第30話 9月21日(3)

その時だった。突然、背後から太い怒号が響いた。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」

 声と同時に俺たちの足はがくんと動いた。俺とシゲは前のめりになり体制を崩した。

「前田先生!」

 踵で何とか踏ん張って振り向くと、前田先生が凄味のある形相で中井友斎を睨み付けていた。

「お前の魂は成仏させる! 二度も更姫を殺されてたまるか! もう二度と転生できないようにしてやる」

 前田先生は叫んだ。先生の手には数珠が握られている。先生は低い声で何やらお経のようなものを呟きだした。先生の低い声が周囲に響くと中井友斎は苦しみだした。

「や、やめろ。こんな事で、儂を止められると思っているのか。数百年の呪いが、怨念がこんなもので解けると思うな!」

 前田先生も必死なのだろう。額には汗がにじんでいる。中井友斎は苦しんでいるが、ゆらゆらと揺らめきながらそのままの姿を保っていた。先生だけでは奴を成仏させられないようだった。このまま先生の力が尽きれば、奴はまた復活する。こいつは俺たちの動きを封じ込める力を持っている。どうすればいいんだ。いま、弱っている間に何かとどめを刺さなければ。隣にいるシゲは井原を抱きかかえたまま中井友斎を睨み付けているだけ。

 今、何か行動を起こせるのは俺しかいない。俺に出来ることは……何かないか……何か……俺はポケットに手を入れた。何か固いものが指先に当たった。ライターだった。何か燃やすもの……辺りを見回した俺は咄嗟に足元に当たった草を抜き、火をつけて奴にめがけて思い切り投げつけた。俺の投げた草は、見事に中井友斎にヒットした。

「ぎゃあぁぁぁ」

 断末魔の叫び声と共に中井友斎は燃え上がった。赤、青、オレンジ、緑、紫……色とりどりの光がグラスを割った時のように周囲に飛び散る。光は方々に飛び散りながら炎を弱めて無数の黒い粒になった。

 さあっと風が吹いて、黒い粒は跡形もなく消えて行った。


 俺、サッカーより野球部の方が良かったのかも。消えゆく奴の姿を見ながらそんなことを考えていた。

 ふと空を見上げると、月がこちらを見下ろしている。俺は黙って月を見つめた。『数百年の時を超えてよくやったな』と月がねぎらいの言葉をかけてくれたような気がした。月はずっと俺たちの事を見ていたんだよな。数百年前から、ずっと。


「江口、よくやったな。助かったよ」

 ぼんやりと月を眺めていたら、背後からぽんと肩を叩かれた。振り向くと、前田先生が額の汗を拭いながら微笑んでいた。

「中井友斎は本当に成仏したんでしょうか」

 心配そうにシゲが尋ねた。

「ああ、奴の気配はもう感じられないからな。江口、お前の投げたススキが良かったな。古代からススキは魔除けになると言われているんだ。月見の時にススキも飾るだろう。あれだってちゃんと意味があるんだ」

「はぁ」

 俺がとっさに抜いたのはススキだった。見れば俺の足元には雑草に交じって背の高いススキが月明かりの下でゆらゆらと揺れていた。耳を澄ませば秋の虫が鳴いている。

「それにしても、ポケットにライターとは。煙草でも吸うのか? それは見逃せないなぁ」

「違いますよ! あれは花火を……」 

「ねぇ、間に合ったの?」

 俺が必死に弁明していると、ぱたぱたと言う足音と共に結城先生が駆け寄って来た。

「あずさちゃん……じゃなかった結城先生」

 前田先生は結城先生をちらっと見てから、井原を抱きかかえているシゲに手を差し出した。

「上田、先生が交代しよう」

「はい……」

 シゲは渋々と言った様子で横抱きにしている井原椿を前田先生に渡した。受け取りながら前田先生はあずさちゃんの方を向く。

「とりあえず井原椿は元に戻ったみたいだ。結城先生、村上が気がついたら家まで送ってくれ。俺は井原を介抱して家まで送る。それぞれの家族には二人が公園でガス中毒に巻き込まれたと説明しておくから、うまく合わせてくれよ」

