサンドラが、次の質問をするまで、またしばらく時間があいた。涙をこらえようとしている感じがあるようでないような、なんとも言えない目をしていた。
「医術に進みたいって言っていただろ。あの気持ちはどうなった」
マリアンヌは無感動な表情で答える。
「夢を見ているだけではいつまでも子供です。大人になるために、現実的な道を選びました」
アレクサンドラは相変わらず、間を開けなければ喋れなかった。
「軍事兵器になることが現実的だと思ったのか?」
「はい。ゲオルク先生が、そう教えて下さいました」
四大魔導は、ゲオルクの名を聞いた瞬間に拳を握り締めた。手の甲に、血管の脈が浮いていた。怒っている。
「ゲオルク先生は常におっしゃいました。いい年になっても夢を語っているような大人になるなと。夢なんか追いかけて、現実逃避するような奴は、何の力もないガラクタになる。人間は社会の役に立ってナンボだ。だから、ちゃんと現実を生きろと」
「医術魔導の道が、現実逃避の夢か? 軍事兵器に成り下がるのが現実か?」
「はい。ゲオルク先生がそう教えて下さいました」
アレクサンドラが癇癪を起こしたように怒鳴った。
「ゲオルクの話じゃない! お前の話を聞かせろ!」
しかし、マリアンヌは無感動な感じのままだった。醤油をつけずに刺身を食べたような、味気ない感じだった。味を引き出すための何かが欠落しているようだった。
アレクサンドラは、魔導界でマリアンヌの世話をしていた昔を思い出していた。マリアンヌは最初、自分の運命を呪って、苦しんでいた。
人とズレたものを持って生まれた人間は苦労する。
どうして普通になれないのかといつも悩み、どうして普通でいられないのかといつも大人から叱られる。だから、自分が嫌で嫌でしかたなくなるのだ。なぜ普通でいられないのか、自分でもわからない。
もし、どうなふうに生まれるかを自分で選べるんなら、こんな自分を絶対に選んでなかった。でも、自分で選べなかった。気がついたら、こんな自分に生まれてしまったのだ。きっと、ハズレくじを引いたんだ。
こんな自分を、私は愛せない……
マリアンヌはそんなことをアレクサンドラに言った。すると、四大魔導はこんな言葉を返した。
「人間は、普通でいようとしがちだ。生きるには、それが便利だからな。それは決して悪いことじゃない。でも、どんなにうまく普通に生きても、心の中でこんな気持ちが残るんだよ。『自分を出したい』『本当の自分を生きたい』。
その気持ちに、最後まで嘘を突き通すのはたぶん無理だ。抑えても、そのストレスが色んな場所から化けて噴き出してくる。ある者は食欲に、ある者は金銭感覚に、ある者は対人関係に、そのストレスが吹き出す。ストレス発散のための食事をすれば体は病気になり、金を使えば借金になり、人と接すれば喧嘩を生む。そして、普通を演じて築き上げたものは最後は崩れる。崩れたあとになって、きっと後悔するんだ。もっと自分らしく生きればよかったと。
マリアンヌ。普通とか、ズレてるとか、そんなものはきっと幻だ。人生は、自分の血の色を知って、それを表現しきった人間が勝ちなんだ。自分らしく生きるとはそういうことだし、それをやったヤツが最後に笑うんだ。
普通とか、そういった概念は捨ててしまえ。君はもっと、自分の血の色を感じろ。血が何を欲しがっているかを感じろ。
自分を何かに合わせて変えるんじゃない。自分の血の色を知るために悩め。血の色を表現する術を模索しろ。その時間の積み重ねがやがて君の翼になる」
アレクサンドラは、奇形魔法の制御技術の研究を熱心に支援した。その甲斐あって、研究は大きく進み、マリアンヌの暴発を完全に制御できる技術が完成する希望が出てきた。だから、以前から可能性を感じていた医術魔導の道をマリアンヌに紹介した。彼女は、とても興味を示し、いつしか、医術魔導士になることを夢見るようになった。自分のズレは、すてきな翼だったと感じ、絶望の中から光を見出すことができた、はずだった。
