第063話 怪物ども、こぼればなし(3)
流れていく兵らにとっても、クリスは、おそらく隣人だとか仲間だとか呼べる存在だったはず。
可憐な少女めいたクリスから
なのに、行軍を進める者たち。こんな自然に歩みを進めている。日常に溶けて意識されない喪失。
薄情だ、なんて非難することはできない。
ルグもデヒテラも。こうして行軍の中、馬車に揺られている以上、結局は彼らと同類なのだ。
朝起きた後、少年少女はクリスを弔いたいとディアドラに願い出た。
あのとき異常な現象―—地面に突如として開いた、真っ黒な穴――によってクリスの遺体は消えてしまった。どこに行ったのかなんてわからない。
けれど、せめて粗末でも墓碑を建ててあげるくらいは。
義弟の身代わりとして亡くなった以上、デヒテラがそう考えるのは至極当然で、命を救われたルグであればなおのこと。
『――時間がないわ。諦めなさい』
処刑人は、生業に相応しい無情を告げた。
ディアドラは、ジョンや傭兵たちと良好とは言えない関係にありながら――それでも隊と道行きを共にしている。
集団行動をする以上、
そしてそれは、これから同じく道行きを共にする少年少女も弁えなければならない当然の前提だ。
二人は俯き、彼が亡くなった丘に向かって短い
優しくしてくれた亡骸を、場所もわからないどこかに置き去りにした。
きっと、これからもこんなことは続く。
力が無いということは、つまりそういうこと。
力ある何者かに従うか、奪われるか、
今回はたまたま身代わりになってくれた人がいた。そして、望外の救いを得ることが叶った。
仮に、今度、ディアドラの目の届かないところで、悪意に襲われることがあったなら。あるいは、ディアドラにさえ見棄てられることがあったなら。
二人は生命か尊厳か、再びの二択を迫られることになる。あるいは、そのどちらも問答無用で奪われる。
だからなのだろうか。デヒテラの顔は、おずおずとしながらも、ずっとはにかむように愛らしい笑顔だ。痛ましいほどに。懸命に。
現状唯一の庇護者に途切れ途切れに話しかけ続ける。しかし、その愛想笑い、ディアドラが顔を向けることはない。
折しも晴れ渡った空模様。なのに、子どもの色模様、少しだけ褪せていて冷たい。
されど、旅路は続く。子らが後ろに残してきたものなど、無いかのように。死を弔うという当たり前の営為を置き去りに。
「……そういえば、その、クリス様が亡くなったときに起こったのは、なんだったんでしょうか?」
デヒテラは、ふと、思い切って聞いてみる。気になりつつも確認できていなかった事象。
クリスが死んだときに起こった不可思議。
その亡骸もろとも《人喰い》を飲み込んで消えた奈落について。
ジョンも、あの場にいた者も、誰一人あれに驚いている風情はなかった。あの異常現象は、この傭兵隊にとり、きっと既知のもの。
「……」
奇怪な恰好ながら、少年少女の問いに丁寧に答えていた処刑人。ここで初めて沈黙を保った。
不快や煩わしさを感じたという風情ではない。どう答えたものかと思案する停滞。
ややあって、
少女の覚悟を
もしかして、うっかり獅子の尾を踏んでしまったのだろうか。やはり余計なことを気にするべきではなかったか。
「あれはね――」
とうとう開かれた口。とても重々しく感じられた。呪わしい深秘、その真相の質量が少女の総身を圧し潰さんと迫る。なのに。
“あれって、なんなんだろうねぇ”
漂った緩やかな旋律が、迷妄の重み、
少年少女、ぎょっと、大きな瞳を見開いた。こぼれて、瞼から落ちないといいけれど。
真ん丸の瞳に映るもの。
ふわふわと柔らかな、櫛の通っていない金の髪。蒼白く、目の下に隈を作った、けれど愛らしい美貌。
小柄な細身を包む着古した白い長衣は、――血に染まってはいない。破れてもいない。当てられた継ぎを見るに予備の服なのだろう。
並足の馬車に並んで声を掛けてきたのは、いかにも気の抜けた
「まあ、なにはともあれ、君たちも無事だったからいいじゃない。うんうん。――て、あれ、わわ」
ルグとデヒテラは目を真ん丸にしたまま、御者台から降りる。
然る後、突貫!
そこにある生命、どうかまぼろしではありませんように。そんな希望と恐怖に憑かれて。良い子の体裁などかなぐり捨てて、むしゃぶりつくみたいに。
ひっついた身体は、冷やっこいけど温かい。とくんとくんと
幼子は観測する。熱を鼓動を実存を。もって、生命の存在証明を希求する。
なおも、ぺたぺたと無遠慮に触る。怪物の顎に裂かれた右肩から左脇腹に至るまでの致命傷。痕跡すらも存在しない。
「と、とと、どうしたのさ。二人とも――、ん、あれ、もしかしてディアドラ、何も言ってなかったの?」
くっついて自身の命を確認しているらしい子ども。何かに思い至ったらしいクリス。子どもたちの形良い頭を撫でながら、――処刑人に水を向ける。
ディアドラもまた、馬車を引馬に進むに任せ、御者台から降りていた。
「見た方が早いでしょう」
淡泊な返答には熱も色もない。
にべもない処刑人の反応。クリスはちょっと唇を尖らせた。そういう問題じゃないでしょう。
「死は、そんなに軽いものではないわ」
続けられた言葉。クリスの顔に浮かんだものは苦笑。彼にしては、珍しい、本当に苦いものが含まれた小さな微笑み。
「ほんと、そうだよね――ほら、二人とも。僕は見てのとおり大丈夫。ぴんぴんしているし、生きている。心配ないよー。というか、これからもときどき死んだりするかもしれないけれど、気にしなくていいからね」
またとんでもないことを言い出す。実に実に軽々しく。
だから、きっと彼も破綻しているのだ。
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