後輩と屋上

重い扉を開ければ、古びた空間が広がっていた。山々から差し込む眠りかけの太陽。空しく響く烏の合唱。何処かから聞こえてくる運動部員らの怒声。茜色に染まった世界を見渡せるフェンスの手前に彼女はいた。


「先輩、来てくれたんですね」


ざりっとコンクリートの地面を踏みしめて、彼女の目の前に立つ。

かなりの時間をここで待ったのか、顔はうっすらだが赤くなっていた。


「それは-…あんなのを送られたら、行かないわけにはいかないからね」


閑散とした屋上。そよぐ風はひんやりと冷たく、遠くからは運動部員らの喝采が微かに聞こえる。


「その……迷惑でしたか?」


沈黙を破ったのは彼女だった。

寒いにも関わらず、きゅっとスカートの端を掴みながら、俯きがちに呟く女子生徒。それは本当にあの有希なのかと思うほど、弱々しい態度だった。


「別に迷惑ではないけど……」


「そうですか……よかった……」


小さく安堵の息を吐く彼女。

この娘は本当に有希なのだろうか。おまけにいつもは1つに纏めているロングの桃色の髪も、昔のようにストレートに下ろしている。

正直に言えば、戸惑っていた。出会った頃に逆戻りした感覚。あの活発な小悪魔系の後輩は何処に行ったのだろうか。


「ドッキリかと思ったけど……どうやら違うみたいだね」


場を誤魔化そうと冗談染みたことを言ってみる。すると、彼女は小刻みに震え──。


「先輩は私を何だと思っているんですか!」と返ってきたのはいつもらしい台詞だった。

心外だ、と言わんばかりの表情になる後輩。先程の弱々しい態度は嘘のように消えている。


「ごめん。 ごめん」


「もう……せっかくギャップ萌えで落とそうと思ったのに……」


ぷいっと外方を向く後輩。そこにいるのはいつもの有希だ。


「それでご用件は?」


「ここまで来んですよ? 先輩も分かるでしょう?」


スッと顔を上げ彼女。そこには真っ直ぐと射貫くような赤い瞳があった。決して曲がらない意思の表れか、ぶつかった視線が思った以上の衝撃をもたらす。


「聞こうか」


「ありがとうございます」と一拍。それから大きく息を吸い込んだ彼女は、意を決した表情で告げた。


「私……先輩の事が好きです!」


一世一代の言わんばかりの告白だった。響く声。 紅に染める頬。震える肩。それはドラマや漫画などで度々見る光景。そしてまさか当事者になるとは思っていなかった。


「……どうして?」


確かに彼女──有希とはそれなりの良好な仲だ。だが、その関係性は親友というよりも悪友と言った方が近かった。共にからかい、ふざける仲……なのにどうして?

静まり返る屋上。しばらくして、静かに言葉を紡ぐ有希。


「先輩は私の憧れだからです」


「憧れ?」


訳が分からなかった。

麗華に憧憬するのは分かる。だけど、なぜ僕が?

疑問に感じながらも、続く彼女の言葉を耳を傾ける。


「私が文芸部に入った事を覚えているでしょうか?」


「勿論」


随分と懐かしい記憶だ。今亡き3人だけの同好活動会。3人でノベルゲームをやったり、今思えば馬鹿らしい会話をしたり、出来るならあの頃の日常をもう一度過ごしたいとしみじみ思ってしまう。


「私入った時は人見知りで、内気な性格でした」


「そうだったね……」


それも懐かしい記憶。彼女も変わったものだ。入部した当初はまるで拾われた仔犬のようだった彼女が、今では異性を惑わす小悪魔である。


「私が今こうしていられるのも全て先輩のおかげなんです。 聞いてくれますか?」


「ああ」と低く短い返事で物語が始まる。

曰く、入学式の時に僕が声を掛けてくれたから入部したこと。曰く、僕のお陰で性格を変えようと思ったこと。


「──私、そんな先輩のことが好きです。あの時からずっと、今でも好きなんです……だから、私と付き合ってください!」

 

頭を下げて、飾らない気持ちを伝えた有希。まさに心からの告白だ。普段は揶揄っているからこそ、今の彼女はとても眩しく見えた。


僕とはまるで正反対だ。今の心境は、とても嬉しく──何より複雑だった。

彼女の言動にはイラッとはすることあるが、彼女自身の事は嫌いではない。いつも揶揄っている有希だが、根は真面目で素直で優しい娘だ。

目の前の後輩と恋人になる。それ自体に問題はない。何の問題もないはずなのに──何かが引っ掛かる。このままではいけないような気がするのだ。でもその正体は分からない。

もし麗華がいたら、彼女はなんて答えるのだろう──麗華?


ハッと瞼を開けば、心配そうな表情で覗き込む有希がいた。


「先輩? 大丈夫ですか?」


「ああ、何でもない」


「やっぱり私なんかと付き合うのは無理ですよね……」


落ち込んだような姿を見せる有希。その弱々しい光景は、出会った時の彼女を強く連想させる。

まだ答えは決まっていない。だけどいつまでも考えている訳にもいかない。好きとだと本心を告げてくれた後輩に、僕は答える義務がある。


「有希──」


随分と久しぶりのような気がした。彼女の名前を呼んだのは。

「はい!」と期待を膨らませた視線を送る後輩。それは今までで一番可愛いと思ってしまうくらいの満面な笑顔。

彼女に送る返答はとてつもなく情けないものになるだろう。おそらく人生最大の汚点だ。それでも僕はゆっくりと口を開いた。

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小悪魔系後輩に告白された。ダウナー系幼馴染に監禁された。 綿宮 望 @watamiya

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