第31話 エピローグ

9月22日

 

 夢を見た。

 夢に出てきたのは兼成でも更姫でもなく、亡くなった父親だった。

『立派になったな。母さんと菜摘を頼むぞ』

 父さんはポンと俺の頭に掌を載せた。何か言おうと思うが、言葉が思い浮かばない。

 言葉を発する前に、父さんは消えた。


 腹が減ったな。目覚めてそう思ったのは、もう何年ぶりだろう。身支度を整えて、1階に下りる。

 ダイニングテーブルの上には、何もなかった。いつもならモーニングバイキング並みに和洋折衷、時にはフルーツやスーツなども並べられていたが、あるのは空のコップだけ。


「謙、おはよう。待って。今用意するから。コップにお茶くらい注いでよ」

「朝飯ないの? 一体どうしたの。母さん、寝坊した?」

 コップに麦茶を注ぎながら尋ねる。母は『それがね』と茶碗にご飯を装いながら言った。

「実はね、昨夜、父さんが夢に出てきたの。父さんが夢にでてきたの、亡くなってから初めてよ。その夢の中で父さんは何て言ったと思う?『母さん、ちょっと太ったんじゃないか』って。6年ぶりに夢に出てきて、失礼しちゃうでしょ。父さんの言い方があんたそっくりで、びっくりしたわよ。それとね、『あいつらは立派に育っている。母さんは何一つ間違っていない。もう、無理する必要はないんじゃないかって』それだけ言って、さっさと消えたのよ。私だって話したいことたくさんあったのに」

 俺の夢より父さんは饒舌なんだな。でも、やっぱり母さんは無理していたんだ。あの大量の朝飯。俺たちがどれだけ言っても止めなかったのに。やっぱり父さんの力は偉大だ。ここにいなくても、父さんは俺たちの父さんだ。


 茶碗には、炊き立てのご飯が装われている。白い湯気を立て、一粒一粒がふっくらとしていた。箸でつまみ口の中に放り込むと、ほのかに甘みを感じた。白いご飯ってこんなに美味かったかなと首をひねる。もう一口、放り込んでゆっくりと咀嚼する。やっぱり美味い。

 次に傍らにある味噌汁に手を伸ばした。具は油揚げと豆腐、ネギ。一口啜ると、口の中に味噌の風味が広がった。出汁を含んだ油揚げと柔らかい豆腐の歯ざわりを感じながら喉へと一気に流し込む。胃がきゅっと収縮した。

「美味い……」思わずため息が漏れた。

「あらそう? いつもと同じだと思うけど」母が笑う。

「私も朝ご飯はこの位がいいな。今までは多すぎだよ」

 既に朝食を済ませていた菜摘が洗面所から出てきて言った。

「じゃあ明日はトーストと牛乳だけね」

「それも良いんじゃない?」

「ヨーグルトは欲しいよ」菜摘が付け加える。

「行ってきます」

 食事を終え、仏壇の前で手を合わす。写真の父が少しだけ笑ったような気がした。


 家を出てしばらく歩くといつものコンビニ前に奴はいた。

「遅いぞ」

「悪い、また夢を見てさ」

「は? おい、今度はいつの時代なんだ。それとも悪い冗談か」シゲが顔を顰める。

「そういう夢じゃないよ。親父の夢を見たんだ」

「ああ、そうか」ほっとしたような顔になり、俺の先を歩き始めた。

「いろいろと疑って悪かったな」

 シゲの背中に向かってぼそりとそう言うと、シゲはなんてことないというふうに首を横に振った。


 井原椿は学校を休んでいた。前田先生がこっそりと教えてくれた。あれから意識を取り戻した彼女は転校してからの事をほとんど覚えていなかったようだ。これから色々な検査のため3日間ほど入院をするらしい。診察した医師は、転校による強いストレスから記憶喪失(医師の話だと解離性健忘と言うらしいが)になったのだと診断したようだ。彼女であって彼女ではない人間が、ずっと彼女の中にいたのだから、井原は覚えていないのではなく、本当に何も知らないと思うのだが、この話をすると余計にややこしくなるので黙っておくことにした。

