第57話 なんか失敗したっぽい

 ――逢魔おうまとき


 夜行性の魔物が目覚めて顔を洗い始める頃でもあり、光の神から闇の神に管理が移る時間でもある。


 凍った湖一面から発する冷気により、デンパとロゼが頭と体を冷やして冷静になったところで、エルマがテキパキと説明をし、デンパはルーズの治療とセーレのお守りを、ロゼはエルマから渡されたメモを渡され一生懸命にそらんじている。


 氷のキャンパスには、ナマズ・ダ・サンの皮が広げられ、中央部分を除いて赤く小さな文字がびっしりと書き殴られている。

 ところどころ穴が空いているのはセーレの愛の残りである。


「エルマくーん、の丸太はどこに置くんすかー?」


『――ああ、ええっと〝契約書〟の真ん中に置いてもらえるぅ? うん、その辺で。あとは窪みにアーマーベアの血をたっぷり入れて、丸太の近くに宝石をばらまいて……オッケー!――』


 我に返ったあとのルーズは、さくっとエルマ、ナマズ・ダ・サン達に馴染んでいた。

 ロゼ、デンパは冷静になったあとも、お互いに距離感を計りながら会話をしていたことを考えれば恐るべきコミュニケーション能力の高さである。


「あー、さみぃっす。んでぇ、このあとはどうするんすか?」


 ルーズは血文字を踏まないように、気をつけながら浅瀬まで戻ってきた。


 舞台はサン夫妻の合作。

 素材提供は精霊の皮はナマズが、それ以外の丸太の調達、窪み作り、皮に文字を書くための筆の素材集めなどはルーズが行い、結果として当事者のロゼ、仲間のデンパは偽アイセリアンの一部を頑張っただけである。

 自重しない他力、ここに極まる。


『――そろそろ良い時間だし、始めようかなぁ。ロゼちゃんも準備はいいかい?――』


「われはつ、つねに……えっ!? あ、はい。大丈夫です、暗記しました」


 エルマからはメモは見ながらでもいいとは言われていたが、真面目なロゼがそのまま受け取るわけもなく。しっかりとメモは記憶している。


「なあ、カミさん達が忙しい時間にやるのやめへん? 僕、さっきまで神使しんしと一緒におったし、なんだか気まずいなぁ。さあ嫁ちゃんもこっちに……」


『――だからこそだよぉ――』


「……えぇ」


 確信犯のエルマの言に若干引きながらも、ナマズ・ダ・サンはデンパの反応を楽しむセーレをヒゲで捕まえて頭上の移動させる。


「ッ!? ~~! ~~!!」


「アタッ! 嫁ちゃん、準備終わったから離れとこ……アタタ! 毎度のことながらかなわんなぁ」


 セーレは、デンパの心から漏れ出る『見えそう……あ、いや』『くぅ、すまないロゼ。目をつぶるしか俺に逃れるすべは……』だのと、自分が動くたびに出てくる不思議な反応を楽しんでいたので、ナマズにいきなり邪魔されてご機嫌ななめの解消として鉾を振り回している。


「嫁ちゃん、ごめんて! あとでまた話す機会もあるから、ね? 向こうから見てよ?」


 ナマズはセーレをなだめながら〝契約書〟の置かれた分厚い氷が張られた場所から遠ざかるように、薄氷を割りながら湖中央へと泳いでいく。


 最後に「はあ……」とセーレから解放された途端にため息をついたデンパだが、その内心は、


『良かった……俺は耐えきった!』

『ロゼ、俺は頑張った……!』

『俺はロゼ推しだから!』


 ロゼに誤解されないように必死だった。

 ロゼは覚えるに必死でデンパを見てもいなかった。


「あのぉ、エルマくん? その、デンくんって、なんというか心の声が……」


『――あ、うん。本人に教えるのはおも……可哀想だから内緒だからねぇ――』


「……っす! 」


 相変わらずアクセントがチャラいルーズだが、この数時間のなかでしっかりとエルマ、ナマズと打ち解け、デンパの秘密を聞けるぐらいの関係性を築いている。


 数時間もデンパの近くで行動していれば、薄々うすうすどころか濃々こゆこゆでデンパの心の電波が漏れていることには気づく。作業で忙しかったこともあり、やっと答え合わせのタイミングが出来たところだ。