だが、マリアンヌは今、それとは違うことを言った。自分で軍事の道を選んだと言ったのだ。アレクサンドラには信じがたい言葉であった。
「なにがお前の気持ちを変えた?」
マリアンヌは、愚問だといわんばかりに答えた。
「ゲオルク先生の言葉です。先生の言葉が私を変えました」
アレクサンドラは鼻で笑った。
「センセーの言葉?」
そう呟くと、フ、フフ、フフフフフ、笑いが止まらなくなった。しまいには腹を抱えて笑いだした。しかし、その目は、どこか寂しげだった。
彼女は心の中でこう思っていた。
「先生の言葉? 馬鹿を言うんじゃない。言葉なんかで人は変われない。人が変わるのは『自分で気づいたとき』だ。気づいて、思い知った時に、人は自らの意思で自分を作り替えていく。人の言葉で変わっても、それはただの洗脳。ただの依存。闇そのものだ」
マリアンヌは、自分で軍事の道を選んだと言った。しかし、アレクサンドラは、こいつは自分で選ぶということの意味を知らないのだと思った。
アレクサンドラは、マリアンヌに、まだ引き返す余地が残されているのかを知りたいと思った。手遅れかどうかを知ろうとした。
「マリアンヌ。奇形魔法で失った自分の腕を見て、今何を感じる?」
マリアンヌはまじまじと右手の義手を眺めた。八百屋で、野菜の鮮度を確かめるかのように。
「よくできた義手だと思います」
マリアンヌはふざけて言っている風ではなかった。本当に素直な感想を言っている感じだった。
アレクサンドラは不思議に思った。まさか、あんな悲劇的な事故を忘れてしまっているわけではあるまい。自分の腕がバラバラになったんだから。恐怖が残っているはずだ。
だが、マリアンヌの目は、そんな出来事など、アレクサンドラの記憶違いだと言わんばかりの感じだった。あんな恐怖、どうやって乗り越えたの言うのだ。先生の言葉如きで打ち破れるようなものではないはず。
アレクサンドラは、マリアンヌの不可解な言葉の真意を、必死に考えた。
すると、ある忌まわしい記憶が思い出され、愕然とした。忌まわしく、屈辱的で、魔導界に対する絶望を生む記憶だ。
アレクサンドラは、魔導界に反旗を翻す前は、魔導議員としても活躍していた。
ある日の奇形魔法対策案会議でのこと。その頃には、奇形魔法暴発を阻止するためのレンズチップが完成間近にせまっていた。マリアンヌが、隔離施設から解放される日が、もう目の前まで来ていたのだ。
しかし、このチップにはある課題が残されていた。チップには間違いなく暴発を止める力があるのだが、臨床実験の段階であらたな問題にぶち当たったのだ。被験者の脳にレンズチップを移植すると、なぜか魔法そのものが使えなくなってしまった。その原因はすぐに突き止められた。原因の正体はトラウマだった。
奇形魔法の事故は、どれも無残なものだった。だから、当事者の心にはそれがトラウマとして深く刻まれていて、本能が魔法を拒絶してしまうのだ。魔法が怖くて怖くて使えないのだ。チップによって暴発はしなくなったが、そんなもので簡単に拭える恐怖心ではなかった。
この問題を解決しない限り、レンズチップの実用化は夢に終わってしまう。すると、その日の会議で、ゲオルクがある提案をした。
「被験者の脳に、ある手術を施すのです。脳の中の、恐怖心を生み出す部位を切除してしまうのです。そうすれば、心のブロックが外れて魔法が使えるようになります。しかし、今の魔導界法律では、この手術は認められていません。ですので私は、法律の改正を提案したいのです」 アレクサンドラは猛反対した。彼女は、ゲオルクが、この脳手術とレンズチップを人間兵器製造に利用しようとしていることを薄々気づいていた。もし、それが実現すれば、マリアンヌのような者たちに白羽の矢が立つ。彼女がそれを許すはずがなかった。
