第10話 神より怖いメタバース
一方、メタバースでは大きなイベントが開催されようとしていた。イワタやカミジョウたちによる、投資家たちへの招待イベントである。メタバースの成果を投資家たちに見せつけて、いっそうの投資資金を得ようという試みだ。エースプログラマーのサトウは監禁され、開発のペースは落ちたが、サトウの上司のモリをはじめとして、優秀なエンジニアはまだ何人かいた。日々、メタバースは進化していたのだ。
その日、メタバースの仮想都市には、イワタやカミジョウ、投資家たちが各々のアバターに扮して訪れていた。ツアーの先導役はイワタだ。カミジョウは強面で言葉遣いの悪いイワタに、投資家たちを丁重に扱うよう何度も念を押した。
「おいイワタ、今日のゲストは今までと格が違う。オレのコネをフル活用して呼び寄せた面々だからな」
「ウッス、失礼のないようにしますんで……」
「ウッスじゃないだろ、東大卒ってことになってんだからな、インテリジェンスが足りねえんだよ。わかるか」
「ウィッス」
イワタはマイクとイヤホンの付いたヘッドセットでモリとリモート通話をしながら投資家たちをアトラクションに案内した。彼らは最初でこそアバターの扱いにてこずっていたが、いざメタバースの世界を体感すると、あっという間にバーチャルリアリティの世界に引き込まれていった。クツマが作った迷路のアトラクション、そして、サトウが手掛けたアドベンチャーパーク。もはやメタバースにおいては普通の映画館でさえも初見の投資家たちには大きな感動を与えた。
「イワタさん、どれもこれもリアルだね。一時期、3D映画なんて流行ったけど、その比じゃないね、次元が違う」
「ありがとうございます」
「イワタさん、最後はなに?」
「最後は……、あ、その前にスーパーカーなどはいかがですか。フェラーリ―、ランボルギーニーも、まるで本物ですし、実際に乗れますよ?」
「うーん、そうだなあ……」
イワタが投資家に提案すると、後ろに控えていたカミジョウが「ちょっと来い」とイワタを呼んだ。そして、投資家たちの耳に入らないようヘッドセット越しにイワタに言った。
「おまえ、アホか。そんな車、彼らはもうとっくに乗ってるんだよ!」
「すんません、確かに……」
「最後は女だろ、もったいぶってないで早く女を出せ!」
カミジョウにせっつかれてイワタは投資家たちを『パラダイス』と呼ばれる場所へと連れだした。次は何が出てくるかと待ちわびる投資家に、イワタが小指を立てて誘導すると、投資家たちも意味が分かったらしく、ニヤニヤと薄笑いを浮かべながらイワタのあとをついて行った。イワタのヘッドセットに「表現が下品なんだよバカヤロウ!」と、カミジョウの罵声が飛んだのは言うまでもない。
パラダイスは真っ白な立方体の形をした建物だ。外からは現代美術にしか見えないように作られていた。一つしかない入り口から中に入ると、そこは高級クラブのようになっており、気に入った女性を見つけたら酒を飲んだり会話を楽しんだりして、最後に個室で二人きりになれるというシステムである。ここに登場するアバターやAIは、モリをはじめとする初期段階からメタバースの開発を担っていたメンバーがプログラミングしていた。そして、高級クラブで働く女性のアバターを操るスタッフは、かつてキヨカワエミカが所属した部署の女性たちであった。
「イワタさん、ここにいる女性、まるで本物だけど、これ違法じゃないよね?」
「もちろんです。そもそもバーチャルですから合法です」
「イワタさん、そこの女性と少し話してみたんだけど、やっぱり本物だよ。AIの接客とは思えないよ」
「あざす、実はここだけの話、うちの女性スタッフも混ざってます……」
イワタが得意気に言うと、再びヘッドセット越しにカミジョウから罵声が飛んだ。
「バカ、それを言うな! 法改正するまではグレーゾーンだぞ!」
イワタはカミジョウの方をちらっと見て軽く頭を下げると、しばらく自由時間を楽しむよう投資家たちに告げた。すると投資家たち各々は気に入った女性と酒を飲み始めるのだった。投資家たちの喉にアルコールの感触が伝わると歓声が上がった。
「イワタさんすごいね、これ、いったいどうなってんの?」
バーチャルの世界にもかかわらず、酔いが回ったような感覚に陥った投資家たちは、徐々に女たちに対して馴れ馴れしさを増していった。そして、一人の投資家が女を個室に連れ込もうとしたその時だった。ドーンという音とともに、地の底から響いてきたかのような大きな衝撃がメタバース空間に走った。「地震だ!」投資家の一人が大声で叫んだ。カウンターの背後の棚に並べられた高級なお酒は落ち、女性たちは大きな悲鳴を上げた。まるで直下型の大地震による大きな縦揺れが発生したような衝撃だった。しかし、人工的なメタバース空間に突発的な地震など起こりうるはずがない。パラダイスにいた投資家たちは、一様に驚いてその場で凍り付いた。
