第2話 あまりにも非現実すぎる
広大で自然豊かな魔法の国、ルペリオン。
私が愛読していた小説『光の公女様と運命の恋』――通称『ひか恋』の舞台となっていた国の名前だ。
澄み渡る空気と、国中に広がる豊かな緑。季節ごとに姿を変えながら鮮やかに咲き誇る花たちは、人々の心に彩りを添えてくれる。
そしてこの国には魔法が存在しており、ルペリオンで生まれた者は多かれ少なかれ差はあれど皆が、魔力を持って生まれてくるのだという。
……まさか、そのルペリオンじゃないよね?
確かに、漫画や小説の中では転生や憑依といった話はありふれているけれど、まさか自分の身に起こっているだなんて正直信じられなかった。あまりにも非現実的すぎる。
「今日の髪型はどうされますか?」
「ええと、じゃあお任せで……」
未だに現実を受け入れられないまま顔を上げると、目の前の鏡には小さな少女が映っていた。真っ直ぐ見つめると、その視線がぶつかり、私の動きに合わせて少女も動く。今の自分はこの少女なのだから当然ではあるけど、なんだか不思議な気分だった。
腰まで届く深い紫色の長髪に、鮮やかなピンクの瞳。光の当たる角度によって、髪は時折青みがかって見えた。客観的に見れば可愛い……けど。なんだろう、この違和感は。胸騒ぎがするというか、妙な拒否感がある。
「アリア様、こちらでいかがでしょうか?」
私が鏡と睨み合っていると、呼びかけが耳に届いて意識を引き戻された。毛先まで綺麗に整えられた艶のある髪は、普段からしっかりと手入れされているのだろう。手で梳いてみると、サラサラと指の隙間を滑り流れていく。
「うん、大丈夫。ありがとう」
お礼を伝えると、メイドさんは目を見張った。その表情の理由が何なのか、私はすぐに理解する。
私がこの身体で目覚めたばかりの頃、彼女の顔をきちんと認識した瞬間、驚くべきことに、この少女の記憶が頭の中に流れ込んできたのだ。生まれてから今までの全て――ではなく、ほんの一部だったけど。
『この髪型は飽きたわ。別のにして』
『それも嫌!やり直して!』
今改めて思い返してみても、中々酷い。気に入らないからと何度もやり直させた末にようやく納得したかと思えば、一切お礼を言わない少女。しかもメイドさんの名前を呼ぶこともないから、彼女の名前すら分からない始末だ。そんな少女の行動に慣れたような態度を見れば、きっとこれが彼女の日常なのだろう。
到底役に立つとは思えない記憶だけど、何の情報もないよりはマシだと思いたい。どうやら私はとんだワガママ娘になってしまったようだと、重くなる頭を抱えたくなった。
……待って。
そこで、はたと気付く。私がこの身体に入ったということは、この少女――アリアは一体どこへ行ったのだろう。身体が入れ替わったというのが、一番の可能性として考えれるけど……
一瞬で想像が広がる。二十代半ばの女が、ある日突然階段から落ちたかと思いきや、目が覚めるやいなや、精神が幼くなり人格が変わる。精神病院に入れられるくらいで済むなら、まだマシかもしれない。だけど噂というのはすぐに広がるもので。それが誰かの不幸なら尚更。
『ねえ聞いた?春野さん事故に合ったって。なんでも、精神がおかしくなっちゃったみたいよ』
『ええ、私も聞いてびっくりしたわ。自分を別人だと思い込んでるらしいって……まだ若いのに可哀想ねぇ』
職場や近所で好き勝手に流れる噂話。直接聞かずとも、ある程度の想像はつく。考えれば考えるほど気が遠くなりそうだ。
「……」
眉間を抑える。私は思考を放棄することにした。
