下駄箱の中に
午前の授業が退屈との戦いなら、午後は睡魔との戦いだった。極楽の終焉を告げるチャイムが鳴り、後半戦がスタート。今日の教科は日本史と国語、そして英語。文系科目だらけのカリキュラムはいつも以上に睡眠を促すものだ。
もし後ろの席に麗香がいなければ、夢の世界で冒険をしていただろう。
やがてその午後も終わりを迎え、いよいよ放課後になる。
全てから解放された教室は、まさに十人十色の世界であった。部活に向かう者、駅前のカラオケに遊びに行く者、塾に行く者など。さっきまで同じ教室で勉強していたとは思えないほど混沌したクラス。そんな世界の中、僕は後ろに座る幼馴染に声を掛ける。
「麗華はどうするの?」
「生徒会」
返ってきたのは、いかにも嫌なそうな声だった。行きたくない、めんどくさいと言わんばかりの声。それでもいくのが麗華の凄い所だろう。
「お疲れ様」と労いの言葉を掛ければ、彼女は重だるげに呟く。
「労ってくれるのは嬉しいけど、手伝ってくれる方がもっと嬉しいよ」
僕としても手伝いのは山々であるが、おそらく迷惑になるだけだろう。無能な味方ほど有害な者はいない、とは有名な言葉だ。
だから、せめて励ましとしてこの言葉を贈ろう。
「頑張ってね」と。
「……ところで、今夜はビフテキにしようと考えているんだ」
「おっ、良いね。 楽しみにしているよ」
「いや、キミの分は無いよ? 作るのは私と両親の3人分だけさ」
「なんでよ?」
「さあ、何でだろうね?」
他愛もない会話を続け、幼馴染とは2階の廊下で別れる。彼女はそのまま生徒会へ、僕は独り下駄箱に向かう。
ただ、不思議なことにも今日の昇降口は大変に賑やかであった。何かイベントがあるからだろうか、掲示板の前に集った大勢の人混み。
「おい、見たか?」
「ああ、間違いない」
耳に伝わるヒソヒソ話。何か起ったのだろうか。どちらにせよ、僕にはなんの関係ないことである。早歩きで素通りしようとするが、塵も積もれば山になるように小さな小声も大勢あれば、立派な騒音になってしまうもの。いやでも噂話はどうしても耳に伝わってきた。
「しかし、まさかあの“天使様”に恋人が出来るとはな」
「悔しいが……幸せになって欲しいものだ」
人々が共通して話す内容──告白。
彼らの言う『天使様』と呼ばれる少女が、気になった人の下駄箱にラブレターを入れ、何処かから漏れてしまったのだろう。
それにしても天使と聞けば、僕はどうしてもある少女の顔が思い浮かんでしまう。昼に出会ったあの小悪魔系の少女の顔だ。
噂の天使様とは別人だろう。あの娘は自ら告白するタイプではない。 逆に煽らせて男側から告白させようとするタイプだ。長年付き合えば分かる。
「青春だね……」
恋する天使様と広がる噂。まるでアニメや漫画のようなお話ではないか。そんな事を思いながら、下駄箱を開ければ、視界に入ったのは見慣れない封筒だった。
四角形の小さな茶色い封筒。取り出し、裏返してみると、そこには可愛らしいハートマークのシールが貼られてある。
女の子が送ったのだろうか。差出人不明の封筒は、シール以外で語ることは何もなかった。
「……何これ?」
謎の封筒。厚みはない。軽くふってみれば、中からシャカシャカと音がした。
──何か入っている。
ここは開けるべきか否か。悩みに悩んでいると、後ろから「どうしたんだ?」と声が掛けられた。声の主はこれまた僕の数少ない友人の1人。この学校で知り合った、今ではよくオンラインゲームで遊んだりしているほどの仲だ。
「固まってるけど……腹痛か?」
心配そうな表情をする友人。そんな彼に、「手紙があった」と単結に答えを返す。
「手紙?」と怪訝そうな表情を浮かべる彼。
