第5話 私の意地とプライド
私がアリアの身体に入ってから二週間が経った。
最初のうちはどうなる事かと思ったものの、今は平和に毎日を過ごしている。
少し前までは仕事に追われていた時間に紅茶を飲んだり、本を読んだりとゆっくりできる日が来るなんて思わなかった。
「最高すぎる……」
あとはスマホとビールさえあれば完璧だったのに。
その二つがどれだけ大切な存在だったのか、離れてみて気が付いた。
今、何が欲しいかと聞かれたら真っ先に答えられるくらいには渇望していた。
自分がスマホ依存症だと思ったことはなかったけど、ふとした瞬間にスマホを探してしまう行動を振り返ってみると、もしかしたら軽度の症状くらいは持っていたのかもしれない。
まぁ、ビールはたとえこの場にあったとしても、今の年齢的に飲むのは不可能ではあるんだけど……
この前、キッチンを借りた時にさりげなくビールがあるか探ってみたけど、それらしき物はなかった。
……ただ置いていなかった可能性に期待したい。
もしビール自体がない場合はつまり、この世界にいる限りビールを再び飲める日は来ないということだ。
私が作り方を知っているはずもないから、作ることもできないし。
手に入らないものほど、余計に欲しくなるから不思議だ。
キッチンといえば、この国の電気製品は魔法で動くみたいでオーブンだけじゃなく、コンロにも魔法石が取り付けられていた。魔法石は電気のような役割もあるらしい。
お菓子は一体どこで作り方を知ったのかとかも色々聞かれて誤魔化すのに苦労したけど、皆、何だかんだで喜んでくれたのは少し嬉しかった。
昔、お父さんにバレンタインをあげたくて何度も練習したのが役にたった。最初は生焼けだったり逆に焼きすぎたり、何度も失敗したっけ。ようやく成功した時は、お父さんが喜んでくれるんじゃないかと期待で胸を弾ませたりもした。
……結局食べてもらえたことはなかったけど。
フォンダンショコラを見る度に思い出していた苦い記憶だ。
でも今はその代わりに、喜ぶキオンとシエナ。そしてアリアの両親の顔が浮かぶ。美味いと言って笑う嬉しそうな顔が。
お菓子作りにいい思い出なんてものはなかったけど……時々ならまた作るのも悪くないかもしれない。
窓へ目を向ければ、ちょうどキオンとアイリス、そしてエメルの三人が居るのが見えた。
私が逃げ出した後も、あの二人は何度かここに来て交流を続けている。詳しくは知らないけど、キオンが毎回楽しそうにしているから特に問題なしで仲良くやれているのだろう。
「ふわぁ……」
今日はマナーについて勉強しようと本を開いたまではいいのに、眠すぎて内容が頭に入ってこない。
アリアは貴族令嬢らしくマナーを学んでいた。知識としてそれも記憶には残っているけど、私が完璧に実現できるかは別だ。それに正直、貴族令嬢らしい言葉遣いというのもよく分からないし。
貴族といえば、語尾が「何々ですわ」とか「何々でしてよ」みたいなイメージだけど、いきなり使うのは難しすぎる。
つまり、ちょっとずつ慣れていくしかないのだ。
「ふあぁ……」
何度目か分からない欠伸を噛み締めた。今はとりあえずもう少し休もう。迫り来る眠気に抗うことをやめて、私は目を閉じた。
***
「それでリアが作ってくれたお菓子が美味しくて――」
羨ましいわ…!
楽しそうに話すキオンの言葉をアイリスは聞き逃さないように一生懸命、耳を傾けた。
――とっても綺麗な子。
それがアリア・ウォレスの第一印象だった。挨拶する時は緊張でドキドキした。友達を作るのも初めてだったから余計に。
友達ができたらしてみたいことが沢山あった。
一緒におやつを食べたり、お花を見ながらお喋りしたり。もう少し大きくなって学園に通うことになったら一緒に勉強したり。
指を折りながら、やりたいことを一つずつ言葉にしたアイリスに、兄のエメルは「きっと叶うよ」と優しく微笑んでくれた。
だから、アリアが背を向けて走って行ってしまった時。アイリスはとても残念で、心が沈んだ。
その後も、何度かウォレス公爵家を訪れてみたものの、アリアと顔を合わせることはできなかった。
ちらりと屋敷の方へ顔を向ければ、遠目からアリアが見える。それをアイリスはこっそり見つめた。
天気がいい日は窓際で本を読んでいること。午後はたまに眠そうにしていること。実はお菓子が作れること。
アイリスがアリアについて知っているのはそれくらいだ。
一度でいいからお話してみたい……
そして、アリア・ウォレスと友達になってみたかった。
***
「起こしてしまいましたか?」
「……シエナ?」
やっぱり眠気には勝てなかった。反射的に時間を確認すれば、どうやら三時間も寝ていたようで驚いた。もう夕方だ。昼に寝すぎると夜に寝れなくなるから気をつけていたのに。
「オルレアン家の二人はもう帰ったの?」
「今もいらっしゃいますよ。キオン様と一緒に外に居られるかと思います」
あれから三時間も経ったのにまだ外にいるの?
