第064話 怪物ども、こぼればなし(4)

 涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げるルグとデヒテラ。


「な、なん」「な、なんで」


「僕はね。死んでも。死んでも? 死んでるのかなぁ? ま、そこはいっか。。なんでかっていうのは聞かないでね。僕自身もよくわかってないんだから」


 クリスはにっこりと笑う。


 まるで理解を超越した話。子どもたちは唖然とする他ない。


「ただ、死んで生き返るだけではないでしょう」


「そうだね。ついでに僕を殺した人は、相応の仕返しを受けることになる……らしい。僕は、そのとき死んでるから、よくわかってないんだけど、


 そこでクリスの顔が、ややしんなりと萎れる。唇など尖らせて見せる。


。ほんと踏んだり蹴ったりだ。どう考えても悪いのは、けしかけたジョンと噛み付いてきたアニスじゃないか。僕は被害者だよ」


「生還したのね。あの娘」


「アニスもそう簡単に死ぬような子じゃないからね。まあ、……かなり酷いことになってたけど。今回は良い薬になったんじゃないかな。考えなしにジョンの悪事に手を貸していると、そのうちもっと酷い目に遭うよって」


 自身の言葉にうんうんと頷くクリス。その顔は常のごとく生気に乏しいものの、それでも確かな生命の息吹がある。


 ルグとデヒテラの中で再び込み上がってきた衝動。


 驚くのは後で良い。死んでも蘇えるなんて、よくわからない事情も二の次だ。


 いまは、ただこの人が生きていたこと。その事実が二人の感情を占めていた。


 わんわんと泣いて、再びクリスに縋りつく。彼は、照れたように、けれど慈母にも似た穏やかな微笑みを浮かべて、子らを受け入れる。


 しばらくの間、そんな時間を過ごした。


 顔を上げたとき、少年少女が見せた幼い泣き顔。これまでに示してきた年に見合わない忍耐や思慮の影はない。


「だずげでぐでであぢがどう」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔でお礼を言うルグ。デヒテラは、もはや言葉も出ないのかぺこぺこと頭を下げるばかり。泣き腫らした目と鼻が赤い。


 クリスが気恥ずかしそうに、はにかむ。


「いや良いって良いって。もうちょっとこう、恰好よく颯爽と助けに入れたらいいんだけど、僕って運動とか荒事はからきし駄目でさ。急に死んじゃって、驚かせてごめんね」


 華奢な体躯に男性的な筋骨の逞しさはまるでない。


 蒼白い肌を見るに元より虚弱な質なのだろう。たとえ生き返るにせよ、そんな力弱さを自覚しながら、あの恐ろしい“怪物”に立ち向かった勇気に子どもたちは感謝した。


「ディアドラが預かってくれることになったんだね」


 クリスがディアドラに視線を向ける。処刑人はただ佇むばかり。不吉なからすの覆いは、彼女が何を思うのか、あるいは思わないのか、そのすべてを秘している。


「うん、それは良い。それならジョンはもちろん、他の兵たちも下手にちょっかいはかけ辛いはずだし」


「――けがれは伝染するものよ」


「うん?」


 ディアドラの呟き、その意図するところが分からず小首を傾げるクリス。


「処刑人と共にあれば、いずれ同類と見なされる。汚名は消えない烙印として残る。仮に他の何者が忘れたとしても、自分自身が刻まれたものを忘れることはない」


「なるほど、ちゃんとこの子たちのこと、考えてくれているんだね」


「前から思っていたのだけれど、その何事も都合の良いように解釈する癖、改めた方が良いわ」


「あはは、僕みたいな弱い人間が何事も心配して生きるようになったら、何もできないよ。それこそ人里離れたところで、こそこそ一人で生きるしかないじゃないか。それって相当さびしくてつらいだろうねえ」


