第56話 ラッキー上四方固め

「なんやお仲間かいな? まあええ、とりあえず嫁ちゃん、僕の皮を僕に渡しぃ……って変な会話やな」


 ナマズの目は左右についているだけあって視野が広い。

 軽薄そうな男はさておき、手前にいる女の子が心配そうな顔をしながら、こちらに向かって駆け出している。

 ナマズはセーレから皮を受け取ろうとヒゲを伸ばすが、セーレは体をよじってヒゲから逃げる。


「嫁ちゃん、はよ渡しぃ。もう浅瀬やし、落ちたら怪我するで」


 ナマズ・ダ・サンは陸にも上がることができるが、セーレの活動範囲は湖の周辺までが限界だ。セーレが地面に落ちてしまわないか気が気でない。


「っ! っ!!」


「え? 自分で渡したいって? あかん、僕が渡すから嫁ちゃんは大人しくしとき……って言うてるそばから暴れんとって! 危ないで、落ちてまうで……ああッ!」


 セーレは皮を自分が渡すと言ってきかない。

 ナマズのヒゲを仰け反って躱したり、頭上を左右に転がりながら抵抗を見せる。

 ナマズ・ダ・サンの頭が広いといっても、があって滑りやすい場所で暴れれば、頭上に乗り慣れているセーレもずるりと滑り、デンパの方へ落ちる。


 湖の浅瀬まで身を乗り出していたナマズの頭の下は、水よりも砂地に近い。

 落ちれば怪我は免れないだろう。


「っ!?」


『――マスターッ! 両手を前に出して、身体強化して!――』


「んえ!? こうか? って、おも……腕痛ぁ!! ずべぇ」


 最早どっちがマスターか分からないが、エルマの指示により、デンパがセーレをナイスキャッチ……とはならず、支える腕ごと前に倒れ込んだ。


 デンパの腕が差し込まれたおかげで、セーレは無傷だ。

 デンパのなかの心の紳士が『重い』と言わなかったこともポイントは高い。

 ただその代償として、デンパは浅瀬……つまり水分だらけの砂地に両手を伸ばしたまま倒れた形になる。


「~~~っ」


 セーレ感謝の抱きつき。デンパが仰向けであればラッキー上四方固かみしほうがためだが、うつ伏せのため後頭部に柔らかいものが押し付けられて動けない。


『顔がひりひり、頭はぽよぽよ……』

『水が冷たい、頭はひんやり柔らかい』

『……水がシャツに、パンツに染みる』


「嫁ちゃんっ! ほらぁ言わんこっちゃない。デンパ君もエルマ君もありがとう。ほら嫁ちゃんもそろそろ離れて」


 ナマズが咄嗟の指示を出したエルマとうつ伏せのデンパにお礼を述べ、ヒゲを使ってセーレの回収を試みる。


「~~♪」


 セーレは体を起こして、デンパの頭を撫でる。

 彼女なりのお礼であるが、デンパとしては早くどいてもらいたいという思いが勝って素直に喜べない。


 さて、巨大なナマズのヒゲが全裸の美女を捕まえようと追いかけ、その結果、美女は下に落ちた。

 あわや大怪我かというところを、デンパが腕を伸ばしてお姫様抱っこで受け止めた……ところまでを視認した者がいる。

 その後、裸の美女が眩しい笑顔を見せて熱い抱擁をデンパにプレゼントしている……ように見えてしまった者がいる。

 人は自分の見たくないものでも、信じたくないものでも思い込みにより視覚化することがある。


「……そんな、デンパさん」


 自分がデンパに何かを思うことは筋違いであることは分かっている。

 デンパが誰と抱き合って、誰と好き合うことになっても自分がどうこう言える権利はない。

 ない、のだが。


(なんだかもやもやする。なんか嫌だなって……自分が思っちゃだめだけど)


 ロゼの瞳から光が消え、瞳孔が次第に小さくなっていく。

 誰がどうみたって、両手を前に伸ばしてずべしゃーっと大転おおごけした男と、その伸ばした両の腕を下敷きにしている人魚という光景なのだが、ロゼの脳内ではデンパが美女をお姫様抱っこしながらくるくると回っている光景に修正されているのだ。


「なんや、お嬢ちゃんどうしたんや? エルマくん、この子はさっき話してた子ぉよね?」


『――ええっとぉ、そうなんだけど。何をどうしたら、下敷きにされたマスターを見て嫉妬できるのか分からないし、たぶん本人も自覚がないだけに余計にややこしいなぁって――』


