第065話 怪物ども、こぼればなし(5)

 クリスがふらふらと漂った先。隊列の後方に位置した、とある小ぶりな馬車。


 樫材で造られた客室の外面には、荒くれの列に並ぶには似つかわしくない精緻な彫りが施されている。


 積載量などの機能性ではなく、美観を重視した、それこそ貴い身分のご令嬢でも乗っているのかと思わせる瀟洒しょうしゃ造形デザイン


 御者台にいる傭兵、ひょろりとした二十代半ばと思しき男に声をかける。


「やあ、ラング。アニスの様子はどう?」


「どうもこうも、まだ出てきてないからわかんねえよ。馬車の中で大人しくしてるってことは、まだじゃねえの」


 ラングと呼ばれた傭兵は、ややげんなりとした様子。


「ちょっとぉ、たまには様子見てあげてよぉ」


「冗談ぬかせよ。、いま相当機嫌悪いからな。下手に覗いて、がぶっとやられたりでもしてみろ。俺は普通に死ぬんだからな。お前らみたいな化け物と一緒にしないでくれ」


 不満そうなクリス対し、ラングは心底嫌そうな顔をした。


「それにちょっと前にジョンの旦那が死体を持って来てたぜ。なんとなく喰ってる音は聞こえてきたから、飯は喰えてるんだろ。んな心配しなくても、正直俺はお前らが死ぬところの方が想像できないんだがね。


 あんまりと言えば、あんまりな言い様ではあったが、こと生き死に関する不条理を指摘されればクリスに反論は難しい。けれど。


「死ななくても痛みはあるんだよ。アニスはなんだし、ちゃんと気遣ってあげてよ」


「へえへえ。わかりましたよ。けどな、? 俺にアレコレいうのは筋違いだぜ」


 そう言われてしまえば、もはやぐうの音も出ない。唇を尖らせて。


「――様子、見てくるよ」


「好きにしな。あ、下手に刺激すんなよ。暴れられたらかなわん」


 気のない素振りのラングを背にして、クリスは馬車のステップに足をかけた。


 客室の扉をノックして「アニス、入るねー」声をかける。返事も聞かずにそのまま扉を開いた。中に入る。


 ――入った後でちょっぴり後悔した。


 出迎えたのは、禍つに濡れたふたつの光。赤い筋が縦横に散った翠瞳。憎悪のやじりでもってクリスを刺し貫いていた。


 《人喰い》のアニス。怪物の相を露わにしたままの姿。壁に背を預けて床に座り込んでいる。


 一番目立つ突出した大顎にもはや傷は見当たらない。しかし、胴体にはまだ穴が三つ開いたまま。出血はない。


 洞には、水気のある薄桃色の粘土じみた断面が覗くだけ。


 成人男性の胴体でも簡単に鷲掴むことができる大きさに拡張された、骨だけの右の掌。


 だらりと床に投げ出され、鋭利な鉤爪でもって、かりかりと。小さくひっきりなしに床面を引っ掻き、削いでいる。


 もうひとつの掌はというと、いまも存在しない。


 左腕は、前腕の半ばあたりまでしかなく、そこから妙に白っぽい肉とも骨ともつかない体組織がぴくぴくと蠢いている。


「や、やあ、アニス、大丈夫? 元気してる?」


『――これが元気に見えんのかよ、死に損ない』


 怖ぁい。


 控え目にラングの薄情を非難したクリスだが、これは確かに仕方ないところもあると反省。


 今回の件について無関係のラングにいきなり噛み付くようなことはないと思われる。しかし、そうであったとして物騒なのには変わりない。


 という可能性も考えられるし。


 しかし、よくよく考えれば、さきほどジョンが届けた死体を食したばかりという。


 室内に血が飛び散ったりは、――していない。しかしこれを幸い、と言って良いか。


 つまり、どうやら人の死体に等の食肉加工用の処置を施した上で届けたものと推測できる。


 《人喰い》は、概ね人の身体全体をほぼ丸ごと食するが、糞尿の類はさすがに嫌悪している。多分、……はらわたを抜いたりもしただろう。


 食滓ゴミ残骸パーツの散乱も見られない辺り、怪物の側もまたきちんと躾が行き届いている様子が観察できる。


 この飼い主と愛玩動物、どうしてこう食事という当たり前の営為だけで人をげんなりさせることができるのだろう。


「いや、ごめんね。ほら、僕もさすがに死んでるときは意識がないし、一応なんだけど」


『けっ』


 吐き捨て、目を逸らすアニス。床を引っ掻く音、からに変わる。


『あの餓鬼は、そもそも最初、旦那を殺そうとしたんだぞ。その上、旦那の決め事に逆らおうとしやがった。舐められてんだよ。クソムカつく。痛い目見せてやらないとわからないんだよ。だってのに、お前にしろ、あのクソ犬にしろ、妙な邪魔を入れやがって』


 負傷よりも、それを遥かに上回る苛立ちの方が深刻に見えた。


 猛烈な勢いで床材が削られていく。見たところかなり質の良い床材を使っているようだが、こっちも大丈夫だろうか。


「いやまあ、さすがにいきなり殺そうとしたっていうのはやり過ぎだとは僕も思うけどさ。ちょっと前に村が盗賊に襲われて酷いことになった上に、今度はお姉ちゃんまで連れてかれそうになったんだ。大目に見ようよ」


『他所の奴らの事情なんて知ったことか。旦那は、アタシらと違って只の人だぞ。腹に穴が開いたら、あっさりくたばるような』


「うう、確かにそうなんだけどさぁ」


 アニスの言い分は、概ね正しい。


 村が盗賊に襲われたことは、傭兵隊にはまったく関係ないことだし、デヒテラの件も村の者たちが支払えない報酬代わりに差し出してきただけ。


 などという御大層なものを持ち出さなければ、別段この時点でジョンに非はない。


 にもかかわらず、いくら子どもの暴走とはいえ、――ルグは弩という立派な戦の道具を持ち出し、騙し討ちで射かけてきたのだ。


 ジョンがに思い至らなければ、おそらくこの時点でルグはされていた可能性の方が高い。


「それでも相手は、まだ子どもなんだよ。こんなやり方、あんまりだ」


 事情は斟酌しつつ、今後は無謀な行動をしないよう多少の躾は必要だろう。


 しかし、それが《人喰い》の怪物をけしかけたり、強面の集団で脅迫したり、といった行為として行われるのは、――傭兵ではないクリスには許容し難い。


 だいたいにしてジョン自身、ある日突然殺されても文句が言えない悪人なのだ。


 ルグに殺されかけたことも、実際のところ、彼はさして気にしていないだろう。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る