第099話 弱者の抵抗/限られた選択(9)

 、まずデヒテラに圧し掛かったのは、


 ここは、可能性あらゆるが限定されていて、暗がりへと続く一本道ルートしか用意されていない。窮屈きゅうくつが過ぎて、ただそれだけで圧壊してしまいそう。


 深い森。ざわめくものは、牢獄の覆いと囲いを形成する植生みどり。密集しつつも、大いに広がる千枝万葉えだはたち。ここには、他なる息吹が存在しない。


 虫のささやきも、鳥のさえずりも、獣の息づかいも、すべて等しく排除の対象だ。


 連綿と継がれてきた血統の末裔すえに巣くった霊樹の庭。いまだ王の法理がおよばない


 余分な異物いらないものが、立ち入る隙間など存在しない。生命を育む豊穣ほうじょうでありながら、寛容などとは無縁。


 ならば、――少女は、少年は。罪過つみ猟犬いぬは、いったい如何いかなる意図で胎内はらに招かれたのか。


 さわさわ、ごわごわ、……きょろ、きょろり。


「っ!」


 さんざめく緑。隙間を縫うように、蠢くもの。。夢と現の境界にある胡乱うろん。少女の視界に映るもの、すべての大樹に


 樹皮のまぶたを裂くように。傷口を指で押し広げるように。うっすらと開かれた


 ゆらゆら泳ぎ、標的こちらを見ている。罪過つみを見ている。生贄にえを見ている。


 ジョンが子らを、そっと地に降ろす。じゃらり、じゃらじゃら。鎖の拘束を解く。少女と気を失った少年とを一瞥した。


「巻き込むつもりはなかった、


 それは、弁解なのか、感想なのか。独り言めいて、森へと溶けていく。


「けれど、


 何を言っているのか、少女には、わからない。わかるように示してくれないから。ディアドラは核心を語らず、ジョンは自身の


 理解できるのは、この森を発現させたのがディアドラで、――彼女の最愛の人を殺め、なおかつ亡骸を損壊したというジョンの異常な自白は、憎しみではなく、でもって受け止められていたということ。


 そして、予感がある。この先には、多分、救いはない。望みはない。泡沫うたかたの救い、差し伸べられたの、見るべきではない深層があばかれてしまう。


 ジョンは、もはや逃げない。逃げる必要はない。


 災厄かのじょの伴侶の亡骸を破壊することでしか、


 災厄あなた


 いまこのときというのは、想定外。


 しかし、僥倖と言えた。賜された試練これは、確かに何物にも代えがたい望外の褒美。


 から離れた一片ひとひらの貴女。崩壊かいほうと引き換えにもたらされた、この奇跡。と呼ばれた以上、拝領する他に道はない。


 ジョンは、子らを置いて、災厄もりの発生源、――主人ディアドラの下へと参じるため歩み出す。確かに。速やかに。決断的に。


 一瞬、付いていくべきかを迷うデヒテラ。


 しかし、ぐるりと囲むの瞳がジョンをじぃっ、と追跡していた。


 朱くて朱い綺麗な瞳。静寂をこそ旨とする処刑人ディアドラには、あり得ない欲望ものに濡れていた。


 なぜ、どうして。そんなにも、……生贄えさを見るような。


 ほどなくして、遠くで始まったは、あまり一方的。仮にも闘争という表現が思い浮かんだことに対して、情動を麻痺させたデヒテラは感心した。


 、弱い人を虐めるだけの弱虫なのかと思ったけど、ちゃんと強かったんだ。


 魔女の森。いまは、魔女へと堕ちた裁きの神域。祝福のろいの霊樹が。地に根を張った立柱みき、空に蓋する別たれた支柱えだ、――悲嘆なげきこそは、この殿を駆動する根本原因。


 弱者の悲嘆いたみが量産される王国せかいにおいて、……この神理ことわりは、規格うつわの限界をはるかに超えて、肥大した真価なかみを剥き出しにする。


 狂乱する大樹の群れ。が腕を大いに打ち振るう。


 大樹の幹が、細枝みたいにしなって、――矮小な個体ひとりめがけ、石火と弾けてほとばしる。


 罪には罰を。悪には裁きを。、――


 打擲うちすえ破砕こわして粉砕こなごなに。


 激震ふるえて震撼おそれて撼天動地めちゃくちゃに。


 容赦など微塵みじんもない。連なり続くは、過剰破壊。森を構築する大質量が、瀑布ばくふのように墜落する。


 みずからの領地とちに、みずからの樹影てのひらを深々と刻印する。打ちつける衝撃が過ぎて、裂けては折れる大樹ものすらあったけれど、その程度の自壊などお構いなし。


 直撃すれば、只の人など


 しかし、ジョンは、ねずみよろしく即死はかい即死はかいの隙間に潜り込む。微かな生を辿っていく。


 まばたき一つの停滞、髪一重の位置取りで死が確定する。


 刹那と刹那の狭間ごとにせい不可の判定を潜り抜け、わずかな未来さきへと可能性いのちつないでいく。


 これこそ/まさしく。


 たたえるべき偉業/無価値な抵抗。


 これを仮に生存競争たたかいとするならば。、一方的になぶられるだけだ。ながらえているだけでは、意味がない。


 しかし、対峙する相手は、地形フィールドだ。剣を突き刺せば、それで済む個体オブジェクトではない。

 

