2014/01 - 過酷な冬と、夜の闇

 管理が確定してない時、憶測で抽象的に記述すると大体認識違いで無意味になるんだよなぁ。でも「未確定ですし」ってテキトーに記述すると直すのめんどいし、高確率で直されないんだよな


 とはいえ仕様の確定だって別に不変でもなし、一番重要なのは「変化を恐れず、常に最適な形で」の実装を心がけることか。最適ってのもいろいろだけど


 とか久しぶりに技術者っぽいこと言っとかないとアイデンテテーが無くなってしまう



 物を認識外に落とすときは、詳細に目を向けられないような複雑さの中に隠すのが効果的だ。それを知っていれば、逆もまた自明である

(物を認識しやすくするには、単純なものの中に置くことが効果的だ。不必要な複雑さはノイズになる)



 最近積極性がほぼなくなっているので色々とヤバイ。改善のためにもまずは規則正しい生活からやり直すべきか

(ずっと言ってんなわたし



 万事、知らんことは知ってることよりも危険なもんであるそうだ


 しかし知ることは枷でもある。つまるところ、恐れを知らぬ行為や、その恐怖に打ち克った行為の先にこそ真の成功があるんやと



 昨日久々に食材買ったら一日でほぼ使いきったので、自炊するのがイコール節約ではないと思います

(典型的なデブの主張。沢山作ったら沢山食べる、という奴もいるのだ)



 処理速度が0.5秒速くなるのを取るか、改修にかかる時間が1時間速くなるのを取るのかって話ですよ。もちろん頻度が高いなら前者を取るだろうけど


 でも単純ifの分岐の意図がわからんように敢えて記述した挙げ句、コメントの一つも書かんとかは喧嘩売ってるとしか

(行き過ぎた効率化に対する警句。まぁ可読性云々はそれ以前の話でもある)



 この世は不測の塊なのよ



 どんな仕事にも、真面目な人と勤勉ではない人は居る。後者を否定するつもりもない。


 大事なのは取り組み方ではないし



 認識的にはほんの些細な誤差が致命的になってくるケース、というのを理解できない人は多い。


 まぁ、1/16777216の確率で発生する事象なんて気にしなくていいだろ


 なかなかそんな高精度な現場に触れてることがなかったし、概念は理解してても実感はないんだよなぁ


 万が一にでも発生しては困る事があるときは、それを理解してるなら正当な手段をもって直しておくのが、我々の仕事の効率良い進め方なのだ。


 家の片付けとか別に後回しでもいいだろ、誰が困るわけでもなし

(実感のない不利益に対する対策への関連。具体的に何があったかは知らんが、別に掃除をサボっていい言い訳にはならない、というのだけはわかる)



 ついうっかり今週は大変そうな構えで。まぁ…自分のせいでもある。だけではないのが救いではあるが

(自責は絶えないが、故にこそ誰かの誤りがなくては耐えられない)



 働けど働けど我が暮らし楽にならざり


 働きすぎてるからじゃね

(それはそう。ちなみに石川啄木の詩、正しくはこうらしい)

 ――はたらけど はたらけどなお わが生活くらし 楽にならざり ぢつと手を見る



 Legend of ZELDA (ゼルダの凡例)

(聞くところによると伝説レジェンドの語源は「読まれるべきもの」であり、グラフの凡例もまた英語ではレジェンドと呼ばれるらしい)



 永遠の二十歳以上…すごい便利で論理的に正しい言葉なんだ…



 しんどい


 しんどくないです

(両方とも2014年2月7日 午後10時4分のツイート。どう考えても一定程度しんどくはありそう)



 妄想してるだけでそれが勝手に出来上がったらな。まぁ自分で作るのが主目的なので、どんなに趣味にあってても意味のないことではある

(当時はゲーム制作に関係するぼやき。創作が「趣味」である場合、どれだけ面倒や大変であろうとにこそ意味がある、という話をしているようだ)


 とはいえ完全に趣味があってるなら、実際に使う時間潰しはそれでいいんだけど

(創作という行為が、必ずしも成果自体に意味を持つ訳ではない、ということを端的に表している。「使う」ものは誰かが用意したもので十分だ)



 変更や差し戻りの少ない開発か。設計思想に迷いがなく、かつそれが正しくて、作業者の認識違いと間違った対応を無くすことが出来ればいいんじゃないかな

(可能ならそうだろうね。不可能だけど)