「断固反対します! この問題は、外科的な強引なアプローチではなく、被験者の人生に寄り添って、人間的にアプローチしていくべきです」
ゲオルクも、猛然と反論してきた。
「今の先進医術魔導の世界では、脳の部分切除手術なんて常識です。とっくにその技術は確立されています。呑気に夢物語をしゃべっているんじゃないんですよ。
アレクサンドラ議員! あなたは人間的なアプローチを取るべきだといいましたが、じゃあどういう風にやるんです? そもそも人間的って何ですか? 具体的な方法論を述べて下さい。夢物語じゃない現実的な話をしてください」
彼女は歯噛みして悔しがった。まだ具体的な方法なんて確立できていないからだ。
恐怖心を麻痺させる脳手術。一見すると、人間を前向きにしてくれるかのように感じられる。恐れを知らずに突き進む勇者になれるんじゃないかと夢を見る。自分も、世の成功者が語るような、前向きな、積極的な、リスクをとれる人物になれると思ってしまう。
しかし、そんなのは幻だ。恐怖心は敵ではないし、恐怖心自体は正常なのだ。問題は、恐怖を起こさせるファクターがその人が生きる現実に存在していて、そんな現実に向き合うことに時間を使うかどうかなのだ。つまり、ちゃんと悩むことが大事なのだ。悩んで、小さな答えを出してちょっとづつ恐怖の要因を取り除く。そして一歩前進する。それが真の前向きであり、それだけで十分成功者なのだ。億万長者の有名人になることが成功じゃない。悩む覚悟を手に入れたものが成功するのだ。
まがい物の手を借りて、恐怖心を麻痺させて心のアクセルを踏み込んだ者の末路は悲惨だ。オーバースピードでコースアウトで大クラッシュ。無事ではすまないし、誰も責任をとってくれない。こんな目に遭う人間のことを愚か者と言うのだ。恐怖心を敵視する思想を敵視したほうがいい。
これがアレクサンドラの信念だった。手術で恐怖を取り去っても、奇形魔法に苦しむ人たちの救済になんかならない。ゲオルクが欲しいのは、軍人としての名誉に過ぎないのだ。
しかし、アレクサンドラの訴えが、現実的でないこともまた事実であった。長いあいだ議論されたが、結局ゲオルクの案が採用され、法改正が行われることになった。
アレクサンドラは、この記憶を思い出した時に、悟ってしまった。マリアンヌが、あの手術を受けたことを。彼女は恐怖心を取り除かれ、その代わりにレンズチップを埋め込まれたのだ。もはや、ブレーキのないレースマシーンだ。しかも、運転席に座るのは彼女自身ではなくゲオルク。マリアンヌはもう、彼女が彼女であることを証明するようなものをすべて失っていた。残っているのは「トランス・ブレイク」というガラクタ殺人魔法だけだ。
アレクサンドラは、涙を流したい気分だった。外科的に切除したものが再生することはほぼない。マリアンヌはゲームオーバーだ。
しかし四大魔導の女は、涙を流さなかった。彼女はどんな涙も殺せる。どんな気持ちも、信念のためなら殺せる。彼女は心の中であることを決意をした。そして、こんなことを喋り出した。
「冷蔵庫に、食べるあてのないキャンディーを放置しても大した害はない。キャンディーは腐らないからな。放っておけばいい。しかし、動物の肉なら話が違ってくる。肉は早く食べないと腐る。腐ったものを放置しつづければ虫がわく。終いには冷蔵庫そのものが腐っていく。だから、腐った肉は取り出して捨てなければならない」
彼女が、誰を見るでもなくしゃべり続けるから、みな戸惑った。
「誰に話してるんだ?」
