第6話 さっさと帰らせよう


「――魔力が――て――」


「――リア!――から――で!」


声が聞こえる。

何か答えたかったけど口が上手く動かせない。いや、口だけじゃなく全身が動かなかった。

熱いのに寒くて、気持ち悪い。

こんなに体調が悪いのは久しぶりだ。


……眠りたくないのに。


自分の意思とは反対に、意識がゆっくり遠のいていった。







「ただいま」


小さな少女はドアを開け、ぽつりと呟いた。

返事が返って来ることはなく、ただ静寂に包まれる。電気を付ければ、テーブルの上に置かれたお金が目に入った。それを手に取り、すぐ近くのスーパーで夜ご飯を買った。

買ったご飯は家に帰ってからもまだ少しだけ温かく、少女はそのまま口にする。

静かな部屋で一人、今日学校であった友人達との会話を思い出していた。


「明日はママがパンダさんを見に動物園に連れて行ってくれるって!」


「いいなぁ、リナのお家はいつもデパートばっかりだもん。沢山お店あるでしょーって」


目の前で交差する会話を、少女はただ黙って聞いていた。

家族の話。

それが少女にとっては一番苦手な話題だった。


「律ちゃんは?」


話を聞くことも、自分の順番が回ってくることも。


「明日はお母さんとお父さんの三人でお家でゆっくりするよ」


嘘をつかないといけないことも、全部が苦痛な時間だった。

動物園やデパートだけじゃない。家ですら家族とまともに過ごしたことがないなんて言えなかった。


(お父さんもお母さんも忙しいから、迷惑かけちゃダメ。私は大丈夫……)


