第066話 怪物ども、こぼればなし(6)

『なんだよ、そりゃ。餓鬼だから? 意味がわからん。理由になってねーぞ。自分が弱っちいなら、大人しく従うしかないことくらいわかるだろう。それができないなら、やらかした分、やり返してやるだけじゃねーか』


 まるでわけがわからない、そんな苛立ちの色がアニスの瞳に灯る。


 実際、アニスにはわからないのだろう。


 彼女は、人とはまったく異なる生態に属する生命だ。


 知性を持ち、人間を捕食する生き物であるが、人間よりも圧倒的な力を持つためか、捕食対象への理解は乏しい。


 子どもの未熟さというものが内包する意味を、まだくらいにしか認識していない。


 成長や可能性、未だ来ない時の果てにあるものは、意識の外。


 現在のみを評価して、小さて弱くて愚かな生き物としか見ておらず、もちろん庇護ひごなどという考えとも無縁。


 ただ彼女は、まだを理解していないだけだ、きっと。


「ほら、ちっちゃい子って、かわいいじゃないか」


 いきなり何言い出すんだ、こいつ。そう言いたげな胡乱な眼差しが返る。


「けど、ジョンやアニスがやったように虐めていると、そのうち大きくなって、強くなって、怖くなって、――仕返しにやってくる。虐めたら虐めた分だけ、より恐ろしいものになる」


 その一つの結実。地を這わさ続けた怨念の果て、具象化されたもの。アニスはよく知っているはずだ。


『知るかよ。そんなの。やばいのになるって言うんなら、その前に手足をいでやるか、丸かじりにすれば良いじゃねーか』


 余計に物騒なことを言い出す。クリスは難しい顔をした。


「だめだよ、そんなの。それにいまは特にあの子たちに手を出すのは厳禁だからね。あの子たちの面倒は、が見ることになったから。彼女を怒らせたら、どうなるかわか――」


 クリスの視界が閉ざされる。


 ひんやりとした白く白い硬骨の感触。禍しい人喰いの鉤爪がクリスの頭を鷲掴みにしていた。


『怒らせたらどうなるって、―—ぶち殺せば、それで済むに決まってるだろ』


 いま、クリスは意図的に《人喰い》の触れてはならない部分に触れた。


 ぎしぎしと軋る骨。隊に居ついて、二年続いたわだちで学んだ自制。昨夜、再び味わった奈落の苦痛。縛めとなり、辛うじて、圧搾あっさくには至らない。


 けれど、そんなもの、せいぜい解れた撚糸の束縛。ちょっとしたきっかけがあれば、クリスの頭は熟した果実さながらに破裂することになる。


 けれど、漏れ出たのは、ため息みたいな叱責だった。


「それじゃ済まないし、そもそもぶち殺しちゃいけないでしょ」


 死とは、クリスにとって既に解体された事象。飽くほどに通り過ぎた、唯一無二のはずの最期の安息。


 もはや、、で済んでしまう空疎な小芝居だ。


 本当は、……そんなものに堕して良いはずがないのに。


 他者の死は、他者にとっての死は、あんなにも重々しく、歩んだ歴史に相応しい千変万化する別離の幕があるのに。


 クリスのそれは、どこまでも軽く、浮遊し、漂泊している。


 起源は、忘却のうちに喪失していた。クリスは、なぜ自分が、まったくわからない。


 けれど、こんな浮薄する綿毛みたいな、すかすかの自分にも、かつては譲れないものがあって、があったはずなのだ。多分、きっと。


 だから、漂っている。


 ただ歩くだけでも喘鳴するような、虚弱極まりない、自らでは何も為せない無力な身体で。物語の背景として、誰に知られることもなく、消えるだけの命として。


 それが何なのかも不明のまま、起源はじまりの願いを取り戻すため。今日も今日とて、風に流れてどこかに辿り着く。


 いまはそれが破綻した悪性を頭として戴いた傭兵隊であるというだけ。


 どこにあろうと、何をしていようと、クリスにとって大差はない。


 昨晩のように、たまに死んでは、生き返り、願いの果てにあるはずの解体されない正真の結末おわり、頭の隅で夢想し、無為自然あるがままを継続する。


 もちろん死に至る。けれど、終わりが終わりにならない死解回帰の怪物にとり、死は行動を止める理由にはならない。


「わかってるでしょ。ディアドラと喧嘩すれば、ジョンは必ず彼女の肩を持つ。例外はないよ。――それに忘れてない? 。少なくとも隊の中で無用な揉め事は起こさないことって」


 隊に連れて来られた当初、アニスは、


 戦力として使えれば良いと、ジョンはさして気にした様子もなかったが、――流石には兵たちにとって許容し難いものだった。


 そして、アニス自身もまた人の形を得たがっていた。


 紆余曲折あったものの、アニスにとって、


 だから、この二人はよく似ていた。もちろんクリスの病弱な雰囲気は取り除かれ、肢体も女性のそれに変っている。けれど、並べばと評して良いくらいに相似していた。

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