その日、私は百合(こい)に落ちた

青羽真

その日、私は百合(こい)に落ちた

 高校生にもなると、それはもう頻繁に恋バナをするようになります。その中で「気が付いたら好きになっていた」と言う話を頻繁に耳にします。


「隣の席になって話しているうちに気が付いたら」

「一緒に部活をしているうちに気が付いたら」


 なるほど、そういった形で始まる恋と言うのもあるのでしょう。しかしながら、私の恋はそうではありませんでした。明確に「この日、私は百合こいに落ちた」という日があるのです。

 それはちょうど5年前の6月17日。なんの特別感もないその日が記念日となったきっかけは、とある会話を耳にしたことでした。



(3組のクルミってナツの事、好きらしいよ)


 廊下を歩いている時のことでした、当時小学校5年生だった私はそんな会話を聞いてしまいました。親友と自分の名前が呼ばれたことに驚いた私は思わず振り返るも、その声が誰から発せられたものか分かりませんでした。


 クルミは私の親友の名前です。愛華まなか玖瑠美くるみ、3年生の時に同じクラスになって以降、ずっと仲良くしている女の子です。元気溌剌でぴょんぴょん飛び跳ねている姿が似合っています。

 一方私、佐倉さくら奈津なつは読書が好きな面白みのない女の子です。私たちの性格は真逆ですが、かえってそれが良かったのか、私たちは親友になれました。


(玖瑠美ちゃんが私の事を……? いやいや、恋愛的な意味の「好き」じゃないよね。友達って意味の「好き」だよね。そりゃあそうだよ、だって私たちは同性だし。好きって言うのは男の子に抱く感情だってお母さんも言ってたし)


 ちょうどその日の朝にお父さんから「好きな子とかいるのか」と聞かれたもので、この時の私は「好き」と言う言葉に敏感になっていました。だから、この声を聞いて私は真っ先に恋愛的な意味の「好き」を想像してしまいました。

 一瞬焦ってしまった私でしたが、すぐにそれを否定しました。だって玖瑠美ちゃんも私も女の子なのですから。


 そう一度は納得したものの、私はずっとモヤモヤしていました。そんなはずない、そんなはずない。そう思えば思う程、気になってしまうものです。



 そうして放課後になりました。


 玖瑠美ちゃんとは家が近かったこともあって、私たちは頻繁に一緒に遊びます。そして、その日も一緒に遊ぶことになっていました。


「お邪魔しまーす!」


 私の家に玖瑠美ちゃんがやってきました。案内するまでもなく、玖瑠美ちゃんは私の部屋まで走り込んできました。


「涼しいー! クーラー最高だね!」


 クーラーの下で両手を大きく広げる玖瑠美ちゃん。「分かる、最近暑いよね」と私は言います。


「そうだよー。もう暑さで体が溶けちゃいそうだよー」


 そう言って玖瑠美ちゃんは私のベッドに寝転びました。そして私の枕を抱きしめながら足をバタバタし始めました。相変わらず元気が溢れています。

 しばらくして、不意に玖瑠美ちゃんは足をばたつかせるのをやめました。「うーん?」と首をかしげてから、私の方を見てこう聞いてきました。


「奈津ちゃんの枕、いつもと違うにおいがする! もしかしてシャンプー変えたの?」


「う、うん。お母さんが『髪の毛がサラサラになるシャンプー』って言うのを買ってきたの。それで、使ってみたんだ」


 なんという事もない、いつもの出来事です。前の日曜日も同じように二人でのんびりだらだらと過ごしました。しかし、玖瑠美ちゃんが私をどう思っているのかについて疑心暗鬼になっていた私は、彼女の一挙一動に変に意味を見出すようになっていました。

 例えばこの時もこんな風に私は思ったのです。


(もしかして玖瑠美ちゃん、私のにおいを嗅ぐためにベッドに寝転んだのかな? もしかして枕を抱きしめてるのもそういう事だったの?!)


 読書が好きな私は、恋愛小説も嗜むのですが、その中にあった「好きな人のにおいにドキドキする」という一説を思い出してしまいました。

 いやいや、そんなわけ無いよ! 今までだってこういう会話をしたことあったし! ……あれ、もしかしてずっと前から玖瑠美ちゃんは私の事を? いやいや、だから違うって!


 焦る私とは対照的に、玖瑠美ちゃんは呑気に話を進めます。


「ふーん、髪の毛がサラサラになるシャンプーかあー。どう、サラサラになった?」


「うーん、分かんないかな」


「そうなの? 触らせてよ!」


「うん、いいけど」


 玖瑠美ちゃんは体を持ち上げ、私に近付こうとします。が、ベッドにばたんと倒れ込み「動きたくないー。奈津がこっちに来てー! 一緒に寝転ぼー」と言ってきました。

 学校終わりで疲れていたので、私も玖瑠美ちゃんの横に寝転びました。玖瑠美ちゃんは私の髪を触り始めます。


「サラサラだね!」


「そうかな? いつもと違う?」


「いつもサラサラだからわかんない」


「そっか」


「奈津ちゃんの髪って長くてきれいだねー。ずっと触ってたい!」


 そう言って私にくっついて髪を触ってくる玖瑠美ちゃん。昨日までなら「玖瑠美ちゃんのも綺麗だよー」なんて言って笑い合うと思うのですが、今はそれどころではありません。


(玖瑠美ちゃんが私にくっついてきてる! 今までは気にしてなかったけど、これってやっぱりそういう事なのかな?! そういう事なのかな?!)