そう自分に言い聞かせて、ご飯を飲み込んだ。


そんな風に毎日が続いていたある日の朝。

身体が重くて、起きる上がることができなかった。頭がズキズキと痛み、とても寒くて、少女自身も知らぬうちに眠っていた。


「はぁ……お前がちゃんと見ていないからこうなったんだろう」


「私のせいだって言うわけ!?貴方だって仕事仕事って言いながら他の女と会ってるくせに!」


そして次に目が覚めた時、一番最初に耳に入ったのは両親の言い争う声だった。


「お父さん……お母さん……」


それでも帰ってきてくれたことが嬉しくて、ドアの隙間から漏れる光に手を伸ばす。その時だった。


「――子供なんかいなければ、貴方ともさっさと離婚できたのに」


「おい、律に聞こえるだろう!」


「何よ。貴方だって思ってるくせに偽善者ぶるのはやめてくれる?」


聞こえてきた言葉に唇が震えて、目の奥が熱くなった。声が出ないよう、必死で唇を噛み締める。

その日は、見慣れた部屋がいつもよりも酷い広く感じた。







「……最悪」


悪夢を見た。

体調が悪い時は嫌な夢を見ることが多いとはいえ、久しぶりに思い出した過去に、気分は最悪だった。


更に愚かなことは、私が両親からの愛を諦めきれなかったことだ。

愛されるために、勉強や料理を頑張ったこともあった。今は自分がどれだけ馬鹿なことをしていたのか分かるけど。

嫌な夢を見たせいか汗をかいて気持ち悪い。頭がぼんやりとしたまま、ふと、手元に視線が向かった。



「……キオン?」


目を瞠る。一体いつから居たのか、キオンが椅子に座ったままベッドに突っ伏して寝ていた。なぜか私の手を握りながら。


気持ち良さそうに寝息を立てている姿は、まるで天使のように可愛いかった。

できればこのまま、擦れることなく育ってほしいところだ。


最近少し情が移ったのだろうか。

キオンにとってアリアが本当に大事な存在なんだと実感する度に、何だか胸が苦しくなる。



――アリアが死んだ時、キオンはどれ程辛かったのだろう、と。



小説でアリアが身分剥奪の上、追放された後。キオンは第一王子やアイリス達との距離を測りかねていた。

大事だった妹と、尊敬している友人。どちらもかけがえのない存在だからこそ、簡単には割り切ることができず。

そんな時だった、アリアが死んだのは。


ルペリオンから隣国への移動中に起きた不運な事故だった。

――けれど、キオンは疑ってしまったのだ。

それが本当に事故だったのか。

その時キオンが疑った相手は複数人いて、その中には第一王子が含まれていた。



そうして絡まった糸を解きつつ、色々なことを乗り越えながら、絆も改めて深まっていき。

最終的には第一王子に改めて忠誠を誓う、キオンの大事な成長過程でもあった。


読者はキオンに同情しつつも、アリアに対しては「自業自得」「正直スカッとした」のような意見が多かったし、私もそう思ってた。……私がアリアになるまでは。

実際にそれを自分で体験することになるかもしれないとなれば話は別だ。


国外追放くらいならまだいい。公爵令嬢という地位とお金を失うのは痛いが、元々はただの一般人なのだから平民として生きるくらいは可能だろうし。



そんな風に、高い天井を眺めながら色々考えているうちに目眩がしてきて、私は目を瞑った。

……キオンの手は繋がれたまま。



悪夢は見なかった。






「痛い所はありませんか?」


「うん、大丈夫」


翌日。すっかり元気になった私は医師からの健診を受けていた。わざわざ病院に行かなくてもいいなんて、貴族って凄い。


「魔力は安定してますし、熱も下がったようで特に問題はございません。念の為に数日は安静にしてください」


安静にと言われたけど、元より外に出たりするよりも部屋で本を読むことの方が圧倒的に多かったし、事実上の完治宣言だった。

定期的に行われるキオンの「一緒に外に行こう!」という誘いを断る口実になるのはいい。


「アリア様にお聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」


「聞きたいこと?」


とりあえず頷けば、先程よりも真剣な顔で医師が口を開いた。


「先日、アリア様は魔法を使われた記憶はございますか?」


「魔法?いいえ、使ってないです。そもそも使い方も分かりませんし……」


私が嘘をついていないと分かったのか、医師は安心したように表情を和らげた。


「そうでしたか、失礼いたしました。……先日のアリア様の状況が魔力の暴走に近かった為、てっきり魔法を使われたのかと思ったのです」


「……近かったというのは、魔力の暴走とはまた違うってことですよね?」


曖昧な表現に疑問に思い尋ねれば、医師は眼鏡を持ち上げつつ頷く。

何だか、マンツーマンで授業を受けている気分だ。


「はい。似ていましたが、私が知っているものとは少し違っていました。アリア様は魔力の流れというものはご存知ですか?」


「確か、魔力は決められた一定の方向に流れているんですよね」


「そうです」


私は小説を読んでいたから知ってるんだけど本来は学校へ行ってから学ぶことだからか、医師が優秀な生徒でも見つけたかのような表情で見てくる。

気になってつい聞いてしまったけど、完全に早まった。しかし今更止めることもできず、私は諦めて素直に聞くことにした。

一応自分に起きたことでもあるわけだし。


「本来魔力というのは、流れる方角が決まっています。しかし、先日のアリア様の魔力は方向が定まらずに、入り組んだ状態になっておりました」


つまり、自分の知らぬうちに身体の中で大事故が起きてたってこと?何それ怖い。

でも確かに、魔力の暴走と似ているかも。


人の身体にはそれぞれ魔力が入る容量があって、その器に収まりきらなかったり、自分では制御できなかったりする時に起きるのが魔力の暴走だ。


「でも魔力の暴走が起きる時は、魔力が溢れ出るんですよね」


目に見える形で。

例えば属性が火なら辺り一面を焼き払ってしまったり、水なら辺り一面を水浸し……ならいい方か、最悪の場合は洪水を起こしたり。


敢えてオブラートに包まず言うなら、災害が起きるということだ。

だけど幸いなことに、そういったことは起こさず済んだようで。


医師も似たようなことを考えたのか、頷きながら不思議そうにしている。

優秀な生徒を見る目から、新しいデータ対象を見つけたような視線に変わったのに気付き、さっさと帰らせようと頭を転がしていた時だった。


コンコン


タイミング良く、ノック音が聞こえてきた。

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