 記憶がないことを心配はしていたが、それでも、やっと元の彼女に戻ったと井原のご両親が嬉しそうに話していたと前田先生は言った。前の学校での彼女は控えめで大人しい感じではなく、快活で目立つのが好きだったようだ。昨日、記憶が戻ってからは、昔のように饒舌に喋りだし、今まで嫌がっていた検査もあっさりと受けたようだ。前田先生もその場に居たらしいが、元に戻った井原は元気が良くて、よく喋り、ケラケラと笑うと言っていた。 

 学校に戻ってきたら、藤川瑠璃と良いコンビになれそうだ。


 休み時間、俺は一人屋上にいた。すべて終わったんだ。今度こそ『彼女』を守ることができた。正木先輩には気の毒な事をしたけれど。俺は最後に見た先輩の姿を思い出した。チョコバーをかじりながら井原椿に告白すると言っていたあの姿。あの時に、先輩は全て知っていたんだよな。井原椿が更姫じゃないという事も、本物の更姫を殺そうとしたことも。

 あの日屋上で『彼女にむやみに近づくなよ』と先輩は言った。今考えれば、先輩は俺とシゲが危険な目に合わないように、そう忠告したんだと思う。もっとはっきりと教えてくれていたら良かったのに。『君子、危うきに近寄らず』じゃわからないよ。いや、はっきりと聞いたら、俺たちが危険な目に遭うと知っていたから、敢えて教えてくれなかったのか。

 もしも来世で同じ時期に生まれ変われるとしたら、父さんや正木先輩にまた会いたい。前世の記憶が無いとしても、きっと、なんとなく気づくだろう。いや、気づいてみせる。


「江口くん、捜したよ。ここにいたんだ」

 背後から俺を呼ぶ声がして、振り返ると村上有紗が駆け寄って来た。よく見ると可愛いんだよな、こいつ。今まで、よく見たことなんてなかった。こいつが更姫なんて、ほんと全く気がつかないって。どうして同じ顔で生まれ変わって来なかったんだよ。

 ふと、夢の中で更姫が発した言葉が脳裏に浮かんだ。

『兼成、人の美しさとは何で決まると思います?』

 確か夢の中で更姫は美濃焼の器を丁寧に桐の箱にしまいながら俺に尋ねたと思う。

『それは……見た目でしょうか。それは顔立ちだけではございません。姿かたち、所作においても……まるで孝姫様のような……せ、拙者は何を言っているんだ。も、申し訳ありません』確か俺はそう答えた。俺の答えを聞いた更姫は

『その答えは間違っていると思います。私は人の美しさは心で決まるのだと思います』

 確かそんなことを言ったと思う。


 そうか、だからか。更姫にとっては、どんな顔で生まれ変わるかなんて関係なかったんだ。心が自分自身であれば、どんな外見でも良かったんだ。ただ、中井友斎の復讐を止めたかっただけなのだから。

 苦笑いする俺を、村上はキョトンとした顔で見つめる。。

「ねぇ、江口くん、なんか変だよ」

「ああ、いや、何でもないよ。それより俺に何か用?」

「どうしてもお礼を言いたくて。上田くんに聞いたらたぶん屋上だって教えてくれたの。昨日はありがとう。結城先生から聞いたよ。倒れていた私を江口君たちが助けてくれたって。一緒いた井原さんも具合が悪くなって入院したし。あの公園に燃えた跡があったから、誰かが何か燃やして、ガスが発生したんじゃないかって。それを吸って気分が悪くなったんだろうって先生は言ってたけれど、何も覚えていないのよね。井原さんも記憶喪失になったみたいだし」