 警句に込められたのはくさびの鋭さと重さ。けれど、風に漂う綿毛には通じない。ただふわふわと流れるだけ。


「さあさ。二人とも、もう泣き止みなさい。せっかくの格好いい顔と可愛い顔が台無しだよ」


 こしこしと手拭で子どもたちの涙を拭う。


 まだとしてはいた。けれど、ルグとデヒテラの真っ赤な顔からは、喪失に誘われた暗い影が綺麗さっぱりと拭い去られている。


「それじゃあね。僕はちょっと用事があるから、また食事のときにでもお話しようか」


 離れる身体に姉弟の顔がまた曇り気味に。


「ほらほら。そんな顔しないの。同じ隊にいるんだから、これからいつでも会えるよぉ。僕が君たちと一緒に暮らせればいいんだけど、僕じゃ、弱っち過ぎて君らを庇い切れないからねー」


 そこでふと、何かを思い付いたらしいクリス。深く考えもせず、そのまま口から垂れ流す。


「あ、そうだ。逆に僕も一緒にディアドラに守ってもらえば良いのかぁ。ねね、この際だから僕も一緒に暮らさせてもらって――」


 台詞の途中、突き刺さったのは底冷えのする眼光。


 ディアドラの瞳に沈んでいたのは、無機質で、それでいながら重苦しい殺意。


 反射的にずざざと、処刑人から距離を取るクリス。


 死なないこと。恐怖を感じないこと。この二つは必ずしも等号では結ばれない。


「すいません冗談ですちょっとした出来心ですごめんなさい」


「次はないわ」


 警告に激情の色はなかった。さりとて、それを無視した場合、おそらくこの処刑人は本当に


 彼女を敵に回したときに恐ろしいのは、殺されることではなく、簡単には殺してくれないことの方だ。


 これまでに相当ロクでもない経験をしてきたクリスだが、それでもご免こうむりたくなるくらい酷い目に遭わされるのは容易に想像できる。


「ふう、ちょっとした冗談を言うだけでも命懸けだなぁ。お願いだから子どもには、もうちょっと手加減してよね?」


 ディアドラは黙して応えない。


 ただ否定もされなかったことを最低限の成果として確認し、クリスは身を翻す。


 隊列の後方へ。またふらふらと歩み去っていく。途中で一度振り返って、またねー、と気の抜けた声を上げた。


 子どもたち二人、もう泣き止んでいた。


「よがった。よがっだねぇ」「ゔん」


 身を寄せ合う二人。隠しようもない涙の痕。けれど、それが持つ意味は故郷の滅びから続いてものとは、まったく種類が異なっている。


「馬車に戻るわよ」


 一声かけて、するりと足早に先へと進んだ馬車に戻っていく処刑人。


「「はい!」」


 慌ててはいるものの、元気の良い声。


 失って、失われるばかりだったはずなのに。ふとした気まぐれのように世界から還された。熱量は、小さな二人の隅々にまで行き渡る。


 伸びきらない手足。いまやどんな峻険な山でも踏破できる力強さに満ちていた。あるいは、きっと。いまなら空だって飛べるのだ。


 


 世界そのものに発生した間違い。あるいは、世界そのものを騙す詐欺行為。


 佳人の蘇生という表層の裏にあるのは、疑いなく、だ。


 けれど、そんな益体もない事情、子どもたちには関係ない。まったくもって関係なかった。そんな暗鬱あんうつに思いを馳せるのは、大人の役目であり、怪物を使役する獣の義務だ。


 子どもにとり、これは、おとぎばなしに在る奇跡。


 喪失ばかりを強制する意地悪な世界が、ようやく根負けしてこぼした福音まちがい


 喪われた人たちに向けて、強く強く請い願った幻想もういちど


 一目見たい/一目見て欲しい。触れたい/触れて欲しい。声が聴きたい/声を聴いて欲しい。


 幻想が現実としてあらわされたこと。こんな世界の中にも残された福音やさしさの手触り。


 ルグとデヒテラは、意識することなく、誰に何に対するでもなく、ただ在るがままに心からの感謝の念を抱いて、――弾むように駆け出した。

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