第58話 神僕雇用契約


『――ええ……んー、じゃあ代表神につないでくれるぅ?――』


 エルマは画面のなかでカタカタとキーボードを叩いている。


 ――……代表権限を確認しました。ροκι様の申請を受理します。

   辞令申請:フギン及びムニンはガイア92081297時をもって〝アールクトレ〟への異動を命じる。


『――オッケェ、そんじゃロゼちゃんメモを読み上げて――』


「はっはい! えと……し、申請。われはつねにしこうし……――」


 エルマの合図で、ロゼはメモをぎゅっと胸に抱え、目をぎゅっと閉じて言葉を紡ぐ。

 ロゼの声が次第に抑揚を無くし、音を出す機械のように変わっていく。


 ――我ハ常ニ思考シ未来ヲ破壊ス。白キ眷属フギン、我ノ契約ニ応エヨ。

 ――我ハ常ニ記憶シ過去ヲ再生ス。黒キ眷属ムニン、我ノ契約ニ応エヨ。


 湖周辺のみが夕暮れを先に終わらせたように真っ暗な闇に覆われる。

 契約書に書かれた赤い文字が浮き上がり発光する。

 中央に置かれた蒼い石が赤い文字の光に反射し、偶然にもロゼの瞳と同じ濃色こきいろに明滅する。

 ロゼは頭に入れた言語をただただ口から吐いていく。


「ガチ……?」

「お、おい、エルマっ! これ、大丈夫か? ロゼは安全だよな!?」


 ルーズは初めての超常現象に小さく身震いし、デンパはロゼの身を慮る。


『眷属を召喚して、ロゼと契約をする』

『これって相手の意思とか、断られたらどうするんだろ……あ!』

『あの丸太の窪みに眷属の手を突っ込ませたあとに、皮のところに手をつけたら契約成立みたいな?』

『それってロゼに詐欺の片棒担がせようとしてるんじゃないのか……?』


 デンパが頭の中で、一つの推理を働かせていく。


『――あーっ! はあ、勘のいいマスターは眠っておいて! えーいっ!――』


「はあ? おい、エルマそれって――」


 ――ツピーーーー!


 スマホの画面からデンパに向けて光線が飛び、


「ほひぃっ!」


 デンパはホヘェな顔をしながら、その場に崩れ落ちた。


 黙っていても煩い男が気持ちよくなったところで、契約書中央部では空間が歪み始め、空気をすこむように大きな渦が発生する。

 その渦はやがて二つに分かれ、ぐるぐると回り始める。


『――ロゼ、もうすぐ出てくるから。いいかい、フギフギとムニムニがしっかりと丸太の窪みに足をつけるまで待ってから、さっき教えた言葉を叫ぶんだ――』


「……はい!」


 ロゼは強く頷き、じっと二つの渦を見つめる。

 渦の捻じれがピタリと止まると、今度は逆の方向に回り始める。

 巻き込んだ空気を吐き出すように、周囲に風が吹き荒れ始める。


「……っ?」


「大丈夫や、最悪の場合は僕が動くから……アタッ、え? いま刺すとこ?」


 ありがとうの感謝を込めて、セーレはナマズの頭に鉾をぶっ刺した。

 残念ながらナマズにはいまいち伝わっていないようだ。

 サン夫妻が一方的な突き刺し漫才をやっているうちに、二つの渦から何かが飛び出した。


 強い羽ばたきの音が鳴り、闇の中から光り輝く白い羽根とその光を受けて黒く光る黒い羽根が舞い散り、足元にふわりと落ちた。


『フフッ!? あら、ここはどこかしら……』


 月白げっぱくの羽を大きく広げ、その場で停止飛行をしたまま思案する一匹の白いからす

 その声は蠱惑的で、艷やかな大人の女性のようにロゼ達には聞こえた。


『むむっ! ……暗いな、過去にこのような呼ばれ方はなかった』


 漆黒しっこくの羽根を力強く広げ、周囲を警戒しつつも白の隣で高さを合わせて停止飛行しているのは白い烏より一回り大きな黒いからすだ。

 こちらの声は腹の底に響く低い男のものに聞こえる。


『ねえ、誰かいないの? わざわざあたし達を呼び出して、何かのお願いかしら? んー、当てようにも鍵が少ないわねぇ』


『む、白よ、足元にキラキラが落ちているぞ。この世界の宝石ではないか?』


 夜盲症やもうしょうの二匹は暗がりのなかでは視力が低下する。


『あら、綺麗ねぇ。あたし達を呼んだ子が置いていったのかしら? あたし達の言葉は理解できるようにしてるはず、よね? 謎ね、これは謎よねぇ! ふふっ考えさせられちゃうなぁ』