「まぁ、たいしたことなくて良かったよ。それよりあのさ、村上は夢とか見る?」

 唐突な質問に村上は目を丸くした。

「夢って将来の夢?」

「違う、夜寝るときに見る夢」

「ああ、私は熟睡する方だからあまり見ないなぁ」

「そうか」

 本人は全く自覚がなかったってことだな。そのほうが良いよな。自分が殺された場面なんて見たくないだろう。

「好きな人に夢の中で会えたらなって思うけどね。夢を見ても覚えていないのよ」

 ふふとはにかみながら笑う姿が孝姫と重なって、俺の心臓がドクンと跳ねた。

「えっ、村上、す、好きな人がいるのか?」

 俺の問いに、しばらくの沈黙の後、少し照れながら村上有紗は口を開く。

「いるよ。誰にも言ったことないけれど」

 村上は空を見上げた。俺もそれに倣った。気が付けば空が高く鰯雲が出ていた。村上は空を見上げたまま何も言わない。

 もしかして……俺か? これから告白されるとか? 良かったな俺、数百年のを超えてやっと報われる時が来たぞ。時を超えたカップル。なかなかいい響きだな。淡い期待を抱きながら黙って次の言葉を待った。

「絶対内緒だよ。なぜかわからないけれど、江口君には話してもいいかなって思うし、教えてあげる」

 その言葉から俺じゃないと悟り、肩を落とした。もしかしてシゲ? それもきついな。少しの沈黙が過ぎ、村上有紗は頬を染め声のトーンを落とした。

「あのね、担任の前田先生。でも結城先生とお似合いだよね。二人がよく話しているのを見かけるし。残念だけどあきらめるしかないかな。ねぇ、この話、絶対に誰にも言わないでよ」

 あの坊主め。確か、村上は前田先生の寒いダジャレをいつも楽しそうに笑っていたな。あれは愛想笑いじゃなくて本心だったのか? 俺は後でシゲにこの話をすると心に決めた。

「まぁ、困ったことがあれば俺を頼れよ」

「え?」

「こう見えて、俺は結構頼りになるんだ」

 そうなのと呟いて村上は少し黙った。そして思い出したようにポンと手を打つ。

「じゃあ早速、放課後の掃除当番を一緒によろしくお願いします」

村上は深々と頭を下げた。そういう意味じゃないんだけどな。まぁ、いいか。

「分かった」と俺は頷く。

「ほんと? 助かる! ずっとキャビネットの裏を掃除したかったんだけど、一人じゃ動かせなくて。よろしくね。ホント頼りになるよ」

 いやいや、そういう頼りになるじゃなくて……『俺はお前の命を助けたんだぞ』と喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。


 放課後、なぜかシゲも一緒にキャビネットを動かしている。

「江口君。こっち持って。もっとちゃんと! 上田くんもほらしっかり!」

 なかなか手厳しい姫様だ。俺たちは汗だくになりながら教室の大掃除を手伝った。


 帰り道、

「俺さ、村上有紗の好きな奴、知っているんだ。教えてやろうか」

「俺じゃないんだろ」

 相変わらずのぶっきらぼうな声でシゲは俺の数歩前を歩きだした。シゲは誰か気づいてるようだった。気を取り直して、シゲに追いつき明るい声を出す。

「そうだ、一緒に井原椿の見舞いにでも行くか」

「相変わらず立ち直りが早いな。彼女は俺たちの事を何も覚えていないと思うんだが」

「更姫に振られたんだ。今度は外見が更姫だ」

 俺の提案にシゲが呆れた顔をする。

「もう更姫にこだわらなくていいんじゃないか。すべて終わったんだ」

 冷静な口調のシゲにちょっとムッとして、いつか下校中に見たカップルを思い出し、言ってやった。

「お前がそれを言うか? 井原椿の外見にすっかり騙されていたくせに。あんなにくっついて歩いてさ」

「それを言うな。お前も同じだろうが。俺ばかりを責めるな」

 何を思い出したのか、赤い顔をしてシゲが俯いた。おいおい、俺の知らないところで抱きしめてキスぐらいしていたのか? 確かに周囲からは『お似合いなカップル』と囁かれてはいたけれど、中身はあのおっさんだぞ。

 シゲはそれ以上、何も語らなかった。というか語れなかったのかもしれない。俺も敢えて聞かなかった。

「シゲ、明日からまた朝練するぞ。あ、そうだ。新キャプテンは誰なんだ?」

 ずっと部活をさぼっていたので、すっかり忘れていた。三年生は引退して部活には来ていないはずだ。一時期は俺に話があると思っていたが、誰も何も言ってこないので、どうやら俺ではないらしい。