「ほーん、そうなんや。ほならお嬢ちゃんに続いてこっちに来とる子が来たら……ややこしさが」


『――あはは……増えそうだねぇ――』


 ナマズはエルマからデンパとロゼの拗れた人間関係から先を推測した。


「とりあえず嫁ちゃんを回収しておこ……。ほら、君もいつまで寝てるん? しゃきっとせんと」


 セーレを頭上に戻したあと、ナマズはヒゲを使ってデンパの体を起こした。


「いや、足は痺れてるし、腕も痺れ始めてるしでそんなすぐには起きれませ……って、ロゼぇッ!?」


 振り向けばロゼがいた。

 表情筋の死んでいるデンパが口を無理やり開け、目を見開いたまま固まった。


『久しぶりに見たロゼが美しすぎて』

『幻覚……いや幻覚でもいい』

『何年ぶりだろうか』


 ほんの1、2時間ほど前ぶりである。

 そして、


「おーい、俺っちを置いて行かないでくださいっすー! って、お嬢はどうしたんすか? ちょいちょい? お嬢?」


 ロゼを追いかけてきたスタイリッシュなイケメンが、馴れ馴れしくもロゼの肩を触っている。


『え?』

『……うそ、だろ』

『いや、でも別にロゼにがいたっておかしくはない、か』

『凹むヘコむへこむへこ凹ヘコ、へこ……』


 デンパの瞳からも急速に光が失われていく。

 次第に下がる肩、曲がる背中、視線は地面に固定される。


「エルマくんの話、正直全部は信じてなかってんけど、ほんまなんやな」


『――スマホAIは嘘つかないんだよぉ――』


 予想どおり落ち込んでいくデンパを見て、ナマズとエルマは声を潜めて話す。


「デンくーん、探したんす、よ……ってデッケーまも――守り神様ッ!?」


 チャラ男ことルーズがデンパに近づけば、自然とナマズの大きさに気づく。

 魔物と言いそうになったところで、ナマズのヒゲがピクリと動いたのをルーズは見逃さず、一瞬の逡巡の刹那の閃きで神と言い換えた。


「どうもー、僕はね、この辺りの管理をしとる精霊のナマズ・ダ・サンと言います。ほんで頭の上で暴れてるんは僕の嫁ちゃんでセーレ・メルクル・サンや。あ、変な目で見たらビリビリやからねぇ」


 セーレは駄々をこねるワガママっ子のように、拘束を嫌がっている。

 なお、我がままに暴れる二つの乳房には霧がかかっていてよく見えない。


「へー、ナマズの旦那さんにセーレの姐御っすね。精霊様って本当にいるんすねぇ、伝説の存在にお目にかかれてガチびびってるっす。えと、俺っちはルーズ・バトラーデっす。あ、今は冒険者をやってるんで、ただのルーズっすけど一応きちんと挨拶させてもらいまっす!」


 姿勢を正して綺麗にお辞儀をしたあとは、いつものチャラいルーズに戻っているが、背中に冷たい汗を流している辺り、内心がどうなのか不明である。


『――……とりあえず、ナマズはその皮を広げる場所の準備してくれる? んで、ルーズはボクの言う素材を集めてきて――』


「んええ!? 喋る聖遺物ッ! 精霊様を呼び捨てッ!? というか浮いてるッ‼? というかごくごく自然な流れで俺っちに指示してるぅ‼‼⁉」


『――あ、ボクはエルマだよ、よろしくねぇ。それで素材なんだけど、まずは……――』


「あ、よろしくっす。じゃなくて、頭が追いつかないから説明を……アッ、ハイ、ヤリマス」


 スマホから発する謎の電波により、ルーズは考えるのを止めてそこかしこに落ちている枝や小石を拾い始めた。


「エルマ君、ごっつい事しとるね! 僕も久しぶりにヒトと絡めたと思ぉてたけど、目ェの光のないヒトたちばかりは流石に堪忍かんにんしてほしい」


『――うん。固まってる二人は準備するうちに気づくだろうし、ルーズは……うん、なんだか雑に扱ってもいい気がするんだよぉ。いやー、もう少し時間がかかるかなぁって思ってたロゼ強化イベントが前倒しでできてボクは嬉しいよ――』


 画面内で満足そうにしているエルマ。

 高位魔獣よりも効果が見込める精霊の皮、魔獣の血、皮を広げることができる場所、手際の良さそうな助手が揃った奇跡にテンションが上がっているようだ。


 このあと、ナマズがセーレをなだめて湖を凍らせて一面に皮を広げ、ルーズがその皮に文字を書くための筆を用意し、さらにはエルマの指示する文字をルーズが書き上げた結果として彼の足が凍傷になるなど色々とあったが割愛する。


「俺っちの扱いひどくないっすか!?」


 準備を終え、エルマの電波から解放されたルーズが足の痒みを訴えたときの言葉だ。

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