 自由意思を最も強く縛り付けるものは、常に自分自身であるべきだと思う



 仕様の把握、作法の習熟。あとは技能と設計の力があればコードは作れる。


 なお、何が欠けてもまずい。最低限である


 全て完璧な人間はいないので、事を独りで進めるのは良い傾向ではない。無論、数合わせのためだけに人を入れるのも大した価値はない


 しかし実際に存在する作業は多く、人手は足りない。故に発生する混沌は増えはしても減りはしない


 混沌を泳ぎ、原初の意思を掴み、理想郷を作るために我々は在るのだ。しかしこれもまた、源流においては混沌の一旦に過ぎない

理念理想イデアからの乖離を正すために我々わたしは居る。それは秩序そのものではなく、都合により編纂された規則ある混沌ルールドカオスに過ぎない)


 つまり何が言いたいのかって言うと、自分はこの仕事が好きだし、その役目には誇りを持って接したいと思ってる


 だから時間内に仕事が終わらないのはまだまだ未熟だからなのですぞ

(十年近くが経った今でも、足りることはない)



 仕事しようって君が誘うから、2月15日は引っ越し記念日(弊社事務所)

(新卒から今でも働いている勤務先事務所の引っ越しがあったのが、2014年2月15日だったらしい。言うまでもないが有名な「サラダ記念日」のパロディである)



 人としての在り方を否定する生き方とは。清く正しくあれば報われますか?

そんなことはありえない。


 それを理解しながらも、あるいはまるで理解しないままにそれを継続できるのは何故なのか。


 誰が為に在り、何を成すのか

(自分自身の根幹部分に今も根差した狂気は、最早誰のためでもなく私自身を動かしている)



 DRYとかそういう話以前に、そもそも管理上必ず同じ値を参照しているのが明白ならば、まずはそれを明示してやる方が見やすいコードになると思います


 逆に、そういう記述をしていないならば「どれだけ同じように見えても、相互の値には一切の関連がない」解釈が生まれるし、事実稀に、またはしばしばそれに起因する「期待されない動作」をするんだからさ

(概念の「同一性」と「類似性」の違いに対する言及。設計上は結構に重要な観点と言える)



 やりたいことが他人向きになってる奴は扱いやすそう。善し悪しは知らん



 人を惹き付ける話術を身に付けたいな。内向的だけど


 拡散性を高め自由に生きるもの


 自由とは何か。

 それはどこにあって、何と定義しますか?

(強いて言うならば、こと、だろうか)



 「装備品は装備しないと意味がないよ」は誰でもわかる。


 「定数値は参照しないと意義がないよ」は、何か知らんけど理解している人が少ないような…

(意外とコーディングが「雰囲気で」行われがちなことに対する愚痴。YAGNIの原則により否定される振る舞い)



 端的に申し上げて、この業界で「さっさと仕事を終えられる人」は、単に能力が優れているか、

 ある程度の能力を持った上で「コード改善に対してはまるで興味がない」人に限られると思う

(妥協も大事だ、というのは頭では分かるが……千里の道も一歩から、と言いますし)



 そりゃ既存コードをコピペすりゃ実装はできるさ。中身を知る必要は、本来そんな大きなレベルの話じゃない。


 でも大いに無駄だし、単なる作業だから経験にもなりゃしない


 単なる僻みですし

(よくわかっている。だが、そうやって頑張ってきた結果が今だ。それ自体は誇ってもよいだろう。わたしは間違ってなどいない)



 奴に言語以外の壁があるとすれば、自分には世間一般の常識との間に厄介な隔たりがあるような…

(とある友人の評価に対する自己分析。乖離がある事実のみを知っていても、その本質を把握できていないならあまり意味がない)



 言語の学習は読み、書き、話すことだと聞いた。

 となると、優秀なプログラマは、みんな熱心にプログラミング言語で話してるんだろうな


 あながち間違ってないけどな



 ちゃんと寝て働いた方が全体の効率は上がるんですに。しかし、寝ずに働いた方が多くのものが生産できる、かも


 品質優先なら避けた方が無難だけどなー



 生活水準の向上のためには所属団体の収入を向上する必要がある → 売上への貢献のために残業しない → 何故か「頑張ってない」のレッテルを張られ、残業してる人より評価が低い → 売上も上がらず生活水準が低い → いくえ不明