おもわず白マントの聖魔導士ダーターがたずねた。すると、アレクサンドラは彼を見つめて言った。
「全員にだ」
アレクサンドラは得体の知れない不気味な目をしていた。無になったのか、それとも何かを企んでいるのか、恨んでいるのか、あきらめているのか……とにかく何が含まれているのかよくわからない変な目だ。彼女は、その目のままで、唇に二本の指を当てた。そして、ウインクを添えて投げキッスをした。そして「ボン!」と爆発を暗示させる擬音語を口走った。
アレクサンドラの支離滅裂な不可解な言動に対して、ダーターが小首をかしげた瞬間だった。本当に爆発が起きた。マリアンヌと三人の魔導士がとつぜん爆発に飲み込まれたのだ。その光景は、茜と屋上で対決していたセレドニオを襲った謎の爆炎と酷似していた。破裂する爆竹の雨を浴びたような光景だ。威力はこちらのほうが強かったようで、みなすぐには起き上がれなかった。
うめき声を上げているダーターにアレクサンドラが吐き捨てるように言った。
「あらゆる魔法は、使い手のレベルで形態が変化する。常識だ。私が武装解除したと簡単に信じたのが敗因だ」
この言葉の意味がわからなかった。それよりも、反撃したい。彼は自分の魔導レンズを取り出した。だが、すぐに愕然とした。レンズは細かくひび割れていた。彼のレンズだけではない。その場のいた全員のレンズが破壊されていた。
一体どうしてこんなことが起きたのか? アレクサンドラは魔導レンズを取り上げられていた。魔法の詠唱もしなかった。では、さっきの爆発の正体は一体なんなのか。ダーターはそれを考えたが、まったくわからなかった。傷を負い、レンズを破壊された彼に、もう戦意はなかった。
床に寝そべっていたマリアンヌが意識を取り戻した。肌は焦げ、服はボロボロだった。頑張って起き上がろうとしていたら、いきなりアレクサンドラに首を掴み上げられた。ものすごい力で持ち上げられ、首を絞められた。
「あぅ……ぐぁっ」
「人間が人間であり続けたいと思うなら、誰かの心に残る存在になる努力が必要だ。誰の心にも残らないやつは動物に等しい。そいつがそれでいいと言うなら、別にかまわない。そのまま放って置かれればいい。しかし、誰かに害を及ぼすなら放っては置けない。冷蔵庫の腐った肉は捨てなければならない。
マリアンヌ。お前はもうただの兵器だ。ただ害を撒き散らすだけの人殺し兵器だ。兵器は人の心に残らない。お前はもうこの先、誰かの心の中で生きていくことはできない。お前は腐った肉だ。私が捨てる」
アレクサンドラの記憶の世界には、笑顔のマリアンヌがたくさんいた。果てしないお花畑のようにマリアンヌの笑顔の花が咲いていた。しかし、それら全てが色あせ、枯れていき、風に吹き飛ばされて、荒地だけが残った。アレクサンドラは、心の中で、娘同然の愛しきマリアンヌにサヨナラを告げた。
彼女は、ありったけの力を両手にこめた。マリアンヌの首が、メキメキと音をたてて締め上げられた。マリアンヌは、恐ろしい恨みの形相でアレクサンドラを睨み返していた。己! 化けて出て呪い殺してやる! そんな目だった。もしかしたら、心の中で相手にさよならをしていたのは、マリアンヌの方が先だったのかもしれない。とっくの昔に、マリアンヌの中のアレクサンドラは死んでいたのかもしれない。
なんにせよ、もうお互いの心の中に、お互いを思う気持ちなどなかった。今はただの敵だ。
しばらくすると、マリアンヌは足をバタバタさせなくなった。腕をだらんと真下に垂らした。苦悶の声を上げなくなった。アレクサンドラが手を離すと、糸の切れたマリオネットのように変な姿勢で床に崩れた。瞳にはもう命の色がなかった。マリアンヌは、息絶えた。
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