第060話 見るに堪えない不実の偽装
兵どもも、不寝番以外は、寝静まる頃。
騒動のあった丘の上、ジョンは一人、剣を握って立っていた。
夜空の腹を突くように、大上段に掲げ持つ。力みはない。
剣は、彼の身長の半分を超えてなお長い。かつ異様な肉厚。鋼の延べ棒とまでは言わないが、相当に厚い延べ板といった風情。
刃もあるにはあったが、これでは、斬るのに随分と難儀するだろう。
あるいは、鈍器として使うのが、主たる用途なのかもしれないが。ならば、なぜ剣を
求めるものが打撃力なら、柄の先端に重い金属塊を取り付けた単純な凶器、
形状も奇妙であったが、もっと単純な問題があった。重い。一般的な長剣の実に四倍近い重量があった。
これは、形状のみならず、試作として特殊な素材を微量に混入したことが影響している。
小柄の彼の体格には、明らかに不釣り合いな得物だった。
銘などない。“
ジョンは、“鈍ら”を掲げたまま、動かない、――いや、違った。
有るか無しかの微細。止まっているかと見紛うほどの極低速。鈍刃の切っ先が進んでいた。
遅々とした、欠伸が出てくる、
月は隠れ、頼る灯りは、野営地から仄かに届く
“奇跡”を見ていた。かつて、彼にもたらされ、あっさりと通り過ぎた、紛う事なき天与の一。
無二の才を持つ者が、悠久にて鍛造した人体機巧の極地。もって
見詰めると同時、自らの身体動作、そのすべてを同期し、重複し、模倣を試みる。
開始直後から鳴り響く
得物や体格の差など、まったくの些事。問題は、ごく単純な技量の差。
至尊の一は、いまや欠陥を抱えた
まったく届かない。模倣だなんて汚らしい。奇形とすら言えない紛い物。
自らを両断するはずだった、あの刹那にして永劫の
目指すは、山の頂ではない。空に浮かぶ天体だ。所詮、地にある生き物では、間にある不連続、埋める術などない。
ただ、そこには届かないという断絶を突きつけられるだけ。無為も甚だしい検証作業。
もう十数年。こんなことを繰り返している。
意味があるのか、と問われれば、否であり応。
彼自身、阿保らしいと考えながら、やめることもまた出来ない。根の深い、業病じみた執着心。
しかし、精神の鍛練としては至上。けして、届かないという分際を弁えることは重要だった。
凡人にとり、自らを定義することは不可欠。輪郭が明確でなければ、すぐにそこから逸脱しそうになる。
確固たる自己など持ち得ないから、ちょっとしたことですぐ揺れる。たとえ、わずかだとして、揺らぎはジョンにとって気持ち悪くて仕方ない。
それは、明確に不義だったから。彼は、自らに許して良いはずがないと頑迷に信じ込んでいた。
だから、彼は破綻していた。
届かないことを、届かないと知って続ける衝動。地を這う獣が、輝く星に手を伸ばす純粋なる想い。
墜ちろよ、お前ら。何で俺がこんな有り様なのに、何でお前らそんなに綺麗なんだよ。
この衝動だけは、きっと誰にも負けはしない。
初めて自覚的に獲得した原風景。考える器官に刻印された疑似本能。仰ぎ見る者への怨念だけが、ジョンという崩壊した人格を確たる在り方へ
ジョンにとり、過去はいつだって色鮮やかだ。ふとした瞬間に訪れる
そこでは、ジョンは無力な子ども。正真、価値も意義もない。死んだ飼い犬の
食って、寝て、糞をして、合間にずっと牛馬のように稼働するだけの器物だった。
彼の不変不動の原点。変えようのない真実の時間。剥き出しにされた自らの卑小を飽くことなく追体験できるのだ。
こうして、自らの意志で内に埋没するなら、なおさらに。
そう。ジョンという人間の本質は、ただの負け犬だった。
実に素晴らしい。ジョンは、自覚しながらそれを良しとした。
恨むこと。妬むこと。憎むこと。
怨念こそは、獣を稼働させる、尽かず湧き上がる
もちろん、彼はそれのみによる壊れ者ではない。もし、そうならば、彼はとうの昔に能う限りの害を撒き散らした後、勝手に破滅して終わったことだろう。
つまり、一方で彼には、愛があった。紛うことなく。人に輝きを見出す感性と情動があった。
地の底から天体を観測するように。日々、疾視をもって人々の営為を
単一のはずの星が、その数多ある孤独の配列が、何かの拍子に絵を描くように。関係の中にある綺麗な模様に目が眩む。
それは、純粋な憧憬だった。
汚泥の中にあって、いや汚泥の中にあるからこそ、何より焦がれ、憧れずにはいられない。
自らにも差し伸べられた手を。畏れに震えながら、握ったてのひらの温度を覚えている。
望外に与えられた、あり得ざる救いの貴さを。そのときに誓った願いの重さを。ずっと、ずっと覚えていて、忘れない。
忘れられないから、何よりも重い罰となって彼を圧壊させた。
だから、彼は破綻していた。
かように極めて不安定なくせ、根本に根付いた呪いが鋳型となって、獣をいまの形に成型する。
はみ出てしまった余分を挟んで切り捨て、圧迫して潰し、肉と骨を無理矢理に閉所に押し込めて、――ようやく壊れながらも何とか体裁を取り繕っている。
破綻した魂にとり、本当のところ、善悪なんてどうでも良い。知ったことではなかった。ただ、必要な過程だから、急き立てられるように悪を選んだだけ。
同時、目も当てられない欠乏を埋めるためにも、その方向性は有用だった。なりふり構わず力を求めるその有り様、なるほど確かに悪と言えただろうから。
しかし、上手くやれているか不安はあったのだ。所詮は、人真似。ただ、殺すだけでは不足らしいから、体裁を取り繕っていた。
此度、傍目から見ても上手くやれているらしいと知って一安心。
無駄に喋り続けるのも似たようなもの。彼は元来、無口だった。外交的とは、とても言えなかった。
人間関係の構築という点においては、きっと根本からして、機能にいくらか欠陥があった。
しかし、当然ながら、無口な人間に組織は統率できない。あるいは、グレゴリのような厳つい豪傑なら、可能なのかもしれないが。
ジョンは生憎と体格も小柄なら、容姿も柔弱な部類。傷跡に怯むような者など、暴力を生業とする者には存在しない。
だから、仕方なく、知った人物を
設定した人格のまま適当に喋っているので、ついつい余計なことまで口にしてしまうのは難点と言えた。しかし、この辺りは、根本的な改善は望めないものと諦めている。
実態として、外から観察できるジョンという人間は、概ねただの張りぼてだ。
だから、時折、彼の行動や印象は一貫しない。壊れているのも一つの理由だが、たまに偽装した皮を突き破って現れた本性が平生の印象を裏切るからだ。
破綻を自覚しながら、けれど彼は稼働し続ける。だから末路も知れたもの。
“あんた、ぜったいロクな死に方しないぞ”
それで良い。それでまったく構いはしない。
穢れた手でも為すべきを。この身は、たった一つの責務を果たすため、残った残骸。
滅ぼされるに相応しい悪として/絶対を滅ぼし尽くす力を求める。
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