 って話を、先週土曜に会社に中途採用で入った少し年上の人に聞いたな

(少し年上の中途採用者……どの人だろう。候補は多くはないけども)



 コミュニケーション適正不足なので、決まった人としか遊ばないし活動の場も狭いです


 障害のディスオーダー感が好ましくないので、あんまりコミュ障とは表現しないようにしてる。


 今さっきの瞬間からだけど

(完全に忘れてたけど、なんかいいな。コミュニケーション適性不足。覚えてたら今後も使おう。どうせ忘れるけど)


 あぁでも解消しないと支障が出るのは事実のレベルだし、程度の差はあれどやっぱりコミュ障でいいや

(なるほど、理由があって使わなくなったのか)


 うん、表現は常に「的確」を心掛けよう。じゃないと一般的表現を外れてまで正確に表現しようとしてる意味がないな

わたしはそういう奴だね。正しさにこそ拘泥する、その姿勢は今も変わっていない)



 新しい技術に触れてから古い技術を学ぶのは面倒臭い。

 一般の感覚で例えるなら、続編のゲームを先にプレイしてから旧作やるようなもんだな

(それはそう)



 やりたいことを、やりたいように

 得られたものは全てが自分の…報いになるだろう

 勝手は勝手を、随意は随意に受け入れるべし


 だからこそ、結果を得るために我欲を抑えるも「随意」と認識すべし



 ビチャーの使いが終りましたら、元の位置に戻ってください。


 ってラーメン屋のテーブルに貼ってあるな

(外国人の不自由な日本語からしか得られない栄養素がある)



 思うに、あるかもわからない事への備えは重視されるべきなのだろうか。


 自分なんぞは「もちろん、そう思う」のだけど


 例外捕捉は妥当性が大事。いつ誰が見ても「何故そうであるのか」がわからないのであれば、果たしてそこにあるべきものたりえないのであろうが


 使い方を知らないものをそのまま使い続けられる神経もわからん。いや、わかるけど。


 でも、自分が作っているものの正当性くらいはせめて、自分自身が納得できるようにはするべきでしょう?

(昔からあるものに手を付け難くとも、自分自身で何かを作る場合はちゃんと再考が必要だろう、という思想。現実には「完璧」は難しいし、不可能かもしれないが、明らかにものを踏襲するのはもちろん正しくはない)


 そうそう、あんまり「べき」の話ばっかりする奴は大成しないそうなので気を付けましょうの構え。規律規範だけが全てじゃない


 規律規範よりももっと深淵で納得のいかない混沌のアレが、何よりも守るべき制約なのであるから

(きっと、わたしはそれをいたく嫌いながら、誰よりもそれに依存せざるを得なかった)



 深い知識がないと楽しめない娯楽ってのは、中々大衆向けにはならんわなぁ…

 コミュニティへの新規参入への敷居の高さってのも重要だろうし



 やっぱり経験が何よりも習熟には大事なので、学生のうちは失敗とかあんま気にせずに意欲的に取り組むのが大事だと思う。


 もちろんそれが他人の迷惑になり、それを自覚した上でやるのであれば許しはしないが


 もちろんただひたすらに取り組むことを推奨してるわけでもないが。意欲的な取り組みについて把握してるなら、敢えて特記するほどの事でもない


 取り組み、改善を続けるべしと



 時間は酷なまでに早く過ぎるから、過ぎてしまった時間に後悔してる暇なんてないでしょう?


 正確に事を認識し、より良く対応をするのが本当のポジティブ



 さて問題です、機器の固有識別子であるMACアドレスの「MAC」とは何の略でしょうか。ちなみにマシンの略ではありません

(確かメディア・アクセス・コントロールアドレスとかじゃなかったっけ?)