 まさに疑心暗鬼。玖瑠美ちゃんの行動全てが私に好意を寄せているように思えてしまいました。玖瑠美ちゃんが家に帰るまで、私は終始ドキドキしていました。



 その日の夕食中、特に理由はなかったのですが、私は「再生医療の歴史と未来」というテレビ番組を見ていました。そこでは、人工多能性幹細胞(iPS細胞)に関する最新の研究が取り上げられていました。


『さて、ここまでは病気の治療に関するトピックを見てきましたが、次のトピックは少し違うとのことですが……』

『はい。次のトピックは家族と言う概念に関わってくる最新の研究です。なんと、○○大学がオスのマウスから卵子を作ることに成功したようです』


 小学生だった私には詳しいメカニズムなどは理解できませんでした。が、最後にコメンテーターが言った次のセリフの意味は分かりました。


『つまり、近い将来、男性同士・女性同士のカップルから赤ちゃんが出来るようになるかもしれない。そういう事ですね?』

『ええ。そしてそうなれば、結婚の制度も大きく見直されることになるでしょう。10年後、20年後には「昔の人って男女じゃないと結婚出来なかったらしいよ」なんて言われているかもしれませんね』


 なるほど、つまり玖瑠美ちゃんと私が結婚し、子供を設ける事が出来るようです。……って私はいったい何を考えているのでしょう。私たちは友人です。断じて恋人ではありません。だから……。だから、なんでしょう?

 あー!! もう分かりません。


「もうお腹いっぱい。ごちそうさま」


「奈津? まだほとんど食べてないじゃない、どうしたの?」


「なんでもない……お風呂入って寝るね」


「奈津……? 奈津!」


「! なに?!」


 母が大声で私を呼び止めたので、私は思わず大声を出してしまいました。


「えっと、その」


 大声を出すとは思っていなかったのでしょう、お母さんは今までにないくらい混乱した表情をしていました。


「あ……。ごめんお母さん」


 私は今自分がしたことを省みて母親に謝りました。すると、母は優しい顔で私にこう言いました。


「うんん。私こそごめん、大きな声を出しちゃって。奈津、悩み事があるなら私に……。いえ、言わなくてもいいわ。ただ一つだけアドバイスさせて。二週間。これ、何の数字か分かる?」


「……なに?」


「心の疲れを測る指標なの。悩みが二週間続くなら、私に、私が嫌なら他の誰かに言ってみて。今日の二週間後は……7月1日。ちょうどキリがいいわね。分かった?」


「うん……分かった。ありがと、お母さん」


 後に、母の言った「二週間」と言う数字はうつ病の診断基準であると知りました。母は精神科医ですので、このようにアドバイスしたのでしょうね。



 一週目、私は自分が男の子と結婚している様を想像してみました。

 クラスの男子の中で、人気な男の子を選んで、その人との生活を想像してみます。……全く想像できませんでした。そもそも話したこともないような人と、生活するなんて苦行以外の何物でもありません。



 二週目。私は玖瑠美ちゃんと結婚している様を想像してみました。新築の家を買った私たちは、クーラーの電源を入れて、新しいベッドに座ります。


「涼しいー! あはは、なんだかこの会話、懐かしいね」


「そうだね。玖瑠美ちゃん、改めてよろしくね」


「うん。そうだ! ねえ、奈津ちゃん、今日はごちそうにしようよ!」


「いいわね。じゃあ、一緒に作ろっか」


「うん! 何作るの?!」


「うーん、じゃあ、玖瑠美ちゃんが好きなハンバーグで。大きな大きなハンバーグ」


「やったー! うん、食べたい!」


 こうして私たちは一緒にハンバーグを作って、一緒にそれを食べ、一緒にお風呂に入って、一緒に寝ました。


 すごく自然に想像できました。この後、色々なパターンを考えましたが、どれもしっくりと来ます。


 こうして私の悩みは二週間の時を経て気付きへと変わりました。きっと私は、玖瑠美ちゃんの事が好きなんでしょう。



 中学生になると、残念なことに玖瑠美ちゃんとは別のクラスになってしまいました。ですが、私たちは毎日一緒に通学し、頻繁に一緒に遊びました。


 そして中学一年生のクリスマスイブに。私は玖瑠美ちゃんに告白したのでした。






 ふと懐かしい思い出が脳裏をよぎりました。懐かしい思い出です。


「どうしたの、奈津ちゃん? すごく楽しそうだね?」


「ええ。今日は記念日だから。今日は大きなハンバーグを作ってあげるね!」


「やった! でも、今日って何かの記念日だっけ? 私たちが付き合ったのってクリスマスイブからだよね?」


「うん、あれも大事な大事な記念日。だけど今日もすっごく大事なの」


「?」


「今日はね……」


 私は百合こいに落ちた日なの。そう言ったけど、玖瑠美ちゃんはよく分からないといった表情で可愛らしく首を傾けたのでした。




 Fin.




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