 尽きも果ても見えない、あるのかどうかすら分からない群体植生やおよろずこそが、この災厄を象徴する脅威。


 


 ジョンがその身に持ち得る手札は、見せている限りで、子どもを捕らえた鎖のみ。挑むというのなら、元より個人が携行できる武装でこの森すべてをどう絶やす?


 なるほど、この試練において即死しないだけの身のこなしは、大したものだ。おそらく人という生物けものの性能限界、その彼岸きわに手を掛けている。あるいは、この一点をもって人間離れしていると評する者もいるだろう。


 だが、結局のところ彼は、只の人。


 。一心に鍛えただけの戦士。かつて猟犬と称された、戦う者だ。


 この深淵くらがり豊穣みどりを。規模スケールを違えた莫大な生命活動を。いったい如何にして踏破する?


 そして、――早くも群体は、


 外見を処刑人につくろっているときは、まだしも。、彼女は、本来、


 大振りの樹枝うででは、隙間を見つけて逃げられる。まとが小さいのだ。羽虫を潰すのに角材を振り回すようなもの。


 いつかは、潰せるだろうが効率的でも効果的ではない。元より、生き汚さこそ、かの獣の真価。。そういう性質は、に残っている。


 ここにある自己意識ディアドラは、かつて、曖昧あいまい散逸さんいつ悪性やつへの憎悪を端緒に模造品できそこない


 、――だけは、きちんと残っている。


 現状を継続するなら、おそらく日暮れどころか、明日の夜明けを迎えそう。そんな欠伸あくびが出る長閑のどかにひたるなど馬鹿らしい。時を置けば、――


 。対処としては、ただそれだけで事は足りる。


 破裂するように枝から枝が生まれていく。


 繰り返される分裂と増殖。芽吹いて生えたばかりの和毛にこごみたいな白木。色の薄い蚯蚓みみずのよう。


 のたくる線状植生いとみみずが、怒涛の数を揃えて


 あっという間に半球つりがね状のとばりと化す。空間を執拗に埋める繊維の円蓋ドームに逃げ込む


 離れて見詰める少女デヒテラの瞳からジョンの姿が遮られる。呑まれていく。暗がりへ沈んでいく。


 だというのに、――軌跡が走る。群生蚯蚓みみずどもの暗がりに描かれる白々しらじら。疾く、鋭く、息を呑むほど綺麗な線状ライン千々ばらばらと裂けて、切開される隙間。


 外套に隠していた剣を抜いた獣。易々と、の境界を潜り抜ける。


 なんて、――そう都合よくはいかない。


 とばりを越える最中、群体もりは、しっかりと抵抗の可能性きぼうを捕らえる。ぐしゃ。肉と骨が圧搾される。飛沫しぶく朱に白い帷が濡れる。、連れ戻そうとうごめく。


 すぱん。。ジョンは、握った片刃の剣で。迷いなど一切ない。もって、、即死の危機を離脱。


 剣は口に咥える。両手ならびに左足の三肢にて。目を疑うほどの機動性。


 手負いの獣は、なお追いすがる捕食のから生の継続する。活動時間を捥ぎ取り続ける。


 第一はじまりの試練は、無傷。第二つづきの試練で、右足と多くの血を。ならば、みっつよっついつつ、……継続される艱難かんなん辛苦しんくで身体が損壊し、欠損していくのは、仕方のないこと。


 都合、七つの苦難しれんを越えて、なお。その抵抗こそが、すなわちが示した紛れもない。限られた選択の中、成し遂げられた掛値のないだ。


 抵抗きせきの果てにあったのは、――四肢のない這虫いもむし。讃えるが良い。この敢闘かんとうの終点を。強者に抗うの姿を。


 あと一撃。手足がないうごけない以上、それで結末が確定する。災厄にとっては、指一本を動かすほどのこともない労力で、ジョンの命は終わる。


 ――


 巨大なるに精一杯あらがい、挑戦の果てに死す。


 罪には、罰を。悪には、報いを。


 復讐しかしえこそが、此の神理ことわりの根底。


 みずからよりも弱いものをなぶり、あざけり、うばってきた。ならば、――とは、これで終わりであるはずがない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る