「キャプテンは国島に決まったようだ。あいつはずっと、真面目に部活に通っていたからな。それより、朝練に遅刻するなよ」

「そうか、みっちゃんか」

 サッカーの上手い下手は別として、チームのムードメーカ的存在のみっちゃんはみんなに好かれている。後輩からの信頼も厚い。お調子者だけど、毎日休まず練習に参加していた。俺はみっちゃんの顔を思い出し、ふと良いことを思いついた。

「なぁ、今晩、みっちゃんと花火でもするか? キャプテン就任、おめでとうの意味も込めてさ。ほら、前にみっちゃんが言っていただろ」

「花火? もう9月も終わるというのにか」

 呆れたようにシゲが天を仰ぐ。

「9月の花火も楽しいかもよ。俺、早速みっちゃんに連絡して来るわ」

 シゲの同意も得ず駈け出した。

 

 そして夜。

 俺たち3人はふれあい公園にいた。日はすっかり落ちて、街灯の明かりだけでは心許ない。

 騒ぎながら数発のロケット花火を上げた後、ポケットからライターを取り出し、花火と一緒に入っていた蝋燭に火をつけた。火のついていない下の部分をしっかりと地中に埋める。

 みっちゃんが、袋からガサガサと手持ち花火を取り出した。各々が手に持ち順番に火をつける。シャアと音を立てながら、勢いよく色とりどりの火花が飛び出した。

 輪になって何本目かの花火が終わったころ、『じゃあ次は誰が一番最後まで火がついているか勝負だ』とみっちゃんが言った。言った傍からみっちゃんの火が最初に消えたので、俺は爆笑した。

 ふと、昔に家の庭先でやった花火を思い出した。夏休みになると、父親がビニールに入った手持ち花火のセットを買って来ていたのだ。父は仕事で遅くなる日も多かったが、夏休みの花火だけは、家族4人が揃ってやった気がする。あの夏、小学5年生の夏休みもいつものように花火ができると思っていた。まだ小さかった妹の菜摘は花火を怖がっていたな。そう言えば、あれからずっと花火をしていない。そんなことを考えていたら、火薬の匂いが鼻についた。涙が出そうになり、ぐっと堪えた。

「でもさ、男3人で花火するって侘しいな」

みっちゃんがポツリと零した。

「もともと花火やろうって言い出したのは、みっちゃんだろ。なんだよその言い草」

「だいたいなぁ、ここの公園、俺の家から遠いんだぞ。俺、こんな夜道を自転車で帰るのかよ。それも一人で。なぁ、江口の家に泊めてくれよ」

「やだよ」

 シゲはずっと黙って、手元でゆらゆらと光る線香花火を見つめている。うっすらと光に照らされる奴の顔は、相変わらずの無表情だ。

「なぁ、シゲ。おまえ、なんか怖いって」

「そうだそうだ。上田が、そうやって花火を見つめていると、呪いをかけているようにしか見えないぞ」

「もしそうだとしたら」

 シゲが顔を上げ、俺たちを見た。

『え?』

「冗談だ」

 シゲがにやりと笑った。

「げっ、上田が笑った。こいつ、今、笑ったぞ。これってもしかして年に数回拝めるやつか。そうなんだろ」

みっちゃんが興奮気味に騒ぎ始めた。


 明日は9月23日。長いようで短かった俺の不思議な時は終わった。


 それから俺は二度と昔の夢を見ることはなかった。夢の中で不思議な声を聞く事もなかった。今になればあの声はきっと俺自身、兼成の声だったんだと思う。

 俺、江口謙の物語はここから始まっていく。

 たとえ歴史に残らなくても、俺は俺の物語を進めればいい。自分の物語を寿命が尽きるまで精いっぱい生きればいいんだ。


                                                                                                                                       

                                     了


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誰が彼女を殺したか? 前世の記憶を持つ俺が、前世で何者かに殺された姫と瓜二つの彼女に出会い、守ろうと奮闘する話。 来夢創雫 @siva-lime

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