 MACアドレスは確か物理層…いや、データリンク層?だったかあたりで通信をするのに使われるんだっけ…?ネットワークまわりの知識は未だに自信ない

(真偽は知らんが、これについては当時のほうが覚えていそうな気がする)



 デシマル47歳までは20代と言っても過言ではないんですかね

十六進数ヘックスデシマルにおける30は十進数デシマルの48であるため)


 その理屈で言えば、自分はもう27歳か。あと1ヶ月ちょいで三十路かぁ…

(こちらは八進数オクタルでの当時の年齢。つまり当時は24歳手前だった)


 でも年若いやつがご年配の方々の前で「自分はもう若くない」旨の発言をするのはあまりおすすめしないので、さっきみたいな意味の分かりにくい冗句なんぞは現実には発言しない方がよいですに

(対外的な摩擦もそうだが、純粋に年齢絡みのネガティブな表現はしない方が幸福感は高いままで居られるので、仮に年老いようと避けておく方が無難である。年齢を重ねることそのものは別に悪いことでもないし)


 ん、つまりアレか。日常生活では歳の話は禁句か。(同年代だけで話す場合は可)

(まぁ避けておく方がいいのでは、とは思う)



 後悔のないように生きることを望んだところで、余程でない限り後悔は生まれるのだから、取り返しのつかないこと以外はある程度てきとうに決めてしまっても問題ないんじゃないかな



 唆され生きるのも人らしさというもの



  精力的に働きたいから研鑽をするわけじゃないが、精力的に働かないために敢えて研鑽を怠るのは間違っていると思う



 何が良くないと考えるよりも、何が面白いと考える方が何倍も楽しい。


 研鑽においては前者も重要なので、忘れないようにすべきだが


 他者の評価には前者なんぞ認識すら要らんのだ、そんなもん意識しなくても見える



 やっと仕事が終わったというか、別に仕事はまだ終わってないので単に逃げてきただけとも言える


 だがまぁ日頃から気を張り続け、心も体も燃やし尽くして生きるのも…少なくともしんどいでしょうし



 そういや今日はホワイトデー、白日のもとに晒す日だとか。即ち、昨月に想いを伝えられたものは、その返礼をする日であって、


 決して「受けた恩義を割り増しで返す義務のある日」ではない。

(2014年3月14日のツイート。結果だけ見れば大体そういうことになるが、一方でそうでなくてはならない、という訳でもない)



 音が全く聞こえてなくても、空気は振動してるはずだから完全に認識できないわけじゃないのかな(肌で

聾者ろうしゃが音を知覚可能か、ということに関する疑問。現実的には厳しいと思う)



 ところで最近目が悪くなってきたことを自覚できるくらいまで視力が落ちているので、今の現状に合う眼鏡を作り直さねばならんような。まぁ今は全然つけてないけど

(十年近く経った今では、当時よりも遥かに視力が落ちているが、今ですら全然眼鏡は掛けていない。度数も概ね合っていない。それどころか左側のレンズぶっ飛んだし、また作るか)



 ダークソウルの何がムズいって、ちょっと進んではキャラ作り直したくなるこの無駄なルーチンなのよね(自業自得な

(キャラメイクに納得がいくまで最序盤を繰り返すのがいつもの流れ)



 なんか身内で事故があったらしく、よくわからんが不穏な感じがするな。個人的には「万事もっと気楽にあるべし」なんだが、なんだろう気になる


 時には好ましくないことも身に受けねばならん。悪意は循環するもので、溜め込むとろくなことにはならんが



 曰く、「こいつなら俺でもいける」。

 何様のつもりだ、お前は

(ありがちな「他者への見下し」の言葉。あまり好ましい話ではない)



 報告、連絡、相談は円滑な作業のための必須項目であり、特に末端からの自主的報告が大事だ。


 よく忘れるので注意せやんとな…

(本当にそう)



 おかしいな、今日は体調が悪いから早めに帰ろうと17時頃に思い、実際に仕事を切り上げたのは23時半というね



 経験の蓄積に力は宿り、柔軟な意志の力で事は成るかと


 闇雲にただ取り組んでも、ただの「手続き」への習熟に成り下がるだけで、単なる反復は柔軟性への阻害にも繋がるもんだと


 意味が、意志がなくては研鑽など無為であると、不肖私なんぞはそう思うが



 おかしい…もうこんな時間だ

(2014年3月20日、午後11時50分のツイート。当時は本当に遅くまで仕事をしていた日が結構あった)


 しかも仕事終わってない。しかし明日から三連休だ。


 心苦しくも、まずは休息に努める



 抽象化記述ってのはもっとこう、多方面で共通の手続きや振る舞いの抽象化のために働きかけるべきであって…


 断じて手続き自体に与える一意の名称を大雑把に書くという意味ではない。てかそんなことやってたらどれが何かわからなくなってくるだろうが

(高水準言語は「人が分かりやすくする」ためのものなので、思考をサボって分かりやすさを犠牲にするなら利用価値が下がる)