『む? 分からないが恐らくは我らの声は伝わっているはずだ。だが、過去にユグドラルがエラーを出したことがあった』


 白い羽根を持つフギンは、じっくりと思考するために足元のに下りていく。


 黒の羽根のムニンは、過去の事故事例を探すために一度羽ばたきを止めるため、フギンと同じく高度を下げていく。


『えっ、ちょっとやだぁ! え、なんか足が濡れたんですけどぉ!』

『むむ、止まれないぞ……。む、足が濡れた』


「あ、あの! そこにあるはあなた方に差し上げます! だから――私と契約をしてください!」


 ロゼは液体の跳ねる音を聞き、二匹の影が丸太に止まったことを見定めてから大きく願う。


『……暗いし、なんだか穴ぼこだらけの止まりにくい木を用意するなんて未知だわ。でも――』

『姿を見せずに契約とは……過去一番の無礼な奴だ。だが――』


 キラキラはもらったと、二匹は丸太の近くに散らばる石をついばみ始める。


『明るいところで見たかったわね、んー! 美味おいしっ!』

『む、無機質さがない。これと似た味を過去に味わったことがある』


 首を伸ばしても届かないところの石まで嘴を伸ばしていく。

 当然のように、足元には精霊の皮があり、二匹の足跡が石を呑み込むたびに増えていく。


『――はーい! 契約成立でっす!!――』


『えっ?』

『む?』


 エルマの声とともに、闇が晴れていく。


 夕暮れを明るく感じるほどに目が慣れていたロゼ達は、目をこらして契約書の調を終えたばかりの二匹を見つめる。


 夕焼けに輝く白い羽根のフギン、その光さえ吸収する漆黒の羽を持つムニン。

 二匹の呆けた姿でさえも、その美しさにロゼとルーズは息を呑み込むしかなかった。


『――あ、マスターを起こさないと! ナマズ、お願い――』


 デンパの電波漏れ対策のためとはいえ、これ以上ないがしろにするのはスマホAIとして沽券に関わる。


「……ええんかな、ほなビリビリを最小限で」


 エルマの指示は打ち合わせ通りである。

 とはいえ、寝起きビリビリは乱暴すぎるのではと、ナマズは遠慮がちにデンパの足首にヒゲを巻き付けて、


「……シビビビビ!? と、ととととりりり? ロロロぶぶぶ」

『エルマぁ!』


 微弱な電気を流して目覚めを誘発した。

 寝起きドッキリ、大成功! 痺れる中で、二匹の烏に驚き、ロゼは無事かと聞きたかったらしい。

 さらには一連のやり方についての不満をエルマに内心でぶつけることも忘れない。

 自分がハブられた理由は分からないが、何の説明もなく人にお見せできない顔で寝かしつけられ、寝起きはビリビリで目覚めさせられればキレていい案件である。


『え、やだ! これって――』

『む、神僕しんぼく雇用契約こようけいやくだ』


「ほむ……何事?」


 二匹の動揺のせいで、デンパはキレるタイミングを逸した。



 神僕雇用契約――


 かつて、神僕しんぼくを使った非神道ひじんどう的な行為が横行したことにより、生者であった神僕たちが与えられたギフトを利用し、神々に反乱を起こしたことがあった。

 神々と神僕たちの血で血を洗濯し、お肉を天日干しにする悲惨な泥沼の戦いの果てに、世界滅亡の危機にまで陥った。

 そのあと色々とあって、ギリギリセーフになった神々は超反省した。


 そして現代では雇用できる神僕は死者の魂のみに限定し、神僕サイドも雇用している神に対して意見や権利が主張できるようなホワイトな世界になったとさ。


『……エルマの説明、途中で飽きて適当に話す説』


 デンパが理解をできたのは神僕雇用契約についてなのか、エルマの性格についてなのか。


『む、過去への冒涜……』


 ムニンがうなり、


『まー間違ってはいないわねえ。それで、あたし達はこの子の神僕になっちゃったってことかしら? これからどうなるのかしらね、ふふっ』


 フギンが笑う。


「……えと、ごめんなさい」


 ロゼは相変わらず謝るだけだ。


『あら、謝る必要はないわよ。主ちゃんはなぁんにも知らないみたいだし』

『過去をかえりみて、悪辣かつ違法な契約ではあるが、もうすでに我らは契約を成した』


 今のホワイトな神僕雇用契約の場合、


1、神僕雇用契約を行う場合、下記の条件を合意のうえで定めること。

 ・雇用契約の期間。

 ・有期雇用契約の場合は、契約更新の有無や更新するかどうかの判断基準。

 ・就業時間。

 ・休日。

 ・ギフトの授与。

2、神僕は死者の魂でなければならない。

3、神僕に与えられるギフトは1つだけとする。

4、神僕に不利な契約をしてはならない。

5、神僕の意思に反する命令をしてはならない。


 ……等々。

 神僕の権利はしっかりと守られているのだが、


『――無期雇用、雇用主が呼んだら応える時間が就業で、休日も雇用主の気分次第。ギフトなんてロゼは持ってないから自前になるけど、フギフギもムニムニもよろしくねぇ――』


 ごっりごりのブラックな臭いしかしない文言がびっしりと定められている。


『むむっ! この気の抜けたような声、過去に聞いたことがあるな、その名前は――カーッ! む?』

『あら、そこの無表情の子が持ってる……すまほ、この世界ではまだ無いものから聞こえる声は――クエーっ? って、やだぁ縛られてるじゃない。こんなこと初めてだわ』


 二匹の言葉が烏の鳴き声に変わる。


『……烏なのに、エロい』

「あれ? 俺っちの目、おかしくなったすか? めちゃんこエッチぃお姉さんを幻視したっす」

「……デンパさん、やっぱり」


 フギンの蠱惑的な声で『縛る』とか『は、じ、め、て!』と言ったせいで、男子2名の中で妄想が捗り、ロゼの瞳に陰りが宿ってしまったが、もちろん物理的な縛りではない。

 契約書の文言もんごん内にエルマに関する守秘義務しゅひぎむが定められている、という意味での縛りだ。


『――契約条項は神々の力によって必ず守られる、だよぉ――』


 エルマは指を口元にやって、しーっとポーズを取る。

 悪戯大成功という感じだが、当事者からすると悪質な契約書であった。

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デンパがとぶ ~異世界に飛ばされた俺、電波ダダ漏れらしいけど可愛い女の子とイチャイチャできて幸せです~ yatacrow @chorichoristar

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