「ええ、分かったわ。更姫……村上さんは大丈夫なの?」

 あずさちゃんはベンチの上で横になっている村上の顔を心配そうに覗き込んだ。

「彼女なら眠っているだけだ。命に別状はない。こいつらが助けてくれた」

「助かったわ。江口君、上田君ありがとう」

 俺達に微笑みかけたあずさちゃんは、そのままの笑顔で前田先生を見た。先生もあずさちゃんに微笑みかける。なんとなく甘い空気が二人の間に流れた。そうはさせないとコホンと咳払いして、二人の間に入る。

「あの、二人はとても仲が良いようですね。もしかして先生達は恋人同士ですか。まぁ、黙っていろと言われれば誰にも言いませんけど」

 俺は疑いの眼差しを二人に向けた。

「お前は何か勘違いをしているな」

 前田先生は苦笑いして続けた。

「結城先生は前世で俺の妹だったんだ」

『妹?』

 俺とシゲの声が重なる。

「ええ、そうよ。初めて会った時、なんとなく懐かしい感じがするなって思っていたの」

 あずさちゃんは困ったように微笑む。

「でも、二人はいつも親密で、あれが兄と妹だとは到底思えないですよ。俺たちの事を騙すつもりなら、もっとましな嘘を……」

 あの様子が兄と妹か? そう言いかけた俺の声を前田先生は遮った。

「二人が親密って前世の話か? それはな、妹がありもしない罪で疑われたことがあったんだ。早とちりの男が妹を殺しそうになって、俺は慌てて止めた。それからいつも気にかけていただけだよ。妹を殺そうとしたその男は、生まれ変わってもなお、俺たちの事を疑っていたようだ。また同じ事が起こらないとも限らない。結城先生を殺そうとするかもしれない。そう思って彼女のそばにいただけの話だ。分かったか」

 俺の顔を見てにやりと笑う。早とちりの男って絶対俺だよな。こいつ、いつまで根に持ってるんだよ。だいたい、俺は結城先生を殺そうなんて思っていなかったから。

「先生は井原椿が更姫じゃないと早い段階から気が付いていたんですか?」

シゲが低い声で尋ねる。

「ああ。井原の母親から相談があったと以前、病院で言っただろう。あれは、ずっと娘の様子がおかしいと聞かされていたんだ。転校した直後から、井原椿は前の学校で肌身離さず持っていたスマホにも触らず、戦国時代の本ばかりを読みだしたらしい。家でも、両親と目も合わさず、会話も最低限しか行わない。心の病かもしれないので病院に連れて行きたいが、娘は断固拒否している。おかしなことをしないか、学校での様子を気にかけてくれないか、よろしく頼むとお願いされていたんだ。それを聞いて、最初は孝姫が前世を覚醒して混乱しているだけかと思った。しかし、彼女の様子を注意深く見ていると違和感を覚えたんだ」

「違和感?」

 俺の問いに先生は頷いた。

「確かに井原椿の外見は更姫にそっくりだ。でもな、ある日の下校中、捨て猫を見つけた彼女は、何の躊躇もなく抱き上げて近くの川に投げ捨てたんだ。更姫なら絶対にそんなことはしない。それなのに井原は溺れて死んでいく猫を笑いながら見ていたんだ。その他にも藤川がクラスから孤立するように仕向けて楽しんでいた。藤川以外の人間の持ち物を捨てたり、掲示物を破ったり……あれは全て井原の仕業だ。他にもあいつは園芸部が植えた中庭の花壇に除草剤を撒いて枯らしたりといろいろやっていたんだ。誰にも気づかれないようにな。あいつが受けていた嫌がらせは自作自演だ。そこで俺は、あいつが更姫を殺した誰かだと考えた」