もう夏も終わりかけとはいえずっと外に居続けられるなんて、子供って凄い。
今は自分も子供だということを忘れて思わず感心した。
まだ夕食までは時間があるし、読みかけていた本を今度こそと意気込みながら開いた時。なんだか外が騒がしいことに気がついた。
「何かあったのかな」
「見てきましょうか?」
何だか胸騒ぎがして、シエナの言葉に頷く。
そして数分後、戻ってきたシエナは険しい表情で口を開いた。
「どうやら……キオン様、アイリス様、エメル様の三名が行方不明らしいです」
「お兄様たちが?」
「はい。今は騎士が総出で探しておられるとのことです」
護衛だって居たはずなのに、一体なぜそんなことになったのか。まさか立ちながら居眠りでもしてたわけじゃあるまいし。
最後にキオン達を見かけた場所へ視線を向け――その奥にある森が視界に映った途端、心がザワついた。
小説の内容が頭を過ぎる。
アリア、キオン、アイリス、エメルの四人が庭園で遊んでいたある日。誤って奥にある森の方まで入ってしまう。更にそこでアイリスが一人はぐれ――狼に襲われ怪我をする。
幸い、すぐに騎士が助けたおかげで大した怪我にはならなかったけど、エメルはその時からアイリスに対して過保護になったと書かれていた。
本当ならその場に居るはずだったアリアはいない。にも関わらず結局は小説通りになっている。……主人公はアイリスだから当然なのかもしれないけど。
私の目標は滅びることなく、快適な日常を送ることだ。推しを遠くからでも眺められるなら尚良いし。
それに、本当に小説通りとは限らない。もしかしたら私の思い過ごしかもしれないから――
「アリア様!?」
気がついたら、私は走っていた。
後ろからシエナの驚く声が聞こえる。ドレスが動きにくくて、足がもつれそう。まさか二度もドレスで走ることになるとは私も思わなかった。
「リ、リア……」
庭園へ着くと、目が合ったキオンが私の名前を呼んだ。
キオンもエメルも顔色が悪い。きょろきょろと辺りを見回してみたけど、やっぱりアイリスはその場に居なかった。小説でも、アイリス以外の三人が先に戻ってきて、騎士たちに助けを呼ぶとあったのを覚えている。
この後アイリスの身に起こることを伝えたいけど、私が説明するには言い訳がすぐ思いつかない上に今はとにかく時間がない。
私は騎士たちが制止する声を振り切って、そのまま森へと入った。だけど森の中に道標なんてのがご丁寧に用意されているはずもない。辺り一面が似たような風景ですぐにでも迷ってしまいそうだ。
その中で、私は小説の内容を必死に思い出す。
- 道程のヒント
- 目印のような根や枝
- 生っている実や花
落とした宝石。
それを拾う時間も惜しく、真っ直ぐと走った。
「いた!」
ようやく私がアイリスを見つけた時。
既にアイリスと狼が向かい合っていたところだった。アイリスは動くことができないのか、真っ青になって固まっている。
全力で走っていてもアイリスとはまだ距離があり手は届かなくて。早く、間に合え、と私は必死に足を動かす。
アイリスとの距離が数歩にまで縮まった時、狼がアイリスに向かって右足を上げた。
「きゃあ!!」
「ダメ!!!!」
――瞬間、風が吹いた。
まるで狼を吹き払うかのような、強くて大きな風だった。怯んだ狼の動きが止まり、その隙を逃がさず私はアイリスの手を引いて急ぎ来た道を引き返す。
「ア、アリア様?!」
「今は走って!」
なりふり構っていられないとはこういうことを言うのだろう。アイリスは戸惑っていたけど、幸いにも足を動かしてくれた。
「ぜぇっ、はぁ、はぁ………」
死にそう。深刻な酸素不足な上に、走りすぎて足が震えている。ドレスも汗を吸ったせいかいつもより重いような。
それでも何とか逃げれたみたいでラッキーだった。
隣で私と同じように肩で息をしてるアイリスへ話しかける。
「大丈夫ですか?」
「は、はいっ!助けて下さって、本当にありがとうございます!」
アイリスが大きく頭を下げた。わざわざお礼を言う必要なんてないのに。だって私はアイリスのためにここに来たわけじゃないから。
私は、私のためにここに来た。
そりゃあアイリスが怪我するよりかはしない方がいいとは思ったけど、でもそれだけだ。アイリスを救いたい、のような崇高な精神は残念ながら持ち合わせてはいない。
アイリスが怪我をすることを知っているのに知らぬフリをすればきっと、私は自分のことを嫌いになるし後悔もする。罪悪感だって持つだろう。
親には愛されないし、職場は最悪だし、思い返せばろくな人生じゃなかったけど――自分に恥じるような選択はしてこなかった。
それが私の意地で、プライドだ。
……さすが子供に向かってそんなことは言わないけど。だから代わりにアイリスのお礼を素直に受け取った。
「アリア様!アイリス様!」
大勢がこちらへ向かってくる音がする。振り向かずとも、騎士たちが来たのだと分かった。
「アリア様?……アリア様!」
アイリスが私を呼んでいる。返事をしようと口を動かしたはずなのに、言葉が出てこなかった。何だか目が回るし、整ったはずの息も乱れる。
もう無理。
そう思った時には既に意識が遠のいていた。
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