その反応は最もだろう。 こんな人付き合いのない人間に手紙が送られることなんてあるわけが無い。僕自身も手紙を貰ったのは、実に1年ぶりのことだった。
「見ても良いか?」
「ああ、良いよ。 なんなら欲しかったらあげるよ、それ」
何か嫌な予感がする。まるで開けてはいけないパンドラの箱だ。
「いや、別に貰う気はないけど……ちょっと良いか?」
「なに?」
「まさかだと思うが……これ、ラブレターじゃないよな?」
恐る恐ると言った様子で訊ねる友人。何がそこまで恐ろしいのか。ただ──。
「ラブレターか……」
友人から返してもらった封筒をもう一度、見てみる。汚れ1つない綺麗な封筒。丁寧に貼られたハートのシール。中身は開けてみないと分からないが、うっすらと文字が見える。そして、下駄箱に置かれてあったと言う事。
可能性としては捨てきれなくもない。噂では“天使”と呼ばれる少女がラブレターを入れていたらしい。だけど──。
「それは無いよ」
「即座に否定するんだな……」
「うん」
あり得ない話だ。そもそもここ最近あの2人以外の異性とは碌に話した事がない。そんな自分に手紙を渡す女子なんて──。
「もしかして──」
「あ、心当たりがあるのか?」
「いや、ドッキリかもしれないなって思った」
──あるいは嘘告か。
返事がないのを怪訝に思いながら顔を上げれば、そこにはドン引きしたような視線を向ける友人の姿が。
「ドッキリって…… マジでラブレターだったどうするんだ?」
「いや、ラブレターだとして……誰が送るの?」
「他の人に知られたくないから手紙で送ったんだろう!?」
段々と声が大きくなる友人。周りに生徒たちも「何事か」とチラホラと視線を向け始めている。
「すまん。熱くなりすぎた……とりあえず、見れてみれば?」
「それもそうだね……」
ぺりっとシールを剥がせば、「どうだ?」と覗き込むように視線を向ける友人。
「まあ、落ち着きなよ。あとで教えるから」
彼との距離を離し、封筒を下に向ければ、ストン手に落ちる1枚の紙。中を見れば、可愛らしい文字で文章が書かれていた。
先輩へ──。
今日、授業が終わったら屋上に来てください。
いつまでも待っています。
愛しの後輩より。
「……」
頭が爆発しそうだった。ドッキリの線は消えた。嘘告でもないだろう。両者に変わって浮かび上がるのは、あざとい笑顔の少女。
「……どうだった?」
興味津々に覗いてくる友人。さっきからやたらと鬱陶しい。誤魔化そうとも考えたが、正直に「屋上に来いだって」と答えることに。
「それだけか?」
「うん」と答えた瞬間、体がふわっと浮いた。
「何だよ、それ! どう見ても告白のシチュエーションじゃねえか、おい! クソが! なんでよりにもよってお前なんだよ!」
どうやら、彼に襟元を掴まれたみたいだ。彼の顔がいつもよりも大きく見える。
「あれか!? 冷めてる系の方がモテるのかよ! 俺だっていつも水風呂に入ればモテるのか!?」
どう答えればいいのだろうか。掛ける言葉が見当たらない。だから、ただ「馬鹿なの?」とだけ返しておく。
「チクショッ! 俺だってラブレター貰いたいよ……せめてバレンタインのチョコでも良いからさ……」
目の前で嘆く友人。周りの生徒たちがあり得ないような視線を送っていた。主に女子。彼女、
彼女と言うが、こんなのだからいつまで経っても出来ないのではないだろうか。
「クソッ!」
──覚えていろ!
まるでゲームのザコ敵のような捨て台詞を吐き、去っていく友人。手元に残る後輩からの手紙はちょっぴりとシワが寄っていた。
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