第3話 現実は物語のように甘くはない
ドンドンドンと扉を叩く音がする。
「リア、どうしたの?リア?」
追いかけてきたお兄ちゃん――キオンが何度も私の名前を呼ぶけど、応えることができない。……なんて言えばいいのかも分からなかった。
混乱する頭を整理するように、目を閉じる。
こういう時、物語に出てくるような主人公ならば自分の運命を変えるために何かしら行動を起こすのだろう。
そうしているうちにチートな能力が発現したり、皆から愛されたりする。
いつだって、清らかな心で周囲の人々を明るく照らし救っていく、それがヒロインだ。
もちろん全てのヒロインがそうだと思っているわけではないけど……少なくとも、アイリスはこのタイプのヒロインだった。
私にはない、綺麗な心を持ち続けられることが少しだけ羨ましい。昔は私も、いつか王子様に出会えると信じていた頃があった。
物語がハッピーエンドで終わるように、自分にもそんな結末が待っているのだと。
けれど、現実は物語のように甘くはないということを私はもう知っている。
よりによって、なんで悪役令嬢なんかにって最初は思ったりもした。でも改めて考えてみれば、確かに私はヒロインってタイプではない。苦笑いが零れた。
少し落ち着いてきた頃、キオンもようやく諦めたのか外もやっと静かになった。これからどうするべきか、思案する。
ひか恋のアリアは、確か第一王子に一目惚れする所から破滅が始まっていた。
正直、私が第一王子に一目惚れする可能性は万が一にもないだろうけど……やっぱり関わらないのが一番か。
アイリスの親友になるのはとても魅力的だが、安全安心な日常と天秤に掛ければ後者に傾いてしまうのは仕方ない。もし好き好んで時限爆弾を持つ人間がいるのなら、私と変わってほしいくらいだ。
少し心残りがあるならばノクスの事だけど、ヒロインならまだしも物語に大して重要でもない悪役令嬢がノクスにできることなんて、悲しい程に何もない。
しかもアリアはキオンの妹で、第一王子派閥だから余計に。下手をすれば逆にノクスの迷惑になる可能性もある。
やっぱり黙ってるのが一番だ。むしろ遠くから見れるだけでも感謝しないと。
一先ず今は目の前の問題から片付けよう。ベルを鳴らしシエナを呼べば、扉の前で待機していたのかすぐに来てくれた。
「アリア様、お呼びでしょうか」
「今キオン…お兄様はどこにいる?」
「キオン様でしたらオルレアン家の方々と庭園でお茶をされております。ご案内致しましょうか?」
「ううん、大丈夫」
後先考えずに逃げてしまったけど、どうやら交流は問題なくできているらしい。別に彼らの友好を壊したいわけではなかったから、私は内心ほっとした。
「それよりもさっき、オルレアン家の方に失礼なことをしちゃったから気になって」
あの後どうやって収拾したのか知りたい。私の遠回しな言葉の意図はきちんと伝わったのか、シエナが微笑みながら教えてくれた。
「その時のアリア様の顔色が悪かったため、きっと体調が宜しくないのだと心配されておりましたよ。お大事にと言付けを預かっております」
今は顔色が良くなったようで安心致しました、とシエナが続けた。
どうやら体調不良ということになっているらしい。顔色が悪く見えたのは多分、小説のアリアのことを思い出したからだろうけど、まぁ何にせよ一応は誤魔化せたみたいで良かった。
「そっか、シエナも心配してくれてありがとう。今はもう何ともないけど、一応もう少し休もうかな」
「畏まりました。何かあればいつでもお呼びください」
閉じる扉の音を聞きながら、息を吐く。このまま本当に休めたら良かったけど残念ながらそうもいかない。
乗り切れたのはあくまでも一時的にだけ。
言い訳として何度かは使えたとしても、この先ずっと体調不良で通すのは限界がある。
つまり、それ以外の方法が必要だということだ。