***
身だしなみを整え、強制的にドレスに着替えさせられた後、今度は朝食に向かっている。状況把握をしきれていなく、分からないことも多すぎるから何とか回避できないかと試してみたものの、普段と違う行動をとりすぎたせいか、体調不良の心配をされ、今にも医者を呼ばれそうな雰囲気だったので結局私が折れた。
せめて余計なボロは出さないようにしないと。不安な気持ちとは裏腹に、身体は自然に動くおかげでダイニングルームへは問題なく向かえた。
「おはよう、アリア」
「今日はいつもより早いわね」
「リアおはよう!」
開かれた扉の先では、既に座っていた三人が遅れた私を笑顔で迎えてくれる。記憶がなくても分かる。多分、両親と弟だろう。挨拶を返しながら自分の席に座ると、横にいる同い年くらいの男の子が声を弾ませて私に話しかけてきた。
「リア、今日楽しみだね!」
「?はい。そうですね」
一体何のことか全く分からなかったけど、否定よりは肯定的な反応の方がいいだろうと、とりあえず頷いておく。そんな私たちの向かいに座ってる両親も満足そうに微笑んだ。
メイドさんの時と同じように、記憶は徐々に頭の中に流れ込んできた。隣に座っている男の子はどうやら弟ではなく、一つ上の兄らしい。アリアよりもっと青に近い紫の髪に、桃色の瞳。兄妹なだけあって外見は似ているけど、妹であるアリアよりもお兄ちゃんの方が可愛らしい顔立ちだった。
食事をしている間にも会話は進む。いつも食器の音だけが響いていた私の家とは違うその光景を、私はぼんやり眺める。常に会話が途切れないからか、それとも誰かとこうやって食事をとったのが久しぶりだったからかは分からないけど、妙な気分だった。
「アリア、どうかしたかい?」
「……いいえ、何でもありません」
考え込んでいるうちに、いつの間にか黙り込んでしまっていたらしい。心配そうな眼差しがどこか居心地悪くて、私は無理やり口角をあげて笑った。
「ふぅ……」
何とか朝食を乗り切り部屋に戻るや否や脱力感に襲われ、ソファに倒れるように座る。物凄く疲れた、精神的に。
それにドレスも地味に辛い。初めは、ドレスなんて着る機会がないから貴重な経験だと少しワクワクしたけど、実際に着てみるとただ動きにくいだけで不便だった。普段の私なら絶対に着ないリボンとフリルが施されたドレスで歩くのも恥ずかしくて、できることなら今すぐ脱ぎたい。
「アリア様、大丈夫ですか?」
目の前に何かがそっと置かれ、陶器がテーブルに触れる微かな音が響いた。同時に、ふわりと漂ってきたのは爽やかな香り。視線を落とせば透明感のある琥珀色の液体が揺れていて、紅茶を淹れてくれたのだと気付いた。
「うん、大丈夫。……ごめんなさい。あなたの名前は?」
本当はもっと自然に知れたら良かったけど、そんな偶然がいつ来るかも分からないから私は素直に諦めて、直接聞くことにした。これからもずっと「メイドさん」や「あの……」と呼び続けるわけにもいかないし。
「シエナと申します、アリア様」
かなり失礼な質問だったにも関わらずメイドさん――改めシエナは、嫌な顔一つせずに答えてくれた。もっとも、雇用主の娘の前で嫌な顔をするわけにもいかないのだろうけど。縦社会の厳しさは私もよく分かる。
「ありがとうシエナ。……紅茶美味しいわ」
本物のアリアが戻ってくる可能性を考えると、今まで通りに振る舞うのが一番だと思う。しかし、記憶通りに行動しようとすると、私のほうが疲れてしまいそうだ。無駄に面倒を増やす必要もないし、仲が悪いよりは良好な方が何かと都合もいいはずだ。
私は紅茶を飲みながら、自分に言い聞かせるように頷く。平和な午前だった。どうして私がアリアになってしまったのかは結局分からないままだが、暫くの間はここでのんびり過ごすのも悪くないかもしれない。
……なんて思った事を訂正します。遡るは十数分前の事だ。