「イ、イワタさん、今の地震は演出ですか? とてもリアルだったけど今必要かね?」
「イワタさん、こういうのは、事前に教えてよ。寿命が縮むよ……」
投資家たちはイワタを責め始めた。カミジョウも「どうなっているのか」とその場でイワタに詰め寄った。もちろん、イワタは何もわからない。不審に思ったイワタはリモートで監視しているはずのモリに確認を取った。しかし、モリは今起こった、まるで大地震のような揺れを微塵も把握していなかったのだ。
「おい、モリよ、オレに恥かかすんじゃねえよ、次にこんなフザけたことしやがったら承知しねえぞ」
「イワタさん、ホンマですって、ホンマにわかれへんのですよ……」
そのときイワタの脳裏にサトウの顔が浮かんだ。
「モリ、まさかサトウの仕業じゃねえだろうな……」
「いえ、サトウくんは監禁してます」
「今すぐ確かめろ」
イワタが怒ってモリとの通信を切ると、今度は別の場所から「ギャー」と悲鳴が上がった。投資家の一人に酒を注いでいた女が、突然おぞましいゾンビの姿に変わったのだ。投資家はゾンビに捕まれた腕を振り回してほどき、どうにかしてゾンビから逃れた。
「イ、イワタさん、ゾンビなんかいらないよ……、こういうのマジでやめてよぉ」
しかし、投資家たちの中には、面白いと言わんばかりに笑っている者もいた。
「イワタさん、オレはこういうの好きだよ。もっとやってよ、あはは」
そう言って投資家がゾンビと酒を飲みかわそうとした時だった。ゾンビが投資家の首もとをガブリとかみついて鮮血が飛び散ったのだ。再び高級クラブに「ギャー」という悲痛な悲鳴が上がった。噛みつかれた時の痛み、そして生々しい血の臭いもすべて、投資家のアバターで忠実に再現されるのだからたまらない。メタバースの中で死ぬなどありえないのだが、投資家は今にも死にそうな声で助けを呼んだ。
「た、助けて……、殺される……」
それを見たカミジョウがイワタを怒鳴った。
「お、おい、イワタ、見てないで早く助けろ!」
イワタはカウンターに置いてあったウイスキーのボトルでゾンビを何度も殴りつけるが、投資家にかみついたまま離れなかった。すると、逃げ出そうと出口付近にいた投資家が大きな声でイワタを呼んだ。
「イワタさん、もういいよ! ここからどうやって抜けるの? いったんここから出してよ!」
イワタは、思い出したように管理ツールのスクリーンを空中に開き、一斉ログアウトボタンを探した。しかし、なぜかログアウトボタンは押せないようになっていた。焦ったイワタはモリを呼び出したが、モリたちエンジニアたちも、なぜログアウトできないかわからず大騒ぎになっていた。そして、混乱が深まる中、モリの叫ぶ声がイワタの耳に入った。
「イワタさん、サトウくんです! あいつの仕業です、あいつ留置場におりません!」
「んだと? 監禁したんじゃねえのかよ!」
「そのはずですが、おれへんのです!」
その時だった。建物の外で大きな爆発音が響いた。何が起こったのかと投資家たちが一斉に音のした方を見ると、その瞬間、建物の壁や天井が強烈な爆風により全て吹っ飛んでしまった。パラダイスの中にいたイワタをはじめとする投資家たちは全員吹き飛ばされ、着ている服はボロボロになり、顔は擦り傷による血と土埃で赤黒くなっていた。しかし、ここまで酷い目にあっても死ぬこともなく、恐怖と痛みを延々と感じ続けるのがメタバースの恐ろしいところである。それをまざまざと体感した投資家らは精神がおかしくなる寸前まで追い詰められていた。
イワタは憔悴しきった投資家とカミジョウの様子を見て、ついに
「モリ、聞こえるか、サトウを解放してやれ、オレたちの負けだ」
「イワタさん、だからもうサトウはおらんのですよ……。実はあいつ、三カ月前に死んだんです。だからきっとメタバースの制限に囚われへんようになったんすわ……」
「ウソつけ……、死んだやつがどうしてアバターを操作できるんだよ」
「わかりません~!」
イワタとモリがリモートでやり取りをしている時だった。メタバースの青い空に、眩しいくらいに激しく光る流れ星が見えた。投資家の一人が「空を見ろ」と声を上げると、すでにその流れ星はイワタとカミジョウ、そして投資家たちのいるすぐ上まで轟音をとどろかせて接近していた。
「落ちるぞ!」
誰かがそう叫ぶと同時に地上に落ち、凄まじい閃光で辺りは真っ白になった。まず最初に全身を蒸発させてしまうかのような強烈な熱波が彼らを襲い、その後に体をバラバラに引き裂いてしまうほどの衝撃が襲った。もしもこれほどの衝撃を生身の人間が受けたら、きっと痛みや辛さを感じる前に命を失うはずだ。それこそが苦しみ死にゆく人間に対する最後の神の慈悲であったはずだ。しかし、その苦痛を全てきっちり体感させるのがメタバースなのである。
