小悪魔系後輩は今日もやってくる


今日もまた何事もない日常が始まる。

朝学に朝礼。退屈な授業。 賑やかな休み時間。退屈な授業。

何の変哲もない光景だ。

4限の授業が終われば、学校中に響く聞き慣れたチャイム。

昼休みだ。

教室で授業を受けていた生徒たちが、一斉に廊下へと飛び出る。

それはまるでスターティングゲートから解放された競走馬のよう。

我先にと一気に食堂へと駆け上がって行く様子も、また競馬を連想させる。


「今日も騒がしいな……」


昼休みが始まってから約5分。静まり返った廊下を僕は独り歩く。

向かう先は校庭。そして、その奥にある雑木林だ。

いくつかもの木々がビッシリと並んでおり、人がほとんど来ることがない。

自然に囲まれた秘境。 僕のお気に入りだ。

ついこの間までは鮮やかなピンクで染まっていた木々が、今では若々しい緑のカーテンを作っている。

よほどの物好きではなければ、ここの存在を知ることはないだろう。


「さてと……」


ポケットから取り出す1冊の単行本。

こんな環境下で読む読書や音楽は、最高の一言であった。

まさに至福の時。

生き苦しい現実から切り離してくれる。生える緑が心を安らげてくれる。

今日という日で一番落ち着く時間。

だから──。


「先輩!」


何でやってくるの?


「……なに?」


「こんな場所にいたんですね? 随分と探しましたよ!」


頭上に響く陽気な少女の声。彼女が来た。

そしてそれは、僕の理想郷があっけなく崩れ去ってしまった瞬間。


「ああ……ごめん」


バタンと本を閉じれば、視界に映る1人の少女。

あざとい笑いを浮かべている彼女は、僕の1つ下の後輩。

名前は水樹 有希。桃色のロングヘアを一本結びで纏めている──認めたくないが、華麗な少女だった。

そして──僕はこの少女が苦手だ。


「あれ、れーちゃんはいないんですか?」


れーちゃん。幼馴染の麗香のこと。

有希は麗香とも仲が良く、いつしか愛称同士で呼び合う仲までに発展していた。


「れーちゃんは生徒会」


「ふーん」


あざとい笑みから一転、どこか意味深な笑みを浮かべる有希。

まったく……何を考えているのやら。


「あっ、読書ですね。 私も参加して良いですか?」


「読む本、あるの?」


「ありますよ」と鞄から何冊かの本を取り出す後輩。

元文芸部ということもあり、その保管はよく出来ている。


「懐かしいですね。 こうやって2人きりで本を読むのも」


「だね」


確かに懐かしい。 昔──まだこの学校に文芸部が存在していた頃は、目の前にいる少女もこんな小悪魔系じゃなかったから。

そうだ。 昔の有希はこんなキャラではなかった。

今の彼女が太陽とするならなら、当時は月というべきか。繊月の如く、暗く朧けな少女だった。


僕と彼女と出会ったのは2年前。僕が中3だった時のこと。

所属していた今亡き文芸部に、彼女が体験入部をしに来たのが最初の出会い。

あの時は驚いたものだ。麗香と他愛もない雑談をしていたら、いきなり扉が開き、有希がやって来たんだから。その時の彼女は前髪で目が隠れており、引きこもりでもしていたのかと言うほど、不気味な印象を与えていたのを覚えている。