 大雑把な意味の記述も「そうあるべき」ならそうすればいいが、実装の末端でそうなることは普通あり得ん話であって

 局地で使う機能としての分割だったら有り得るけども



 ゲームしてたら最寄り駅をスルーして、上りの電車がなくなったのが今日の私

(2014年3月27日、午前0時52分のツイート。そんなこともあったなと、今でも思い出せる。確か一駅分、深夜に歩いて帰ったはず)



 一つ腑に落ちないことがあって、定期券販売の手続きが販売所でアナログでやってる窓口と、券売機がそれぞれ2つずつあったとする。手続きの簡易さ、時間のコストともに「券売機の方が圧倒的に優れている」のに、券売機は空いてて「窓口の方に人が並んでいる」というのは。


 もちろん並ぶの面倒くさいので券売機を使うし、券売機が混んでないのは歓迎すべきではあるのだが


 それともアレか、アナログ手続きの方に何かしら認識できないメリットの類があるということか。


 いやきっとそうに違いない。だって「皆やってる」んだもの。

(今ならなんとなく分かるが、わたしが思うほど、人間という生物は平坦に頭が良い訳ではない。在り得ないと思うほどに頭が良くない人というのが現に存在して、いずれは私もそういうものになってしまうのかもしれない)



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 こんな感じで、同年の3月末まで。


 当時は残業が常態化していて、しばしば退勤の時刻がえらいことになっていた形跡が見受けられる。流石に21時を越えることはそこまで多くはなかった気がするが、記憶などというものは曖昧なものであり、少なくとも二日ほどは日付が変わるか変わらないか、という瀬戸際あたりまで仕事をしていたらしい。


 どうしてそうなってしまったのか、というと。

 私自身の能力の不足も当然あるだろうが、実のところ、現場の性質に依るところが大きい。説明は出来ないが、あそこの仕事は大概だった。現場にいた人たちは、もちろん悪い人だったということはないと思う。然程興味もないという事実はあれど、性能どうこうを抜きにすれば、そこにいた人たちは多分あたたかかった、はずだ。


 それでも。引き継がれてきた仕事も、そこで行われていた作業も、決して上質なものとは言えなかった。


 知らない人は、知らないだろう。そういうことは、実のところですらある。現実が都合よく転がっていくことがないのと同じように、職業エンジニアが作り出した「結果」という実存は、多くの場合はほぼ純然たるゴミに指向する。例外はない。本当に。

 熱力学の第二法則、煩雑さエントロピーの増大に関する法則がある。この世に存在するあらゆるものは、放っておくと混沌に近付いていく。勝手に秩序に近付くということは有り得ない。もしそう感じることがあったなら、それは誰か知らない奴の人知れない努力によって、混沌が解消されているだけだ。


 多くの人は、そこに問題を感じない。それは、自然の法則に過ぎないから。現に問題はないから。問題はないと、そう感じるから。

 その煩雑さがどういう問題に繋がるのかを知らないから。元より、からだ。


 何かが間違っている、と自覚できるのは。正しさというものの本質を捉えるからだ。自分自身の信じた理念理想イデアと、現実に存在する物事の乖離を、そこにある差異を認識できるからだ。

 信念を持たないものには、そもそも正解がない。それでも現実に捉えられる概念が、一つだけ存在する。それは「期待通りに動作している」というだ。事実だけは、理念に関係なくただそこに存在する。故に、ただ動作を再現できるということそれ自体だけが、彼らにとっての価値となる。



 ああ、もちろん知っている。私が偉そうに話す言葉にも、本来一意の正解はない。

 だが、私は。全ての意志ある存在に優先されず――全ての意志なき茫漠どもよりも優先されるもの。妥当にして、合理であるもの。


 お前たちに意志がないのなら。お前たち全てを喰らい尽くして正しさを成す。

 故に、私は。喰らい尽くす化け物のハンガレスト・ハンガーズ意志の力ウィル

 万物万象を喰らい尽くし、欠損は決して埋まらぬまま。何を食っても満たされず、今日も腹を減らしている。

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微睡の混沌に沈む呟き 雅郎=oLFlex=鳴隠 @Garow_oLFlex

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