第2話 はじめて




─────


「おう来たか、まぁ座れ。」


 サヴァロン警護兵団の団長──ティアマトのいる部屋を訪ねると、キャラメル色の長髪を雑に束ね、顔や腕に古傷を残したままの中年の男が、歴戦の戦士を思わせる風貌にはあまりにも似つかわしくない丸眼鏡をかけ事務作業を行なっている最中だった。


「─団長、話ってなんですか?」


 座るよう促された椅子に腰掛けるやいなや、アルタが切り出す。


 するとティアマトは丸眼鏡を外し、レンズを布で拭きながらくしゃっとした笑顔をみせる。


「そう焦るなよ、最近の若ぇのは世間話もできねぇのか。」


 悪態をつきながらも、表情は笑顔のまま。

笑うと目尻の皺が目立つ。

 戦場で仁王立ちでもしようものなら、どんな猛獣ですら尻尾を巻いて逃げ出すのではなかろうかという迫力が彼にはあった。

 しかし、こうして話をしてみると、そこらの酒場にでもいそうな物腰の柔らかさがある。こういった点が、兵士たちにも慕われている理由の一つなのだろう。


「そういやさっき小耳に挟んだんだが…模擬戦でナバルをぶっ倒したって?」


「あの人、模擬剣で殴ってもピンピンしてそうだったから、思い切り蹴落としてやりました。」


 すると今度は後ろにのけぞりながら豪快に笑ってみせる。


「はっはっ!俺もあいつのキツネに摘まれたような面を拝んでやりたかったよ。」


 ─しばらくの間、他愛もない《世間話》が続いた後、唐突にティアマトが切り出した。


「なぁアルタよ。お前、今度新設する五番隊の面倒…みてみる気はねえか?」



一瞬の硬直の後、慌ててアルタが口を開く。


「…隊長になれって事ですか? そりゃいくらなんでも無理があるでしょう。」


「隊長格のナバルを足蹴にしてぶっ倒すような奴が 隊長にならんで何になるってんだ?」

 すかさずティアマトが反論をしてくる。


「でも…。」



「お前は腕っぷしもあるし、妙にタフだ。それに周りの連中からの人望も厚い。本人たちの前じゃ言えねえが、実力だけなら他の隊長連中より圧倒的だ。」


ティアマトの口は止まらない。


「…ひょっとしたら、俺よりもな。」



「─買い被りすぎです!」

アルタが思わず声を荒げる。


“南の英雄” “戦場の獅子” “サヴァロンの導き手”