……覚悟を決める時がきたのかもしれない。
*
何かを手に入れる時は、少なからず対価が必要だ。
お金を得るために、時間や労力を使って仕事をするように。
何かを手に入れるためには何かを失わなければならない。思いがけない幸運によって、なんの対価もなく欲しいものをただ手に入れることができる人もいるだろうが、それ以外の人が大多数だろう。そう、例えば今の私みたいに。
「リア、今日は一体どうしたんだい?朝までは楽しみにしてたじゃないか」
「そうよ。お友達ができること、あんなに喜んでいたのに……急に走って部屋に戻ったときはびっくりしたわ」
オルレアン家の人達が帰宅した、夜。
予想通り今日のことをアリアの両親二人に尋ねられた。そわそわと私の反応を覗うキオンもいる。
そうだ。アイリスとエメルに意識をとられすぎて、その時は全く視界に入らなかったけど、今日は両家の両親もその場に居た。私の奇行の理由をすぐにでも問いたかっただろうに、その場を何とか収めて今の今まで我慢していたアリアの両親二人には少し申し訳なかった。
今だって、もっと怒ってもいいはずなのに、怒るよりも心配してくれているのだから、アリアは愛されているなと思う。私とは雲泥の差だ。
……両親からの愛なんてとっくの昔に諦めたのに今更何を。私は暗くなりそうな思考を振り払った。
今からすることに良心が痛むが将来アリアが破滅して、もっと悲しむことになるよりは全然マシだろう。
私はついに覚悟を決めて口を開いた。
――子供らしく、且つアリアらしく、ワガママに。
「あの子たちと仲良くするなんて嫌よ!絶対しないから!私は友達なんていらないっ!」
「リ、リア?」
戸惑いながらキオンが私の名前を呼ぶ。目の前の両親二人も驚きつつも、何とか宥めようと言葉を紡いだ。
「アリアも友達を欲しがっていたじゃないか」
「もういらないっ!」
「一度話してみて、それから決めるのはどう?」
「嫌よっ!」
説得しようとする両親を全力で拒否する。
社会人の自我が悲鳴を上げているけど、これくらいの犠牲で済むのなら受け入れるべきだ。
私は作戦が成功する予感を感じた。
その後も攻防戦は続き、その日、先に折れたのは相手側だった。
「リア」
「……」
「リ〜ア〜」
「……」
但し、一人を除いて。あれから三日も経ったのに未だにキオンが諦めてくれない。あまりにもしつこくて、つい頷きそうになったくらいだ。
だけど私だってあそこまでしたのだから、絶対に折れるわけにはいかない。
「リアも行こうよ」
「行かない」
「二人もリアに会いたいって」
「私は嫌」
お願いだからもう諦めてほしい。最初のうちは私もそれなりに真面目に受け答えしていたけど、今ではもう聞き流している。にも関わらずこれだから忍耐力がすごい。
「何度言われても嫌なものは嫌!」
ここまで言っても納得してない表情にため息が出そうになる。だからだろうか、頭で考えるよりも先に言葉が出た。
「キオンいい加減諦めて……?」
突然、水を打ったように静かになったキオンに疑問に思いつつ振り向けば、キオンはなぜか衝撃を受けたように固まっていた。
「急にどうしたの?」
「今、ボクのことキオンって……」
「え?あ、うん?」
言われてみればそう呼んだかも。今までは意識してお兄様って呼ぶようにしてたけど、さっきのは完全に無意識だった。
でも、名前を呼んだくらいで何をそんなに驚いているのか。もしかして名前で呼んで欲しいってことかな?
「キオン?」
「…!」
「え、ちょっと!」
だからもう一度名前で呼んでみたけど、どうやら違っていたらしい。さっきよりもショックを受けたような表情で、私と逆方向へ走って行った。
一体何を間違えたのか分からない。キオンの背中を眺めながら、一人首を傾けた。
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