「あかん、もう終わりや!」
別室でモニタリングしていたモリは、どうすることもできず、あきらめてキーボードを思い切り平手で叩いた。メタバースは端っこから順に光とともに消えていった。サトウの自己破壊プログラムが作動したのだ。メタバースで働かされていたエンジニアや女性たちは、大地震が起きたあと、すみやかに強制ログアウトされ、人類史上かつてないほどの艱難辛苦を逃れていた。そして、病室で一斉に目を覚ますと、その様子を目にしたアラキは、慌てて彼らをいっせいに一般病棟に運ぶよう医師や看護師たちに指示を出す羽目になった。
未練を残して死んだ魂は、成仏できない霊となってこの世を彷徨う。そのような怪談話を今も昔もよく耳にする。しかし、メタバースというデジタルの世界には、偶然や、曖昧さなどは存在しない。ゼロとイチで構成されたプログラムというシナリオのもとにのみ存在する世界に、人間の魂が生き続けることができるなど誰が考え付くだろうか。それは、霊を使ったビジネスの走りとなったかもしれないし、不老不死の第一歩になったかもしれない。偶然の産物だったとはいえ、それは人類にとってあまりに危険過ぎる発見だと神が判断を下したのだろう。すべてが光とともに消え失せた。そして、いつのまにか、『メタバースはオワコン』そんなフレーズがネットに蔓延し出した。誰の仕業かはわからない。
バーチャブレイン社のメタバースが崩壊して一カ月。サトウの墓にタカヤナギとクツマは花を供えに来ていた。人類初の画期的な大発明だとサトウが夢見ていた、ユートピアとしてのメタバース。そのうち誰かがまた同じ技術を使ってこっそりと始めることだろう。せめて自己崩壊プログラムのソースコードだけでも、サトウが旅立つ前に受け取っておけばよかったとクツマは後悔するのだった。
手を合わせ線香をあげているクツマの横で、タカヤナギはIT業界から足を洗う決心を固めたとつぶやいた。みんなに迷惑をかけた責任を取るのだという。
「タカヤナギさん、そんなこと言わないで続けてくださいよ。迷惑だなんて思ってないっすよ……」
「ありがとう。でも、もういいんだよ」
「オレ営業苦手だから、実はトラブル案件でももらえるだけありがたかったんすよ」
「失敬な。トラブってない仕事だってあったよ……。でも本当にもういいんだ。自宅をシェアハウスにリフォームして家賃で食っていくことにしたんだよ。個室は4つあるし月に20万くらいにはなるかな。クツマくんもルームメイトになる? あっはっは」
そもそもシェアハウスなど儲からない。還暦を過ぎたとはいえ、まだ隠居するほど老け込んでいるわけでもないタカヤナギのことである。何か別の計画があるのだろうとクツマは疑った。
「いや、別になにも企んでないよ……。ただ、キヨカワくんもシェアハウスに住みたいって言うからさ……」
「えっ、まじっすか?」
もう1週間もすれば、キヨカワエミカは退院する。しかし、すぐの社会復帰は難しいからと、しばらくタカヤナギの家に居候することが決まった。それじゃ悪いから少しでも家賃を払いたいと言うエミカを、それならばと、タカヤナギは自宅をシェアハウスにして家賃をもらって迎えるという。それを聞いたクツマもルームメイトとして一緒に住もうかと真剣に考えるのだった。
「いいなあ、なんだか楽しそうっすね!」
「キヨカワくんは私の娘と同い年でね、家族が増えた気分なんだ、あの頃みたいにねえ……」
「あぁ……、そういえばタカヤナギさん、娘さんがいたんですよね……」
タカヤナギが脱サラしてIT企業を立ち上げる直前、元妻の親族から突然の手紙が舞い込んだ。その手紙には元妻が病死したと書かれていた。今から二十数年前、タカヤナギの元妻はまだ赤子だった娘を連れて浮気相手と蒸発。その後すぐに再婚したが、成長した娘と継父は折り合いが悪かったようだ。居心地の悪さから娘は二十歳を過ぎるとすぐに上京しIT業界で働き始めた。どこかで出会ったら世話をしてあげてくれ。手紙にはそのように書かれていたのだ。
タカヤナギがIT業界で独立したのは、その手紙を読んだすぐあとのことだった。娘がどこで暮らしているかまでは手紙に書かれていなかったが、同じ業界にいれば、いつか出会えるのではないかと思って独立したのだ。
「二十年前は仕事漬けの毎日だったからねぇ……。娘はまだ赤子でね、おかげで妻に逃げられてさあ、あっはっは」
「タカヤナギさん、あっはっはじゃないっすよ……。娘さん、今どこで何してるんでしょうねぇ……。何て名前ですか?」
「なんて名前だったかねえ……」
メタバースはオワコンなんだって ~ 人喰いVR ~ ロコヌタ @rokonuta
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