「やっぱり誰かと一緒に本を読むのは良いですね」


「僕としては1人が良かったんだけどね」


それが今ではこれである。

つくづく思う。実は何かが憑依しているじゃないかと、あるいは姿が酷似した別人か。

昔の彼女は何処へ行ってしまったのだろうか。


「こんなかわいい後輩と一緒に居られるのも今だけですよ?」」と、腕に抱きつく少女。

2つの小さな窪みが布越しに伝わる。

おてんばな少女になったといえ、体つきまでは変化しなかったようだ。


「悪いけど熱いから離れてくれる?」


「そんなこと言って、本当はドキッとしてんですね?」


「してないから。 君こそ意識し過ぎじゃないの?」


「そうかもしれませんね」


「……」


変に絡んでくると思えば、今度は開き直る。

やっぱり苦手だ。

こう言う女の子とはどうしたら良いのか。まるで思春期の妹が出来たような感じ。


「君さ……友達とかいないの?」


麗香ほどには無いにしろ、彼女の人気もまた高い。

それこそ、一部では“次期天使様”なんて言われているようだ。


「居ますけど、付き合って面白くないんです」


「ああ……そうなの」


「はい。 昔みたいに先輩とれーちゃんとだけで充分です」


昔みたいか……確かに昔はずっと一緒にいた。

朝早くから部室で談笑し、昼も一緒に取り、放課後はゲームをする。

楽しかった日常。出来るならまた戻りたいものだ。

だけど──。


「それは……あまり賞賛出来ないね」


「どうしてです?」


「僕たちがいなくなったらどうするのさ」


「えっ……」


何を感じたのか、彼女の白い大福はソーダでも掛けたように青冷めていく。

先ほどまでのお転婆が何処へ行ってしまったのだろうか。

今の彼女は昔──出会った頃の有希によく似ていた。


「……大丈夫?」


声を掛ければ、「いやっ! 何でもないですよ?」と笑う彼女。

大袈裟に手を振る様子はイタズラがバレた年頃の子供のよう。

まるで何か誤魔化しているみたいだ。


「……本当に?」


「先輩、私を心配してくれるんですか?」と、ニヤニヤと笑みを浮かべる彼女。

その笑顔の下には何かが隠れているように見えるが、今の僕には見ることが出来ない。

ともかく彼女は戻った。


「……それで、君はどうしてここに来たの?」


「なんでだと思います?」


「他にもやることないの?」


「たくさんありますけど、1人で暇そうにしている先輩の為にやって来たんです」


「……」


どう反応すれば良いんだろうか。

言葉だけなら先輩を気使う良い後輩に見えるけど、その口調はいかにも弄んでいるように聞こえる。


「……別に暇ではないよ」


「そうですか?」


返事をすることなく、読書を再開する。

長く話していたものだから、どの場面だったか忘れてしまった。


「そういえば、先輩って……まだ彼女作らないんですか?」


「……」


どうやら森林の風はそんな後輩の揶揄いまで運ぶらしい。

僕の耳に届く朝と同じようなの質問。

今朝の麗香と言い、今の有希と言い、そんなに僕の彼女の有無が気になるのか?


「どうなんですか?」


麗香はともかく、有希の場合はどこか弄ぶような口調で訊いてくる。それも今回が初めてはなく、何度も。

そう思うとなんか腹が立ってくる、だから言ってやった。


「いたら良いけどね……良い人が居ないんだよ」


「いい人がいたら、彼女は欲しいんですね?」


「いたらね……でも、現実にはいない」


理想の彼女とはフィクションのお話。

現実にはまずいない。


「じゃあ、どんな人が良いですか?」


「そうだね……例えば、キミとか?」


冗談混じりに言ってみたが、しまったと思った時には既に遅し。

目の前には頬を紅く染める後輩の姿。


「先輩は……私が欲しいんですか?」


「いや、あれは冗談だよ」


「欲しいって言ってくれたら、先輩のものになりますよ?」


「……」


一発で落ちてしまいそうな台詞を平然と口にする後輩。

もしこれが、普通の女の子なら何も考えずに「欲しい」と口走っただろう。

ただ悲しいかな。 相手はあの有希。

仮に「欲しい」なんて言ったら、どうなるかは目に見えている。


「冗談って言っているだろ? 第一、中学生は対象外なんだ」


「そうですか……分かりました」


いきなり立ち上がった有希。

彼女は「急な用事を思い出しましたので」と告げたと思えば、颯爽に走り去ってしまった。


「……用事?」


何の用事だ?

何処となく現れて、変な質問をして、急用だと言って去っていく。

やっぱり苦手だな。


「まっ、いっか」


これで平和が訪れる。

そう言えば、この本の返却日がそろそろだったはず。 それまでに読み終えないと。

人差し指で挟んでいたページを開く。


「今日中に読み終えるかな?」


──厳しいかもな……。

心静まる緑の世界で、僕は物語の中へと入り込んだ。

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