 もはや宙に浮いたまま指示出しをしているスマホの異常さには誰もツッコまない。木を隠すなら森に、異常さを隠すならより大きな異常の中へ。


 日が沈み始め、しんと冷えた空気が漂うなか、ロゼが恐るおそる凍った湖面に近づいていく。


『――それじゃ、ボクが合図したらメモを読んでねぇ。それで丸太辺りに何かが現れたら全力で叫んでねぇ――』


「は、はいっ!」


 ロゼの元気な声が静寂を破る。


「ロゼもいいお返事! じゃなくてさ、俺だけ? 何をするのか分かっていないんだけど……」


「えっ?」

「ガチっすか!?」

「……君、ほんまか?」


 三者三様にデンパを見る。


『――あ、マスターにだけ説明してないかも……ごめんね――』


 マスターの定義とは。

 すごくざっくりとした説明をすると、神の眷属を召喚してロゼを守ってもらう契約をしようという話だそうだ。

 ロゼは主役だからもちろん説明済み、サン夫妻とルーズも色々と準備をしてもらうために説明済みで、自分のあるじであるデンパへの報連相はすっかり忘れていたらしい。


「……別にいいんだけど。ロゼに危険なことがなければそれでいいんだけど。俺もさ、ここに来るまでに覚悟決めたり、気合入れたりしてて……いや結局は皆にやってもらって俺は何もできていないんだけど」


 デンパはいじけてしまった。


「で、でも! デンパさんがいなければエルマさんの協力はないですし、それに私もこんなに変わりたいって……、強くなりたいって思ったのもデンパさんのおかげです。だから――」


 ロゼはしょげるデンパに駆け寄って、袖を引き、


「……ぜんぶ、貴方のおかげです」


 背が低いため天然の上目遣いとともに、デンパを見つめた。


「そ、そうかな……?」


 ――そんなわけない。

 ちょっと放置しすぎたと反省するAI、察しが良すぎて気を使ったチャラ男、甘酸っぱいやり取りが好きな夫妻、全員それぞれの事情により言葉を呑み込んだ。


「はい、そうです」


「ロゼ……」


 お互いの距離が急速に近づき、ロゼの持つ手は袖からデンパの手に移り、デンパは空いた手を所在なげにロゼの背中辺りで彷徨わせつつも、数センチの距離が数ミリにまで近づけていく。


『――はーい、始めまーす。【アクセス】コード:ユグドラル――』


「あ、ごめんなさい。デンパさん、私がんばります!」

「お、おお! がんばれ、俺が応援してるっ!」


 ぱっと離れた二人。

 そのままロゼは定位置に戻り、デンパはその場でロゼの背中を見守っている。


「……え、エルマ君、分かっててやっとるやろぉ?」


 ナマズが残念そうな声を出した。


『――だって時間になったからさぁ。スマホは時間に正確じゃないとだめだからねぇ――』


 よく分からない理屈を前にナマズは不満そうに湖の中に顔半分を沈めた。


 ――アクセスを確認しました。パスワードをどうぞ。


「え?」

「ん? どこからか声がするっすよ!?」

「えっ!? 俺だけ聞こえないんだけどっ!? いやエルマの声は聞こえるけど、何語か分からない」


 ロゼ、ルーズ、デンパの順に周囲をきょろきょろと見回すが、一人だけ蚊帳かやの外がいる。

 エルマが音声設定を間違えているせいで、デンパは周りの反応についていけない子になった。


『――はい、お静かにぃ。【パスワード】ξδδαスィーダ――』


 ――パスワードを確認しました。ροκι様、ご命令をどうぞ。


『――ええっとぉ、先輩んとこのフギフギとムニムニをコッチの手伝いで呼んでほしいんだけどぉ?――』


 ――先輩、フギフギ、ムニムニ……該当なし。

 ――……類似単語を推測、該当あり。

 ――異動の申請権限がありません。


『――あれぇ?――』


 なんか失敗したっぽい空気が流れ始めた。

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