「そうか……全く気が付かなかった。植物の栄養剤も見た。てっきり花を育てているのかと思った」

 悔しそうにシゲが呟いた。

「あのアンプル剤の中身は除草剤だ。こっそり調べたから間違いない。もし見つかっても、いつでもごまかせるように中身を移し替えていたんだろう。結城先生も俺もこの学校に赴任したころから前世を覚醒していた。お前たちのことも良く知っていた。俺の前世は江口が以前に聞いた通り、僧侶の仁法師だ。前世の俺は喜多倉家の栄枯盛衰を見て一生を終えていた。その中には勿論、更姫の悲しい事件もあった。井原が転校してきて何かが起こると確信した俺と結城先生は、本物の更姫がこの学校内にいるはずだと思い、何とかして更姫を探しだして守ろうと相談していたんだ。犯人はすぐに分かったが、守るべき相手が分からない。井原に問いただすことも考えたが、正木の件もあったし、校内に余計な血が流れることを考えて諦めた」

「そうだったんですか。俺とシゲには井原が更姫じゃないって、話してくれても良かったのに。あんなに頑張っていた俺たちのことを全く信用していなかったんですか」

 不貞腐れて脇にあった小石を蹴ると、先生は苦笑いした。

「お前たちに正直に話せば、井原に対して優しく接することができなかっただろう? そうなれば正木のように殺されていたかもしれん。黙っていたのは悪いが、斎藤の怪我を見た時に確信したんだ。柔道の有段者である斎藤に骨折を負わせ、襲った時の記憶さえ消してしまう。こいつは普通の人間じゃないと。それに、あの場で井原が男の姿に豹変したらお前たちはどうした? ただ驚いて腰を抜かしただけだろう」

 いや、腰はぬかさないと思うけれど。でも、先生の説明も一理ある。俺達、特にシゲなんか井原の事を守るんだと、かなりムキになっていたもんな。外見は更姫だが、中身は違うとか言われても、信じていなかったかも。


 シゲは先生の話に目を伏せたが、何かを思い出したように顔を上げ、先生に抱きかかえられている井原を見つめて聞いた。

「正木先輩は井原椿の中にいた中井友斎が殺したんですよ。斎藤千鶴の件だってそうです。井原は罪に問われるんですか」

「確かに彼女が正木を殺したという事実は変わらない。多重人格者が罪に問われる事案も過去にはあった。だが、彼女の場合、人格云々ではなく彼女の前世、数百年前に実在した人間が犯人だ。そんな話、誰が信じると思う? 斎藤の件も同じだ。井原は本当に何も知らない。先生は全て黙っていようと思うんだ。正木には悪い事をしたと思うが……まさかあいつが井原の正体に気がついて、一人で対峙していたなんてな。知っていたら、無茶なことはするなと止めることも出来たのだが」

「秀丸殿は立派なリーダーだったんですね」

 シゲはしんみりとした口調で言う。

「それにしても、どうして先生にだけそんなに記憶があるんですか?」

 俺は尋ねた。一生を終えるところまでの記憶があるなんてすごいなと思ったからだ。

「お前は更姫が亡くなった後の事を思い出したことがあるか? そのあと喜多倉家がどうなったか知っているか」

「いや、大体俺たちが夢を見始めたのはこの最近で、大体は姫が殺される前後の夢ばかり。確かにその後、俺たちがどうなったか……見たことないよな。シゲはどうだ」

「俺も、ないな」

「だろうな。それならもう、何も知らないほうが良い」

「先生は知っているんですか」

 シゲが聞いた。

「ああ。僧侶は時代の移り変わりを見届ける役目があるからな。亡くなった者の魂を安らかに導くために、俺は全てを見てきた」


 何故だかわからないけれど先生の言葉は俺の心にずしんと響いた。これはあくまでも推測だが、更姫が亡くなったことで喜多倉家は後ろ盾がなくなり滅亡したのだろう。輿入れの最中に大事な姫様を殺されたのだから、俺は護衛失格だ。責任をとって自害したのか、斬首されどこかに首をさらされたか。そんな事を考えていたら、首のあたりがひりひりと痛くなった。


 本来であれば前世の記憶なんて呼び覚まされなかったのかもしれない。しかし、目の前で再び同じ悲劇が繰り返されるとしたら。


「明日からはちゃんと部活に来いよ。あと、ライターは持って来るなよ、ライターの蓋が開いたーら大変だからな」

 先生はじゃあなと手を振りながら去って行った。何だよ、ライターの蓋って。そんなもんないよ。


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