第092話 弱者の抵抗/限られた選択(2)

 小さな男の子と女の子。大きな瞳をまん丸に見開き、とあるものを仰ぎ見ていた。


 山間の寒村に住んでいた子どもたちにとって、見たこともない規模の構造物。


 砂色の切石を積み上げて佇立ちょりつする壁。


 壁。壁。どこまでも、壁。


 村落とは、規模のことなる共同体みんなの生活領域、ぐるりとかこんで、かなたまで。


 積層された労苦れきしを、おもう。ついやされた人の力と時の永さを。


 汗を流し、息を切らせた者、かれらの故郷の人を総出にしても、とうてい足らない。


 いまの姿が形となるまで経過した時間、かれらのはじまったばかりの人生では、比較する尺度ものさしがない。


 弱い共同体みんなが、営々と築き上げた、恐怖おそれを拒絶するの具現。外なる災厄をこばみ、高みから見おろすもの。


 すなわち、―—の市壁ならびに大門という防衛設備だった。


「すごい」「おっきい」


 少年ルグ少女デヒテラの感嘆。ごつごつとした地肌で受け止めた積石の壁。高さは、大人の身長にして、五、六人分くらいはあるだろうか。


 口を開けた大門の奥行きも、長い。馬車が三台ほど縦列にならんでも、すっぽりとその影に収まっている。


 そこを通るのは、多くが、さまざまな商材をたずさえた商人たちだ。


 一方で、周辺の村落からやってきたと思しき者も。背負子に野菜を積んだ農民やら、鳥獣、毛皮の類をたずさえた狩人らしき姿が、ちらほら見える。


「ここが《風の寄る辺》。私たちが、いまを借りている都市よ」


 せわしない活況にあふれる人々の列。それをはたからながめ、ディアドラが子どもたちへ静かに告げる。


 あいかわらず、からす頭の被りものに黒衣という出で立ち。


 だから、からは、ちらほらと好奇のまなざしが向けられている。あるいは、大道芸人だとでも思われているのか。


 一方で、彼女が門衛たちは、つとめて目を逸らしていた。


 その不吉を無視したいのに、無いものとしたいのに、意識せざるを得ない。葛藤かっとうが、異常な緊張となってあらわれていた。


 いずれにしても、ディアドラは、気にした風もないが。


、ですか?」


 デヒテラのおずおずとした問い。す、とディアドラが人差し指を水平に向けた。


 大門から継ぎ目なく存立する市壁。それに沿って、すこし視線を動かすと、――幅ひろい空堀があった。ぶ厚く盛られた堤防のような土塁どるいがあった。


 二重の防御設備でかこわれた、広大な一画が見えた。


 土壁の頂部には、さらに先端をするどく尖らせた丸太が整然とならぶ。


 空堀は、うっかり転落すれば、骨折してもおかしくないほど深い。仮に、けがをしなくとも、落ちれば、大人でもはい上がるのに一苦労といったところ。


 また、一定の間隔で木造の監視塔まで配置されている。そこから守備兵がじろりと周囲を見下ろしていた。


 小さな子どもの視点では、その全体像、たしかに見通すことはできなかった。


 けれど、―—もし、空を飛ぶ鳥の視座を得ることができたなら。


 内側に整然とならんで建つ木造の兵舎、備蓄庫、厩舎、工房、炊事場やら浴場やら……といった施設がのぞけたことだろう。


 これも子どもたちの故郷など比べるべくもない。もはや一つのと称しても過言ではなかった。


 ジョンの傭兵隊の兵総数、ルグもデヒテラは知らない。けれど、数百人ではきかないということは、うすうす察している。


 なるほど、それだけの人々が生活しようというのだ。


 ともなれば、こうなってしまうこともあるのだろう。そう理解しても畏怖いふは、おさえようもない。


「……すごく立派な集落ですね」


 あまたの、きっと千を超える兵を従えるという、ふわふわした夢物語にも似た話。


 おさない子どもには、実感のうすかったそれ。一気に現実の重みとして示されたような心地だった。


 落差に、眩暈めまいがする。身震みぶるいする。恐怖おそれをみつめる。


 ルグおれは/デヒテラわたしは、そういう悪性ちからに抵抗したのだと。


「もうここには、長くいるんですか?」


「そうね。以前この都市にたかっていたのが、四ヶ月ほど前。


 そこから入れ替わりでのだけれど。だいたい一月程度でこの有様になっていたわ」


「一月で、ですか……」「そんなに短い時間で?」