「アリア様、オルレアン家の方々がご到着されたようです」
「うん?」
暖かな日差しを前に眠気と戦っていた最中、ドアの向こうからノックと共に知らせが届いた。そういえば、朝にシエナも何か言っていたような気がする。寝起きだったから記憶が曖昧だ。ぼんやり記憶を辿っていると、ドアが勢いよく開いて、お兄ちゃんが入ってきた。顔は輝いていて、嬉しそうなのがよく分かる。
「リア来たって!行こう、早く早く!」
「分かったから、少し落ち着いて」
私の腕を掴んで今にも走り出しそうなお兄ちゃんを落ち着かせて、立ち上がる。無いはずのしっぽが見えるのは気の所為だろうか。前世で動物を飼ったことはないけど、散歩に行く前や喜んでいる時の犬はこんな感じなのかなと想像してみた。
少し微笑ましい気持ちのまま連れられて向かった先には、アリアと同じくらいの背丈の子供がいた。
一人は桜色の髪に、翡翠色の瞳をした少年。そしてもう一人は、プラチナブロンドの髪に新緑の瞳を輝かせた少女。お兄ちゃんに手を引かれて歩いてきた私を目にした彼女は、一瞬驚いたように目を見開いてから、とても嬉しそうに微笑んだ。
私は息を呑んで、その場に固まる。彼女から目を離すことができなかった。だってまさに、ひか恋のヒロイン、アイリスが目の前にいるのだから!
私が知っているよりも少し幼い見た目だけど、年齢以外は記憶の中の姿そのままだった。
まさかとは思っていたけど、やっぱりこの世界は私が知っているルペリオンだったらしい。驚愕する私をよそに、二人は礼儀正しく挨拶をした。
「エメル・オルレアンです。どうぞよろしく」
「アイリス・オルレアンです。お友達ができて嬉しいです!よろしくお願いします!」
可愛い!まさか幼少期のアイリスを直接見られる機会があるだなんて。どうしてこのタイミングで会えたのかは分からないけど、とにかくラッキーすぎる。もしかしたら、今まで頑張ってきたご褒美なのかもしれない。
「キオン・ウォレスです!」
「アリア・ウォレス……」
夢心地の気分でお兄ちゃんに倣って挨拶をしようとし――私は違和感の正体を知る。
漫画や小説、そして現実にも、それぞれに普段から一緒にいるメンバーというものがある。そして、ひか恋の中にもグループは存在していた。
言うならば、第一王子グループ。
第一王子グループのメンバーは、第一王子に加えて、ヒロインのアイリス、その兄エメル、そしてウォレス公爵家のキオン。また、かつて同じグループには、もう一人のメンバーが存在していた。キオンの妹であり、アイリスの親友でもあった――アリア・ウォレス公爵令嬢が。
なぜ過去形なのかって?それはアリアがアイリスに嫉妬して色々やらかした結果、最終的に滅んだからで。
「……つまり私は、そのアリアになったってこと?!」
「リア?」
心配そうにアリアの名前を呼ぶお兄ちゃんを見つめる。いや、ガン見する。今まで全く気づかなかったけど、彼の顔立ちは確かに「キオン・ウォレス」だった。
小説の中のキオンは顔は可愛いけど、口が悪くて捻くれていたから気づけなかった。こんな天使がなぜあんなに変わってしまったのか。……もしかしなくても、アリアが原因じゃないよね?
私はついに頭を抱えた。悠々と楽に過ごすはずが、まさかこんな大地雷が待ち受けていたなんて。
「あの、どうかされましたか……?」
戸惑いつつも私を気遣ってくれるアイリスはとても可愛かった。このままアイリスの手を取れたら、きっと幸せだろう。私はアイリスへにこりと笑いかけ
でもやっぱ、無理!
その場から逃げ出した。
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