 ティアマトの事を称賛する二つ名はいくつもある。そんな英雄が自分の事をベタ褒めする状況に、アルタはむず痒さを感じた。


「─まぁ今すぐ決めろって話でもない。だがそういう話があるって事を頭の隅にでも置いておいてくれ。」


「──俺は、まだ十七ですよ…。」


 まだ子供の自分が、自分より遥かに年上が多い兵士たちをまとめあげる姿が想像できなかった。


「──いや、十八だぞ。」

しばらく黙っていたティアマトが口にした。


「お前、明日で十八だ。」



─────



 結局話がまとまらないまま、ティアマトの部屋を後にした。時刻はもう夕刻に差し掛かり、黄金色の夕陽の光が兵舎を照らしていた。


 自分の誕生日など忘れていた。これまで祝われる事が少なかったから。




──アルタには両親の記憶がなかった。物心がついた頃にはとっくに一人で、街の人々やサヴァロン警護兵団の皆が面倒を見てくれていた。

 小さい頃から兵団の兵舎に入り浸り、訓練場が遊び場の代わりだった。

 入隊の許可をくれとごねても、ティアマトはアルタが十五になるまで、入隊を絶対に認めてはくれなかった。


 十二の頃、サヴァロン周辺に現れた魔物を討伐するため戦場に出かける兵団の後にこっそりついて行ったことがあった。

 途中で迷子になった。夜になっても姿が見えないアルタをティアマトが発見した時、ものすごい剣幕で怒鳴られたのを覚えている。


 あんなに怒鳴られたのは、あれが最初で最後だった。

 その後、安堵のあまり腰を抜かし、立てなってしまったティアマトを見たのも最初で最後だった。




─ティアマトは、父のような存在だった─。




─────



 夕陽も沈み、月が姿を現した頃。兵舎の広場に兵士たちへの集合の号令がかけられた。

 皆が集まった頃、ティアマトが兵士たちの前に姿を現した。


「ようお前ら。よく集まってくれた。」


 口を開いたティアマトの表情は固く、声色もいつもより重たかった。

 そこにいつもの酒場にいる気のいい中年の雰囲気はない。


「…実はな、あまりよくない事が起こった。」


相変わらずティアマトの口は重い。

いくつもの死線を潜り抜けてきたであろうこの男が、こうも重々しい雰囲気になる事態とは何なのか…アルタは動揺を隠せなかった。


 よほど事態である事への覚悟を決め、アルタは固唾を飲みながら団長ティアマトの次の言葉を待った。


「─実はな…。」





「─あのクソガキだったアルタの野郎が明日で大人になっちまうんだ!! 今日は全員で祝ってやろうぜ!」


─その瞬間、周りの兵士たちが一斉に雄叫びをあげた。

 さらに次の瞬間、兵士たちの祝福の言葉と共に、アルタは宙に浮いていた。




……………


…………


………


───は?



 わからなかった。それはもうよくわからなかった。

 されるがままに胴上げを繰り返されながら、アルタは考えた。それはもうすごく考えた。



 嘘だろ?非常事態は?あまりよくない事態ってこれのことか…?

 答えが出ぬまま、アルタは五分ほど宙に放たれ続けた。



──ひとしきり宙に放り投げられた後、慣れない浮遊感への気持ち悪さから地べたにへたり込んでいると、目の前にティアマトがやってきた。


「いやぁすまんすまん、驚かしちまったな。」

そこにはいつもの酒場にいる気のいい中年がいた。



「─なんだよこれ…。」


アルタは、兵団に入隊してから改めたタメ口が溢れてしまったのもお構いなしにティアマトを睨みつける。


するとティアマトは、頭をポリポリと掻きながらバツの悪そうな顔をして言った。



「いやぁそのな…今まであんまり祝ったこととかなかったからよ…せめて大人になる時くらいは祝ってやらねえとなって 皆で話してたんだ…。」



 すると周りの兵士たちも然りに頷き口を開く。


「団長のやつ、毎年暦を見ながらもうすぐアルタの誕生日だなぁって言ってたんだよな!」


「そうそう!俺たちじゃなくてアルタに伝えろよってな!」



「こ、こらてめぇら!余計な事言ってんじゃねえぞ!」


団長の怒声と兵士たちの笑い声を聞きながら

アルタはいまだに状況がよくわからず、上の空のままだった。


─自分でも忘れてた誕生日を…


「…ずっと覚えててくれてたのか?」


そうアルタが皆に問いかけると「そういう事だ。」と頭上から声がし、頭の上にポンと掌の感触を感じた。


頭上に目線をやると、手の主はナバルだった。


「お前は大人になるってのに、チビのままだなぁ。」


昼間のお返しだと言わんばかりに、ナバルがポンポンと俺の頭を叩く。


「うるせえナバル!!お前がデカすぎんだよ!!」


 昼間の「ナバルさん」呼びはどこに消えたのやら…。

 ナバルとは兵団の中では歳も比較的近い方で、昔はよく遊んでもらっている仲だった。


「お、ナバル対アルタ、第二戦目開始か!?」


などと周りが囃し立てると、もう広場はめちゃくちゃだった。


久々にこんなに暴れた気がする。

久々にこんなに怒った気がする。


こんなに嬉しいのは─はじめてだ。


広場での束の間の悪ふざけは

もうしばらく続いた。



──────


 小一時間ほど広場での大乱闘が済んだ後、アルタはティアマトやナバル。兵団の皆に向き合い 今日のお礼を伝えた。


そして、夕刻から考えていた事を改めて伝えた。


「それとさ…隊長の話、受けてみるよ。」


そう伝えると、皆が再び一斉に歓声をあげ

再び広場は賑やかになった。


結局、悪ふざけは日付を超える少し前まで続いた。



───────



この時は、あんな事が起こるなんて






思いもしなかった─────。

























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