「野戦築城、――ようするに、戦場で簡易の砦をつくる技能をこの隊の連中は教え込まれている上、


 この都市の連中も、はやく追い出すための算段を立てないと、どこまでも居座られることになると思うのだけれど」


 ディアドラの声には、およそ感情や抑揚というものが欠けている。けれど、


 この短い付き合いでもわかっているのだが、しかし、意図が読みづらいことがある。


「ええと、……ディアドラ様は、ここに住むのがお嫌、なんですか?」


 デヒテラの問い。小首をかしげる少女のうごきに合わせて、金砂の髪が流れる。日向のかがやきを映して、照り返る。冠にも似た、真っ白な反射光きらめき


 きよらかな、いとけなさ。


 つられるように、ディアドラは、なにかを言葉にしようとして、……しかし、思いとどまり、別の不実ことば不義りゆうを口にした。


「―—そうね、連中へいたいは、奪うから」


 兵隊とは、生産者ではない。


 かたい大地をたがやし、うつりかわる空の模様をあおいで、額に汗しながら、かてをつくり育てる者ではない。


 長い旅路を歩み、かてを遠く広くへとあきなう者でもない。より多く、より確かに、かてを得るための鉄器どうぐを鍛える者でもない。


 人が営みを継続するための、熱量かてを生み出す生産循環サイクルに関わる者ではないのだ。


 みずから生み出せない以上、ほかのだれかが生み出したものを獲得する他ないだろう。でないと、せっかく育てたを維持できない。


 熱量カロリーが欠乏してしまったら、……暴力ちからを振るえないではないか。


 ならば、かては、のがいちばん簡単だ。


 なにせ、かれらは、暴力ちからを信仰し、暴力ちからの下に集い、みずからも暴力ちからそのものとなることを願った共同体。


 みずからが信じる悪性ものに懸けて、ひれ伏す弱者ものからかてを収奪するのは、理にかなっていて、教条おしえという観点からもふさわしい。


「この大きな都市からも、なにかをいただいているんですか」


 奪っている、とも。あるいは、、とも言わない。少女に非難の意図はない。


 だが、ある種の人間にとっては、弱者からのそんな婉曲で控えめな言葉こそが、むしろするどい棘となりえる。


 はたして、この処刑人にとって、どうだったのか。


 デヒテラが見上げるディアドラのからす頭。そこから、ただ二つだけのぞく宝玉ひとみ。澄んだ湖面の蒼、わずかに揺らいだように思われた。


「――ええ、この都市が加減はしているでしょうけれど、痛みを伴うほどには容赦なく、金をしぼり取っているはず」


 処刑人の応え。子どもには、冬の夕暮れみたいに、くらくて、つめたい。


 貧しさゆえに売られた身としては、他人事などと思えなかった。ものさびしくて、かなしかった。


 つまるところ、少女は、みずからが苦境にあってなお、他者だれかへの哀れみを棄てていなかった。


「そんなにお金って、必要なんですか」


 ぽつり、とデヒテラがつぶやく。


「兵隊を養うには、金がかかる。


 ここの連中は、月払いで定額の報酬を約束されているし、食事に装備に馬にその餌も、他にもいろいろとあるでしょうけれど。積み上げれば、の大層な額になるはずよ。


 なにもしなくても、莫大な消費が発生するけれど、そのくせそれに見合ったなにかを生み出しはしない。


 。本当なら、こんな無駄にふくれ上がった暴力ちから。必要ないの。


 


 最後に重ねられた否定ことば。はかなく、空へにじんで、溶けていく。なのに、たたえていた深い情動いろ、なごりは、少年少女の胸にたゆたって、消えない。


 殺戮機巧しょけいにんが特化すべきは、単一機能ひとをこわす。彼女にこそ、そんな情感織綾いろもよう、必要ないにも関わらず。


 矛盾であり背反/不実であり不義だった。


 いかり、にくしみ、かなしみ、あるいは、もっと別のいたましい。とてもとても……色彩いろ


 庇護者おとなの揺らぎ。子どもが気遣わしげに、見上げる。


 あれ?


 目をぱちぱちさせる。


 なぜだろう、いま、一瞬。


 処刑人/魔女の瞳の色彩いろ、湖水の蒼ではなく、血のような


 疑問を口にしようとした瞬間、―—が刺し込まれた。


「――ひどい物言いだ。ここの連中は、俺もふくめて、けっこう繊細なんだ。そう酷評しないでくれよ」

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